序章 6.血闘
マッサリア王を名乗った青年は、その胸にルルディを抱いた。
彼女が震えているのが分る。
「……あなたにしかできないこととは身分を明かすことだったのですね」
ルルディの柔らかい肌は洗いざらしの上衣の下の固い鎖帷子でさえぎられていた。
「私、あなたをとんでもないことに巻き込んでしまいました。最初からマッサリアに行っていれば……」
「いずれどこかで戦う相手。それが今になったというだけのこと」
ルルディの両肩に手を置いて、そっと引き離しながら、青年は静かに言った。
「私が負けた時は、城を抜け出してマッサリアに続く街道へ行けますか? マッサリアの援軍は街道沿いにもうミタールに入っているでしょう。旅のやり方はヒンハンが知っている」
「嫌です。あなたが負けるなんて」
青年は不安を振り払うように強く言った。
「そんなに心配しないで。私も簡単には負けませんよ」
彼はなおも何か言いたげなルルディを部屋に戻し、自分も与えられた部屋に戻った。
寝台に腰掛け、弧を描く風変わりな剣を抜き、その、波の静かな浜辺を思わせる刃紋に見入った。
と、そこへ、黄色いオオカミの幻が映り込んできた。
「あの女は王のもの。マッサリア王のもの……」
「消えろ! お前にはかかわりのないこと」
「マッサリア王を名乗っておいて、あの女が欲しくないのかえ」
「黙れ。お前には私の心を乱す以外、何もできないのがわからないのか」
ひっひっひとあざ笑う声を残して、オオカミの幻は消えた。
翌朝やや遅く……。
立ち合いは真剣で行われた。
青年は鎖帷子の上に例の洗いざらした上衣という軽装、ルークは革鎧を着けていた。
槍兵がぐるりと取り囲んだ中庭の囲いの中に、二人は入って行った。
椅子に座って審判を務めるケパロスが一人。
立ち会いを見るに耐えないのか、ルルディの姿はなかった。
「さあ来い」
「参る」
二人は抜刀し、にらみ合った。
先に動いたのは青年の方だった。
するすると間合いを詰めたと思うと、下からすくうように鋭く斬りこんだが、ルークは剣先をすりあげ、外してよけた。
「お前の剣はこんなものではないだろう!」
長剣を振り上げ、上背を生かして、叩きつけるように斬り下ろす。
青年はがっちりと受け止め、受け流しては飛び下がる。何度か同じ攻防があり、青年は槍兵の持つ槍ぎりぎりまで追い詰められた。
「後がないぞ。どうする」
さらに追い詰めようとするルークの突きを払って受け流し、ルークと青年は立ち位置を入れ替わった。後ろ手にないだ青年の一刀がルークの鼻梁から左頬をひっかけ、顔面に線が走り、血が吹き出す。
「うおおおぉ!」
負傷をものともせず、ルークが長剣を繰り出した。かろうじてかわしたが、上衣は大きく切り裂かれ、鎖帷子があらわになる。
「その剣、太刀筋、マッサリアのものではないな。南方の蛮族にでも教わったのか?」
ビュンと音がして横からの一撃を、身を沈めてよける。
「お前の知ったことではない」
返事と共に鋭い突きを繰り出す。
挑発にも乗らず、青年の怜悧な戦いは、ルークとほぼ互角。
息詰まる戦いは昼になっても終わらなかった。
ところが突然、城門側にいる見物の兵がざわめき、ぶつけられた槍兵がどっと倒れ込むように円陣内へなだれ込んできてしまった。運悪く、ちょうど二人が刃を交えているところへ、である。
「あぶない!」
青年がぶつかってきた槍兵を避けようとしたその一瞬、ルークの一太刀が彼の脇腹にきまった。
「うあっ!」
さすがに悲鳴を上げたが、鎖帷子のため、斬れてはいない……肋骨の一本二本は折られたかもしれないが……。
「立会を中断せよ! 何事だ!」
ケパロスが大声を上げた。
槍兵がざわざわと道を開ける。
その間を通って、十四、五人の騎兵隊が、騎乗したまま蹄の音も高くケパロスの前に進み出た。
きらめく鎧の重装、槍は持たず、その代わりに長めの剣を腰に下げている。
「我々はマッサリアの先遣隊として王を探しに来た。この城内においでとか」
「王は……王はそこに……」
混乱の中にその姿は消えていた。
「王は俺と正当な果し合いをしていたのだ」
ルークが訴えたが、相手にされなかった。
「クマ殺しのルーク殿。ご高名はかねてより。だが我々としては王にアルペドンに味方した貴殿を見逃すわけにはいかぬ」
「あれはケパロスも認めた正当な立ち合いだ」
下馬した騎兵数人に取り押さえられながら、ルークはなおも叫んだ。
「そういう問題ではない!」
先遣隊長が怒鳴り返した。
「確かここには石牢があったな」
「俺をそんなところへ入れるつもりか!」
「王と評議会から権限を委任されている将軍が処遇を決めるまでそこに居ろ」
多勢に無勢、さすがのルークもおとなしく引かれて行くのを見送った先遣隊長は返す刀で問い詰めた。
「ところで、チタリス公ケパロス殿、まさか、あなたもアルペドンの側についたのではありますまいな」
ケパロスはぶんぶん頭を振った。
「ルークは著名な剣士だから客として遇していただけのこと。王とルルディが証人になってくれます。滅相もないことを……」
「確認してみよう」
隊長が手を降ると、下馬した騎兵たちが城館の中へ入っていく。
「王よ、先遣隊が参りましたぞ!」
「ルルディ様、どこにいらっしゃいますか?」
ところが、城内をいくら探してもその二人の姿はなかった。
「お二人ともいない……」
先遣隊長は、ケパロスを睨みつけた。




