第三章 59.月下の戦い
指揮官を失い、グーダート神国はこれ以上進むかどうかを守護神グダルの神託に任せることにした。
グダル神は地下の死者の国を治める陰鬱にして強大な力を持つ神である。
軍に付属の神官が干した薬草を噛んで祈る。
「進めば死体の山」
下った神託は簡潔だった。
マグヌスたちは死体を等間隔に積んで、盾と長い槍を立てかけ、隊列を組んでいるように見せることで、遠目にはまだ軍勢が健在だと見せかけていた。
なるほど「死体の山」である。
しかし、グーダート神国軍は「進めばこれ以上の犠牲が出る」と解釈してしまった。
もうひと押ししていれば……だが、それは神ならぬ身の知り得ぬこと。
グーダート神国軍は神託を信じてシュルジル峠を諦めた。
マグヌスたちは預かり知らぬこととはいえ危ういところで命を取り留めた。
グーダート神国軍が退却していくのを見届け、この戦いで半分以下に減ってしまった兵たちと、帰途につく。
足取りは重かった。だが、彼らの犠牲は無意味ではなかった。
「グーダート神国の援軍が来ない」
グーダート神国に派遣されていたアルペドン王国の密使からの報告されたその情報は、国内に衝撃を与えた。
グーダート神国から来なければ、他からも来ないだろう。
アルペドン王アレイオは、失意の中、野戦を決意した。明け方、四万の全兵力が城門から一斉に打って出る。
グーダート神国撤退の報を受けていないため、いつもの小規模な戦闘だと思っていたマッサリア軍は意表を突かれた。
本来なら種まきを済ませ芽吹きを待っている大地に、アルペドン軍は厚く陣を敷いた。
正面はマッサリア王の本陣。
堂々と戦いを挑む。
マッサリア側は攻囲に人員を取られ、そこまで厚い陣は形成できない。
本陣前に小さいが強固な集団を作った。
遅れて駆け付けたインリウムからの援軍が、アルペドン軍の右翼を攻める。
戦いは三日続いた。
アルペドン軍の果敢な攻撃は確かに多大な損害を与えた。
しかし、攻囲を解こうとエウゲネス王に思わせるには足りなかった。
アルペドン軍は再び王都に籠もった。
マッサリア・インリウム軍はルテシアで豊富に得られる木材を使って攻城機を建造し、王都を攻めた。
以前、ゲランス攻めのときに火攻めに苦しんだため、振り子を応用した破城槌には燃えにくい生木を使用し、矢を避けるために上部を同じく生木の板で囲った。
王都の石壁を叩く重い音は、攻められる者を恐れさせた。
「大丈夫、父祖の代からの壁はあんなちゃちな道具で壊れるものですか」
王妃は気丈に第二王女マリガリタを励ました。
破城槌に加えて投石機も守備側を苦しめた。
轟音をたてて飛来する岩石が、民家だろうが聖域だろうが構わず破壊した。
王都の兵も静観していた訳ではない。
何度も攻城機を破壊しようとアルペドン軍は打って出た。実際、破壊に成功したことも少なくない。
しかし、十日とかからぬうちにマッサリア軍は攻城機を再建し、陰鬱な音を響かせた。
一見膠着した吉報は、ルルディが無事男児を産んだという吉報がマッサリア軍にもたらされた。
エウゲネス王は大いに歓び、父の名を取ってテオドロスと名付けた。
兵たちには薄めていない酒が振る舞われた。
強い霜が降る頃……深夜、マグヌスは唯一の女将軍ドラゴニアの幕屋を訪れ、重装歩兵の損失に関して、また詫びていた。
シュルジル峠の戦い以来、よく眠れぬらしい。
「兵は志願した者ばかりだったのだ。もう気に病むな」
「……」
「それより、王妃ルルディ様のわがままを許したほど女に甘いお前が、女っ気一つ無いのはどうしたことだ!」
ドラゴニアの灰色の目がいたずらっぽく輝く。
「それは……」
「この戦いが済んだら、宴会の場で問い詰めなければならないな。それとも、ここにいる女では物足りないのか」
「──ドラゴニア、冗談は困ります」
「ん──」
