第四章 62.別れの挨拶
エウゲネス王は「アルペドンの第二王女マルガリタと結婚して王になれ」とマグヌスに言ったが、事態はそう簡単にはいかなかった。
まず評議会が「王は王を任命出来ない」と主張し、旧アルペドン領はマッサリアの直轄地、マグヌスはその代官と決議した。王は従わざるを得ない。
次に、アルペドン王国の第一王女を妻にしているインリウム国の当主が「王女の遺産分を割譲しろ」と迫って、東北部の穀倉地帯を奪った。
マグヌスに残されたのは、王都とその周辺は別にして、河沿いの湿地、痩せた草原、山地と、一見価値のないものばかりだった。
さらに、結婚しろと言われたアルペドン王国の第二王女マルガリタは家族と国を失った衝撃で放心状態にあり、婚姻どころの騒ぎではない。
当初マグヌスはテラサに世話を頼もうと思っていたが、彼女は自分の醜さを理由に断った。
「表面しか見ない王族は多いそうですから」
マグヌス自身マルガリタとの婚姻には消極的であり、妻という名目で当分保護しておいて、心の傷の癒えた頃、ふさわしい相手を見つけてやろうと考えていた。その相手探し。
かくのごとく、難問山積である。
しかし、彼は満足していた。
「何一つ無駄なものは無い」
戦いに参加しなかったルークが「無駄骨折り」とからかった時に、マグヌスは真顔で反論した。
「そうか。じゃあ、どんな国造りをするのか俺が見届けてやるよ」
「一緒に来てくれるなら、私は嬉しい」
マグヌスはルークの硬い手を握った。
背に長剣を背負ったこの勇者は、気まぐれながらもマグヌスの親友である。
西の館を引き払い、いよいよ旧アルペドン領に発つ日、マグヌスは王の許しを得てルルディに別れを告げた。
当然二人きりになどなれない。
周囲すべてが、王の目、王の耳だった。
シュルジル峠の件──王妃ルルディをかばったマグヌスが王の怒りに触れあわやという目にあったこと──は、ルルディの耳に入れぬように将軍たちは配慮していた。
しかし、人の口に戸は立てられぬもので、ルルディはそのことを知った。
(私の軽はずみな行動でマグヌスを危険にさらしてしまった)
そして、マグヌスを王女マルガリタと結婚させ、実質何も価値のないアルペドン王国の統治者に据えることの意味も的確に理解していた。
ベールを隔てて相対する二人。
マグヌスからは薄絹越しに金髪の影が分かり、ルルディからは長い黒髪と白地に臙脂の縁取りの衣装が見て取れる。
ルルディは、慎重に言葉を選んだ。
「あなたも、結婚……したのね」
「はい。王からアルペドン王家の姫を与えられました」
「アルペドンに行ってしまうのね」
「はい。王妃様の元を離れます」
「アルペドンは遠いわ。遠くから、あなたの幸せを祈っています」
「ありがとうございます。王妃様にも立派なお子様に恵まれ、おめでとうございます」
「かわいい王子ですの。王と同じ黒髪の。そう、あなたにもらったお砂糖、妊娠中にとても助けになりました。ありがとう」
「光栄です」
マグヌスにも妻という枷をはめ、アルペドンという遠隔地に飛ばして、物理的にもルルディと会えなくする。
今回の大抜擢には、そういうエウゲネス王の意図があった。
「これを返します」
砂糖が入っていた彫刻の施された容器が返された。
侍女が大げさに蓋を開け、手紙など入っておらず、中が空であることを確かめる。
「確かに受け取りました。それでは」
マグヌスは一礼し、金属の箱を小脇に抱えて立ち上がった。
今度はいつ言葉を交わせるか分からない。
女の城である北の館に閉じ込められたルルディには、アルペドンは地の果ても同じである。
「さようなら」
マグヌスの後ろ姿に声をかける。
返事は無い。
(彼は私の愛に反して忠誠を誓ったはず。それなのになぜ私はこんなに惹かれるのだろう)
ルルディは両手に顔をうずめ、うなだれた。
マグヌスはアルペドンへと去った。
親友ルークと、ヨハネスはじめ、あの激しい戦いを戦い抜いた部下二百人、テラサを始めとする侍女数人が共にマッサリアを後にした。
その後、マッサリアでは、エウゲネス王による苛烈な評議会への粛清が行われた。
まず、スキロス始めとする親ルテシア一派は窮地に立たされた。
次いで、マグヌスに同情的な議員が標的となった。
動いたのは、議会に影響力を持つ老将ピュトンである。
親ルテシアの立場で色々と細工を行っていたスキロスはピュトンに食い下がった。
「ピュトン殿、これは暴挙ですぞ」
「少しばかり敵に好意的過ぎましたのう。わしにもかばいきれぬ」
「証拠があるというのですか」
「証人がおる。フリュネと侍女長じゃ。二人とも処分されている」
フリュネはいったん王の心を得たかに見えたが、結局黒将メラニコスに下げ渡され、侍女長に至っては売り払われてしまった。
「わしもマグヌスは軟弱で好かんが、将軍の命を狙ったのはまずい」
論戦の末、評議会ではスキロスはじめとする親ルテシア派の五人が財産没収の上、追放となった。マグヌスに好意的だった二人は多額の罰金を負う羽目になった。
財産は日数をおかず競売にかけられた。
屋敷、別荘、葡萄畑……。
本来の価値で言うなら一千万リルを下らない不動産が、三百万リル、五百万リルと、格安で叩き売られる。
元表議会議員スキロスの館をある解放奴隷が八百万リルで競り落とした時には、どよめきが上がった。
スキロスたちには行き場が無かった。
周囲はすべて親マッサリアの国々である。
ルテシアはもう無い。
「東の帝国を頼ろう」
彼らは家族を連れ、できるだけたくさんの貴金属を身に着けて、リドリス大河に隔てられた東の帝国を目指す困難な旅に出た。




