第二章 44.皆殺し
マグヌスは地に伏したまま、近づいてくる足音を聞いた。
遠くからいくつも断末魔の悲鳴があがる。
明らかに、助けているのではなく、息のある者を確認して処理しているのだ。
マグヌスは抜き放った剣の柄を握りしめた。
機会は一回限り。
そっと頭を回し、ロバの居場所を確かめる。
幸い、さして遠からぬ場所にぽつねんと立っていた。
主人の心配でもするかのように。
(あそこまでなら走れる)
悲鳴が近づいてくる。
戦う力の残っていない者にトドメを刺していく作業だ。
さぞ楽な事だろう。
マグヌスのところにも剣を持った兵が来た。
剣を振り上げ、振り下ろそうとした兵の胸を、マグヌスは下から全力で突き上げた。
「生きているのがいたぞ!」
彼は飛び起きてヒンハンのところへ走った。
一気に飛び乗る。
「走れ!」
背後から追いすがる蹄の音に耳を澄ます。
手綱を引いて急制動し、鐙に足を踏ん張って振り向き、背後の追手の顔面を狙って一突き。
ドウッという落下音を背中で聞く。
また走る。
あたりは暗くなってゆく。
それが日が落ちた為なのか、出血のせいなのか彼には分からなかった。
ヒンハンは最初こそ全力で走ったが、だんだん歩みを緩めた。
「ブルルルッ」
鼻を鳴らしてマグヌスの指示を求めているが、彼にその余裕は無い。
ヒンハンは長い耳を立てて追っ手の気配を探っている。
温かいものがヒンハンの背を濡らしていた。
「ブルルルッ」
ヒンハンはもう一度鼻を鳴らすと、ロバの本能に従って一直線に住処に戻り始めた。
マグヌスは必死でヒンハンのたてがみにしがみついていた。
時折気が遠くなりながら、マグヌスは指に力を込め、ほとんど意識を失って王都近くまでたどり着いた。
騒がしい人の声がする。
ヒンハンの背からずり落ちるのを支えるいくつもの手。
何か柔らかいものを敷いて、地面に寝かされる。
宙に浮いているような気持ちだが、まだ、あれを伝えなければならない。
それまでは死ぬわけにはいかない。
「マグヌス、わかるか?」
ルークの声だろう。
「待ち伏せ……」
一言こぼして、それきり青ざめた唇は動かなかった。
瀕死のマグヌスは西の館に運び込まれた。
「皆様、このお部屋を出てください」
湯と海綿を用意したテラサが言った。
「お前さんに矢傷の手当なんかできるのか?」
「できます」
「人手があったほうが……」
「マグヌス様はそれを望んでいません」
有無を言わせず皆を追い出すと、テラサは衣類を切り裂き、鎖帷子を脱がせた。
血でグッショリと重い。
「マグヌス様、私がお助けします」
うつ伏せに寝かせて背中の血を拭き、鏃が残っているものは小刀で摘出する。
深い傷は縫い合わせ、他の傷にも血止めの脂を塗った。
テラサは手慣れた様子で一連の作業を済ませると敷布と薄い布団を掛け、垂れ幕の外で固唾を飲んでいるルークたちを呼んだ。
「手当は済みました」
「助かるのか」
「出血が多いので……五分五分かと」
刀傷で歪んだ彼女の表情は読み取れない。
知らせは王にも届いたとみえる。
早速様子をうかがいに従者が来る。
「容体は五分五分。待ち伏せにあったと、本人が言いました」
ルークは簡単に返事をした。
「ここで祈っているより俺……いや私はマグヌスの足取りを追ってみます」
エウゲネス王に伝え、ルークはマグヌスの部下と共に街道沿いにアルペドンの捕虜たちの跡を追う。
ルテシアとの国境まで来て、ルークたちは顔をしかめた。
死屍累々……。
捕虜たちは全滅していた。
鎧を着たのはマグヌスの部下だろうか……。
「国境のちょうど内側でやってやがる」
「来てくれ、これがキュロス王子じゃないか?」
大男の遺体をどけて見るとまだ少年のような遺体があった。腕に青銅の腕輪をしている。
「こりゃ、身体を盾にしても間に合わなかったんだな」
少年の胸に刺さった矢は心臓を捉えていた。
矢にも特徴はなく襲撃者を特定するのは困難だった。
「キュロスの遺体は別に葬ってやろう。俺に考えがある」
ルークは、少年の遺体を抱えあげた。
報告を聞いた王は将軍たちを呼んだ。
「捕虜の帰国の情報が漏れていたようだ」
エウゲネス王が重々しく言った。
「マグヌスは待ち伏せにあったと言葉を残している。捕虜の引き渡しの時と道を知るのは諸君らのみ……」
「儂ではありませんぞ」
王が言い終わる前に、その先を察したピュトンがさえぎって叫んだ。
「マグヌスも逆らった奴隷たちも嫌いだがこんな非道なことはしない。何よりアルペドン王国とことを構えるつもりはない!」
「国境の外側なら我々は誓約を守ったことになる。どうにかならないか?」
「キュロス王子が亡くなっている以上あまり意味はありますまい」
「まだ少年とか。無事帰国して成長し、良き敵となってまみえたかった。さぞ無念だったでしょう」
ドラゴニアの形の良い唇からキュロスを悼む言葉がこぼれる。
「俺は国の誓約だとか面子だとかそんなことは知らん。ただ、あの現場を見れば皆殺しという強い殺意を感じるね。俺の友人マグヌスを含めてだ」
マグヌスの代理という形で参加していたルークが言った。
いったん言葉を切り、
「誰か、戦争を起こしたがっているんじゃないか? アルペドン王国と」
ドラゴニアが立ち上がった。
「無礼者!」
「俺の親友を殺そうとしたやつに礼儀はいらんね」
王が噛んで含めるように言った。
「ルーク、アルペドン王国との戦争は不可避なのだ」
「戦争は鎧を着た連中でやればいい。無防備な、国へ帰れると喜んでる連中を皆殺しにするのが戦争なら、俺は嫌だね」
「言いたいことはそれだけか?」
「……」
「聞きおいた。ルーク、おまえは西の館に帰って、マグヌスの回復でも祈れ」
軍議は続いたが、ルークはその場から追い出された。
「畜生。マグヌス、死ぬなよ」
ルークは西の館に戻るしかなかった。
あと一話で第三章も終わりです。
読んでくださる方のおかげで頑張って来れました。
ありがとうございます。