ドラゴニアは床几ごとマグヌスににじり寄った。
「困ります!」
その時だ。
「敵襲!」
夜警の叫びが上がった。
城から打って出た三十騎あまりが包囲を突破してシュルジル峠に通じる道を取ろうとしていた。
ドラゴニアは別人のように厳しい顔になって立ち上がる。
東の空には下弦の半月が光を放ち始めていた。
「通すな! 追え!」
ドラゴニアは鎧を着ながら命じた。
歩兵が槍を構えるが、月を背にした巨大な馬の影に腰が引ける。
一団は全力で逃げる。
ドラゴニアは、二本の剣を帯びて馬に飛び乗り敵を追った。
アルペドンの馬は質が良いので知られている。
しかし、重装備の一団と、軽装のドラゴニアとでは馬の負担が違う。
ドラゴニアは先頭を行く騎士の横に並ぼうとした。
間に一騎割って入る。
我が身を盾に、先頭の一騎をかばう。
「どけ!」
短めの剣を振るってドラゴニアは騎兵と切り結ぶ。
黒い影が追い付いてきた。
「ドラゴニア! 先頭を!」
マグヌスの声だ。
「任せた!」
少し引き離された先頭の黒い馬を、ドラゴニアは追う。
横に並び、至近距離で剣を振るう。
「私はリュシマコスの子ドラゴニア! 名を名乗れ」
「……」
相手は返事をしなかった。
しかし、身なりから高位のものであることは間違いない。
思い切って馬を寄せ、ドラゴニアは組み付いた。
「女のくせに!」
「悔しければ名を名乗れ!」
二人はもつれあったまま落馬した。
「我はアレイオが子、アステラス!」
「王子か! 相手にとって不足は無い!」
その勢いのままゴロゴロと地べたを転がる。
ドラゴニアは力に負け、組み伏せられた。
アステラスは長剣を捨て、短剣を抜いた。
「覚悟!」
そのスキに彼女はかろうじて二本目の剣を抜いた。
ガッキと短剣を押しとどめる。
「なんの!」
振り払って立ち上がった。
兜は吹き飛び、淡い金髪が月の光に輝く。
頭二つ分は大きい相手に、全く臆せず剣技を挑む。
「アステラス様!」
「おっと、一騎打ちの邪魔はさせない」
軽く馬腹を蹴り、きらめく槍を右へ左へと向けてくる敵の前に強引に立ちふさがる。この馬とはかつてミタール国内の城で出会った時からの同志、マグヌスの手綱捌きにためらいなく応えてくれる。
引き続いて追いついて来たドラゴニアの部下が、アステラスの部下を追い散らす。
逃亡の失敗は見えていた。
「ドラゴニア、剣!」
月明かりに目を凝らしていたマグヌスが、先ほど彼女が取り落とした剣を、自分の剣先に引っ掛けて拾い上げ、投げ渡す。
彼女は本来の両刀使いの姿を取り戻した。
対するアステラスは短剣一本である。
「クッ! 剣をよこせ!」
部下は誰も自分の剣を渡そうとはしない。
「私を女と見て侮った者の末路よ」
ドラゴニアは右手の剣でアステラスの肩口から斬り下げ、短剣で受けた瞬間に左手の剣で胸を突いた。
よろめくところをさらに右手の剣で斬撃を加える。
たまらず倒れたアステラスの首元に致命的な一撃。
「グーダート神国に逃げようとしたな」
「王が逃したのかもしれませんね」
「王子だったからな。逃さなくて良かった。アレイオには良い教訓になるだろう」
ドラゴニアは二本の剣を鞘に納めた。
翌朝、アルペドン王国第二王子アステラスの遺体は王都の真向かいに晒された。
王都から、慟哭と怨嗟の声があがった。
「まだ第一王子エウロストスの姿を見ていない。王子一人を討ち取ったからと言って気を抜くな」
エウゲネス王は部下に命じた。
そして、攻城戦を制するかもしれない作戦を続行した。
はい、グーダート神国、あっけなく撤退してごめんなさい。
予言とか神託とかがどんなに人を惑わすものか、覚えておいていただければ幸いです。
エウゲネス王とマグヌスの兄弟も不吉な予言を受けていますね。
さて、来週はいよいよこの章の最終回です。
お楽しみに!




