第二章 45.決裂
マグヌスは夢を見ていた。
育ての親である先の王妃が手招きしている。
あたりは暖かい光に包まれ、とても幸せな心持ちだった。
「お義母様!」
少年に戻って、マグヌスは義母の元へ走った。
誰かがドンとぶつかって来て、彼は転んだ。
「将軍、あなたはまだここに来てはいけない」
「だれ?」
「お忘れですか? カイです」
アケノの原でアルペドン軍と戦ったとき、最も活躍しながら戦死した騎兵隊長……。
マグヌスは現実に引き戻された。
「カイ……」
「将軍にはまだやることが残っています」
義母の方を見るとそこにはもう彼女の姿は無く、代わりに黄色いオオカミが立っていた。
オオカミはうなり声をあげて襲いかかってきた。
「うわっ」
「将軍、お戻りください」
カイが両手でマグヌスを突き飛ばした。
彼は重いまぶたを開けた。
見慣れた西の館の古い壁、そして、彼の寝台に突っ伏している侍女……。
「テラサ……」
「ここにおります」
彼女はすぐにマグヌスの口元へその醜いと言われている顔を近づけた。
「ロバのヒンハンがあなたを城門まで連れ帰りました」
「捕虜はどうなった?」
「全滅です」
マグヌスは目を閉じ、その目から涙が流れた。
それから、
「王妃に、約束を守れなくてすまないと伝えてくれ」
言うとまたこんこんと深い眠りについた。
ルルディは臣下の前にもかかわらず驚いて口を開き、あわてて押えた。
「マグヌスが重傷? どうしてそんなことに……」
「まだ、詳細はわかっておりません」
と、竜将ドラゴニア。
「待ち伏せを受けたとのこと。彼をこんな目にあわせた者には必ず制裁を加えます。それから、約束を守れなくて済まないとも……」
制裁なんてどうでもいい、マグヌスが助かってくれれば……。
約束? そんなものもどうでもいい。
「私、お見舞いに行きます」
「王妃様がわざわざ足を運ばれることではございません。それに行ったところであの憎らしい侍女に追い返されるのが関の山です」
マグヌスづきの侍女テラサは面会希望者すべてを断っていた。
彼女にそんな権限があるかどうかは二の次で、主人を守る頑迷なまでの忠実さの前に、皆が踵を返した。
見舞いの品もすべて拒絶した。
(マグヌス様は私が守らなくては)
無防備なマグヌスを前に、彼女の心の中には、ただの奴隷と主人という以上の感情が芽生え始めていた。
アルペドン王アレイオは怒りのあまり青ざめた顔をして、マッサリアからの使者テトスに相対した。
壮麗な王の間、豪華な装束、それらはこの悲劇の背景でしかない。
捕虜たちの悲運を彼はすでに知っていた。
「捕虜を帰すと嘘をついたな。誓約を破ったな。キュロスは、我が子はどうなった!」
テトス自身も当惑を隠せなかった。
「マッサリアにとっても残念なことです。ルテシアとの国境で待ち伏せにあい、キュロス王子以下全員は亡くなりました。どの勢力が待ち伏せたのか探索中です」
アレイオは慟哭した。
「お前たちは私の王子に奴隷労働させ、殺した。許さない」
「身分を明かすのはキュロス王子自身が嫌がられたのです。それにこちらも将軍が重傷を負わされました。下手人は厳しく捜索します」
「貴様らの言葉など、あてになるか!」
アレイオは吠えた。
「この場でマッサリア王国への宣戦を布告する。キュロスと捕虜たちを殺した報いを受けるが良い!」
アルペドン王国の宣戦布告を受け、テトスは同盟国へも決戦を知らせる使者を走らせていた。
両者がいずれ戦う運命にあるのは予期していたことではある。
「こんな形で始まるとは……」
今や親友ともいうべきマグヌスが死線をさまよっている。
智将と呼ばれる彼にも、この戦いを避けるべきだという考えは浮かんでこなかった。
むしろ、
(アレイオが王子を生贄にして開戦の口実を作ったのではないか)
とさえ疑っていた。
「ルテシアとの国境の砦が攻撃されました!」
早くも被害の報告があがってくる。
エウゲネスは、メラニコスを向かわせた。
「ドラゴニア、次はお前だ」
「はい、私はいつでも」
防戦一方になりながら、エウゲネスは指示を飛ばした。
「やはり宣戦布告してきたぞ」
テラサは、例外中の例外としてルークをマグヌスの病室へ招き入れた。
ルークはマグヌスに語りかける。
「応戦ならば王の権限で戦えるそうだな。評議会の決定はいらない……。受けて立つとみんないきり立っている」
この地方はこれから葡萄の収穫で忙しくなる。
大半が農民でもある兵士たちは当然出征を嫌がった。
だが、
「お前が重傷を負わされたと聞いて、皆が武器を取ることを選んでいる。報復だ」
ルークは眠り続けるマグヌスの手を取った。
「なあ、マグヌスよ。俺も王に命じられれば戦場に出るぞ。おまえの寄せ集めの軍隊とともにな」
彼は親友に託されたことを実行しようとしていた。
「俺は指揮なんかとったことはないがな」
マグヌスが、やっと目を見開いた。
「開戦ですか」
「そうだ。アルペドンからの宣戦布告を受けてな」
マグヌスは起き上がろうと弱々しくもがいた。
ルークが慌ててマグヌスを支える。
「いけない! 戦ってはいけない」
「もう戦うしか無いんだ」
「エウゲネス王に申し上げます。戦ってはダメだ!」
テラサが飛んできてマグヌスに鎮静剤を嗅がせた。
「ルーク、出てください。マグヌス様をこれ以上興奮させないで」
「戦ってはいけない……」
彼は崩れ落ちながらつぶやいた。
マグヌスの必死の訴えにもかかわらず、マッサリア王国は怒涛の勢いで戦乱に突入していった。
第三章〈完〉です。
第四章に向けて少しお休みをいただきます。
今後とも「スティグマ」よろしくおねがいします。




