第三章 47.ルテシア王国の手
マッサリア王国には王を出す家系があり、評議会の承認を得て王位に就く。
アルペドン王国には評議会が無く、王は血統のみで選ばれる。
森深いルテシア王国では血筋で選ばれることはない。評議会の選定を受けて、四年ごとに王位につく者が選ばれる。
今の王ソフォスは三期目であるにもかかわらず、彼を凌ぐ人材は生まれていない。
その彼も老年に差し掛かり、次の王は務まらぬと別人が選ばれる予定だが、評議会では人選が難航していた。
彼は膝に甘える孫娘の銀色の髪をなでながらつぶやいた。
「お前をないがしろにしたマッサリアに目に物見せてくれるわ」
「お祖父様、私怖い」
「お前が怖がることはないのだよ」
「私のために戦争はしないで……」
「しないとも……ルテシアがこのまま中立を守り続ければ、勝手に周りが潰れてくれる」
王はシワの刻まれた顔に複雑な笑みを浮かべた。
「老いぼれと侮ったか?」
マッサリアの青年王に嫉妬していないと言えば嘘になる。
「次の王は別の者と決め込んだか?」
次の任期のないソフォス王が最後に仕掛けたのが、マッサリアとアルペドンを衝突させて両国を消耗させ、代わって覇権を握るという策だった。
評議会も同意し、八千人の弩を操る兵の動員が許可され、思惑通り両国は激突した。
誤算はただ一つ、マグヌスが逃げ延びた事である。
「厄介なやつを生き残らせてしまったものよ。死に損なっても身体を張って守る者がいる。まずはそこから……」
秋の日差しにも関わらずひんやりした王宮で、ルテシア王ソフォスは氷のように冷たく次の手を考えた。
マッサリア王宮の西の館に悲鳴が響いた。
テラサがいつものようにマグヌス宛ての贈り物を無慈悲に火に投じているときだった。
見事なイチジクのカゴから太い蛇が現れ、炉の火を逃れて厨房の床を這い始めたのだ。
アゴの張った、一目で毒蛇とわかる蛇。
テラサは悲鳴を上げた。
駆けつけた男衆がよってたかって棒切れで叩き潰し、事なきを得たが、もし彼女がカゴに手を入れていたら、間違いなく噛まれていただろう。
「テラサ、大丈夫だ。蛇はもう死んだ」
遅れて駆けつけたマグヌスがテラサの肩を抱いた。
「嫌いなんです。蛇、大嫌い!」
肩が小刻みに震えている。
マグヌスは休むよう命じ、テラサが抜かりなく記録していた贈り物の一覧表を見た。
「まさか……」
イチジクは北の館のルルディ妃からの贈り物と記載されていた。
ルルディがこんなことをするはずは無い。
「テラサを狙ったのか」
自分が命を狙われる可能性は理解している。
アルペドン王国とマッサリア王国との間に戦争を引き起こした襲撃事件の唯一の生き残り。
あの事件がルテシアによるものと証言できるたった一人の人物。
だから、テラサが面会をすべて断り、見舞いの品も燃やすか土中に埋めるかして処分し、危険を排除してくれたことに深い感謝の念を持っていた。
自分を守り続けてくれた者への攻撃。
マグヌスは、あの皆殺しと同じ臭いを嗅ぎ取った。
「ルテシア出身の侍女長の仕業か?」
北の館を取り仕切る侍女長は、まだ背後関係がつかめず泳がせているままだ。
ルルディ妃の名を騙るにはうってつけだし、イチジクのカゴも自然に動かせる。
しかし、困ったことに、王妃以下、女の領分である北の館にはマグヌスもおいそれと手が出せない。
「こちらから罠をかけておびき寄せよう」
国を危うくし、テラサを危険にさらし、ルルディの名を騙った罪の重さを思い知らせてやる……マグヌスは決意した。
密やかに噂が流された。
西の館の侍女が毒蛇に噛まれたという噂が……。
噂はまもなく北の館にも届いた。
