序章 4.チタリスへ
チタリスへの街道を、のんびりと塩屋の隊商が行く。
この辺りは略奪の痕跡も無く、のどかである。
すれ違う避難民もいない。
「本当に限定的な戦闘でメイの城は占領されたんだな」
塩屋の親父がマグヌスに話しかけた。
「手引きした者がいたらしいぜ」
「噂でしょう。曖昧なことは言わないほうが……」
マグヌスが生返事をする。
いらぬ噂を聞かされる、ヒンハンに乗ったルルディの心中が心配だ。
「まあな。ただ、火のないところに煙は立たないとか」
「チタリスに、変わらず叔父様がいらっしゃると良いのだけれど」
ルルディが小さな声で言った。
聞いているのがつらくなってきたらしい。
「九分九厘ご無事でしょう」
「ええ……」
チタリス城下町の周りを囲む石壁と立派な城門が見えてきた。
商人や所用があって行き交う人々が行列をなして審査を待っている。
塩屋の親父は草の茎をくわえて上下に動かしていた。
待つのは苦手らしい。
やっと順番が来て、塩の販売の勅許状を番兵が改める。
「ふむ、確かにマッサリア王国と近隣国、それにアルペドン王国のもあるな」
「順番に廻って、お得意先に卸して参ります」
番兵が荷車の列を見る。
この量は小売ではなく、卸の商売だ。
書面にも問題は無い。
「関税、金貨一枚を納めて城壁の中へ進め」
少し緊張しながら、一行はチタリスの門を潜る。
ホッとした瞬間、
「その女も商品か?」
ルルディを怪しむ番兵。
「とんでもない、チタリスに縁のある娘さんを預かっているだけですぜ」
「私はメイ城主の娘、ルルディです。チタリスの叔父様に会いに来ました」
チタリスの者になら大丈夫だろうと勝手に判断したルルディが、マグヌスが止める間もなくうっかり事実を口にした。
塩の一行は仰天したが、番兵は本気にせずに畳み掛けた。
「そんなに日に焼けた姫様があるものか!」
「……失礼な! これは渋とかいうもので……」
塩屋があわてて間に入る。
「お聞きでしょう、気の毒な娘さんなんですよ」
「何を言うのです、私は間違いなくチタリスの……」
塩屋は番兵に目配せした。
「な、そこで拾ったんだが、それしか言わねぇ」
「もしや、戦いのショックで自分を城主の親類と思い込んで……」
「俺もそう思ってるんだが、せっかくだ、チタリスの城でも拝ませて……」
塩屋の前で槍が交差した。
「拾ったと言ったが、人さらいは重罪だぞ。塩の稼ぎだけでは足りずに奴隷にでも売るつもりか!」
マグヌスはあえて静観した。
塩屋の親父の交渉の腕を信じてである。
「もちろん、駐屯所に届けますさ」
塩屋はにこにこ笑いながら、衛兵に銀貨を渡そうとした。
「無礼者! 自分を買収する気か!!」
逆効果だった。
「すみません、これはご無礼を……」
塩屋に構わずルルディは言い募った。
「お願いです。私はここの叔父に……」
「ちょっと黙って!」
言い合う二人を、マグヌスがさえぎった。
「名乗りもせず失礼しました。私はこの隊商の用心棒、マグヌスと申します」
剣を叩いてみせる。
「同じ隊商の者の言葉では安心できないかもしれませんが、このお嬢さんは確かにそこの城外で保護した者」
軽く南国なまりを効かせながら、
「塩の売買は国家の大事、その義務を重んじたからこそ、官憲に代わって両親と生き別れになったかもしれないかわいそうな娘さんを近所のチタリスまでお連れしたわけで」
「よく回る舌だな」
衛兵は、それでも疑り深そうに見ている。
「必ず、然るべきところにお連れします」
「いや、ここで我々が確保する。不審な者を安易に壁の内側にいれるわけにはいかない」
「もっともです。では、お願いします」
マグヌスはルルディの手を取って、衛兵に渡した。
「あとで必ず助けに来ます」
そっと彼女の耳元でささやく。
「そんな……あと一歩で叔父様に会えるのに。裏切るの?」
「いつまで同じことを言ってるんだ」
番兵が乱暴にルルディをロバからおろした。
「何をするんです!」
ルルディは、塩の一行と引き離され、門を潜ってすぐ右側の不審人物を入れておく部屋に放り込まれた。
「なんて所に……」
一目で分かる浮浪者、剣呑な雰囲気を漂わせる主のない傭兵、老いて酔っ払った芸女……半分腐った藁の上に坐っている。
「マグヌス!! 嘘つき!!」
厚い木の戸を叩いて、ルルディは怒った。
手が痛くなるまで叩き、さすっては、また叩き……。
「誰もいないの⁉️」
やっとチタリスに来たというのに、話さえろくに聞いてもらえず、叔父にも会えないのか?
そもそも、マグヌスなんて男を信じたのが間違いだったのか。
食事も水もなく、そのまま夜を迎えた。
疲れ果てたルルディは、扉の脇にうずくまっていた。居心地の良い隅っこは先客に奪われている。
(マグヌス……どうするつもり?)
見放されたかと思うと心細くてまた叫び出しそうになる。叫んでも狂人のそれと思われるだけなのだが。
しかし、まだ夜が浅いうちに、扉は静かに開いた。
「ルルディ様……」
「マグヌス?」
「お一人にして申し訳ありませんでした。この部屋は一応門内。門をお通しするには、いったん離れるしかありませんでした」
ルルディはマグヌスの胸に飛び込んでぽかぽか叩いた。
「私が、どんな思いで……ひどい!!」
「申し訳ありません」
ルルディは部屋から導き出され、街路の方へ向かった。
建物の入口と、通路のそばに倒れた衛兵。
「気絶させるのに少々手間取りました」
危険を犯してくれたのだ。
「さあ、もうチタリス内部です。塩屋に礼を言って別れましょう」
「ええ、そうしましょう。あまり迷惑をかけてもいけないわ」
塩屋たちは宿を取って待っていてくれた。
ここで別れようとマグヌスが言ったが、親父が引き留める。
「雨になる。女が雨の夜なんかに出歩いていると、連れがいても不審者と思われてあの部屋に逆戻りだぞ」
貴重な塩はすべて部屋に運び込むという念の入れようである。マグヌスは塩と一緒に、ルルディは一人の部屋で休ませてもらった。
塩屋の下働きは、一つの部屋にぎゅうぎゅう詰めで宿賃を浮かす。
寝台は一つしかない。
誰が寝るか、寝台から飛び出した藁でくじを引いた。
「おっしゃ、当たり!」
「くそっ、親父のドケチ!」
外れた者の口からは苦情も出ようというもの。
はたして、親父の予想通り夜は滝のような雨になり、塩屋はニンマリ笑う。
ルルディは雨の音を聞きながら、宿から湯をもらって顔と手足の渋をこすり落とした。
翌朝。一転してからりと晴れた青空が美しい。
「じゃあな。元気でやれよ。その別嬪さんも」
「ありがとう。力がいるときはいつでも呼んでくれ」
「神々の引合せでお前さんたちとはもう一度会いたいよ」
朝日の中で二組は別れた。