容態を心配して集まってきた女たちの中に紛れて、北の館からもベールを被った女が西の館へやってきた。
女は西の館の侍女たちの部屋へズカズカと入った。
部屋では、例の醜い侍女たちが治癒の神の名を唱えて祈っていた。
「こんばんは、ゲランスの仲間たち……」
「ゲランスはマッサリアによって滅ぼされたわ」
「蛇に噛まれたのはテラサなの? 具合はどうなの?」
「具合は良くないそうよ」
「そう。まだ生きているのね」
「そんな不吉なことを言うあなたは誰?」
「私はフリュネ。王の寵愛を受ける女」
彼女はベールを取った。
同性の目にも美しいと映る女。
治癒の神の名を呼ぶ詠唱が止まった。
「テラサの死を願う者を私たちは待っていたわ」
がっしりした中年女性の手がフリュネの腕をつかんだ。
「捕まえた! 捕まえた!」
侍女たちがはやし立てた。
「どうして……あなたたちはゲランスで捕らえられた捕虜じゃないの! どうしてマッサリアの味方をするの?」
「私たちは奴隷じゃないわ。マグヌス様に解放してもらったの。家族が見つかった人は出ていったし、行き場のない私たちを置いてくれてるの!」
「そんな」
「解放を拒んだのはテラサだけ。それでも彼女はマグヌス様付きの侍女よ」
侍女に呼ばれたマグヌスがテラサを伴って姿を現した。
「フリュネ、か。お前が来るとは思わなかった」
「偽善者! 女たちを味方につけたのね!」
フリュネは侍女たちに取り押さえられたまま、身もだえした。
「なんと呼ばれようと構わない。話してもらうぞ、お前たちの企みを!」
「企み? 何のこと?」
「この通りテラサは無事だ。カゴの毒蛇は無駄に終わったな」
フリュネがテラサを見て、あっという顔をする。
「お前もルテシアの生まれか?」
「どこだっていいでしょ! 私はこの美しさを武器に世界を相手に生きてきたのよ!」
マグヌスが嘆息した。
「──そして、あの侍女長に拾われ、側室になれると甘い言葉を真に受けたか?」
「なぜ知っているの? 嘘だってあなたが言えるの?」
「語るに落ちたな。王は王妃を愛している。残念だったな」
マグヌスの行動は速かった。
部下を連れ、即座に北の館に向かう。
入り口の扉を挟んで、当然押し問答になる。
相手の声はルルディだった。
「王の許可が無ければ男性は入れません。ましてや深夜。下がりなさい、マグヌス」
「王の叱責は覚悟の上。私の大切な侍女を傷つけようとした者がここに居る以上、非常手段を取らせていただきます」
「北の館に入るのは許しません。ですが、誰か言えば引き渡しましょう」
「──侍女長です。計画の失敗を知れば逃亡のおそれが……」
動揺の気配があった。
「侍女長を連れて来なさい!」
細く開けられた扉から夜着姿の侍女長が押し出された。
マグヌスが彼女まで探り当てているとは知らずに、カゴのヘビの策も成功したと安心して眠り込んでいたとみえる。
(彼女の背後に居る何者かに気づかれるかもしれないが、やむを得ない)
「連れて行け!」
マグヌスは部下に命じ、ルルディには礼を言った。そのまま立ち去ろうとしたところ、
「待って。大切な侍女って……あなたには大切な人ができたの?」
「尊敬しすべてを託せる女性です」
「そうなの」
チクリと胸が痛む。
「最終的な処分には王の判断がいるわ。早まらないでね」
「わかりました」
ルルディ妃の名を騙ったことはあえて伏せておいた。
「夜分お騒がせしました」
マグヌスは北の館から去った。
侍女長の身柄は抑えられましたが、果たして禍根は断てたのか……疑問を残したまま、次回は戦場へとシーンが変わります。
一週間後の木曜日20時前後の更新です。
お楽しみに!




