第二章 38.作り笑いの国
夜目にも美しい侍女フリュネは、エウゲネス王に名を問われて、
(ついに王に名を知られるとこまできたわ)
彼女は胸の内で密かに拳を握った。
(あんなお子ちゃまに私が負ける訳がないのよ)
お子ちゃまとはルルディ王妃のことである。
確かにルルディは美しいというより愛らしい顔をしていた。
しかし、その心の中には強い意志があった。
あの後すぐにマグヌスから手紙が来た。
フリュネの名前は記録にあるが不審な点があり、身元を洗い直している最中だということ。
このことは王にも告げてあること。
王が「少し気のあるフリをして揺さぶりをかけて見よう」と言ったこと。
──ルルディは王妃なのだから堂々としていれば良い……。
手紙を燃やしながら、ルルディは男たちの身勝手さに腹を立てていた。
(私の気持ちなんてどうでも良いのね。マグヌスだってフリュネを我慢しろって言うし……)
そこではたと気がついた。マグヌスは今回一度も「大丈夫」と言っていない。
それだけ事態は深刻なのだ。
しかも彼は北館には自由に立ち入れない。
塔に隠れて物思いにふけっているとあっという間に夕刻になった。
王が夕餉を共にしようと──これは新婚の間だけなのだが──声がかかった。
「エウゲネス様!」
ルルディはなんとか笑顔で挨拶しようとした。
フリュネがいつの間にか左側にいる。
「どうしたのかしら?」と思ったとき、フリュネの足がルルディのサンダルを踏んだ。
「キャァ!」
ルルディはエウゲネス王の前で無様に転倒した。
フリュネの仕業だと気づいた者はルルディ以外にいない。
「王妃よ、大丈夫か?」
エウゲネス王が手を差し出した。
羞恥よりも怒りで真っ赤になってルルディは立ち上がった。ワナワナと唇が震える。
フリュネが何食わぬ顔で手助けする。
触られたところが毛虫にでもたかられたように不快だ。
(一ヶ月。一ヶ月でフリュネの正体を暴いて)
「一ヶ月」
ルルディは噛みしめるようにつぶやいた。
「ルルディ、痛いところは無いか」
「ありません」
(心が痛いわ)
フリュネは今度は王の側に寄る。
さり気なく柔肌を押し付ける。
もし、事前に手紙を読んで無かったら、ルルディはとても平静ではいられない。
(半月でも無理)
エウゲネス王は、そんなルルディの煩悶に気づいてか気づかずにか、そっと彼女を抱え上げた。優しく語りかける。
「この方が安全だ。寝床へ行こう」
「はい」
彼女は王に抱えられたまま垂れ幕で仕切られた寝室へ向かう。
二人は寝室で軽い夕食を取った。
フワフワのパンに蜜をかけたもの。
熟れた葡萄。
干しイチジク。
チーズ。
それから、蜂蜜酒だ。
「王妃、新婚早々苦労をかけるな。それもこれもアルペドン王国との和議が上手くいってないせいなのだ」
「そうなのですか」
「ゲランスと戦ったばかりだし、和議に応じてもらわねば困る……」
「表向きのことはわかりませんわ」
「いいんだ。ただ聞いてくれ」
「はい」
「アルペドンを相手にする国力は無い……」
「まさかマッサリアが……」
「どこも内情はそんなものだろうよ……さあ、もう休もうか」
「はい」
大きな灯りが消され、枕元の常夜灯だけになった。
翌朝。
「済まないがこれからは今までのように毎晩ここに来ることはできなくなる。しばらくの間だ。我慢してくれ」
「ええっ!」
「銀貨の件が山場なのだ。ほら、一つやろう。二十五リルだ」
朝日の中でできたての銀貨がまぶしく輝いた。
「これが私ですか?」
銀貨の表面、エウゲネス王と重ねて刻印された女性の横顔。
マッサリアの持てる技術の最高峰を駆使して、よく特徴を捉えている。あのときの作り笑いそのものだ。
「そうだとも。ミタール公国のご両親も喜ばれることだろう」
王はともかく、作り笑いを浮かべた自分の顔が刻印された銀貨が国中、いや、広く外国にも流布されると思うと、ルルディの頬はほんのり染まった。
「私、なんだか恥ずかしいわ」
エウゲネス王は大きな声で笑った。
「ゲランス鉱山の銀は無尽蔵。これからますます忙しくなるぞ」
「銀の装飾品は作らないのですか?」
「銀は貨幣用だな。一緒に少し金も取れるからそれをそなたの装身具にまわそう」
「……」
王の配慮は嬉しいことなのに心から喜べず、王妃として素直にそばにいられない。
(マッサリアは作り笑いの国だわ)
彼女はなんとも言えない居心地の悪さを感じた。
ルルディ妃との約束に縛られたマグヌスは、アルペドンから帰って来たばかりのテトスをやっと捕まえた。
「身元の怪しい侍女がいて王に近づこうとしているだと?」
「栗色の髪に琥珀のような瞳、一目見て美しいと思う女性だそうです」
「王を害そうと思っているのか、何か情報を引き出そうと思っているのか……」
マグヌスはそれ以上にルルディの心根が心配だ。
「ルルディ王妃が泣いておられました」
「ミタールとの縁を割くつもりかもしれんな」
「これから諸国を廻るのでしょう。その間に何か気づかれたら教えていただきたいのです」
テトスは難しい顔をした。
「できるだけやってみよう。だが、王と王妃をお守りするのはそちらの責任だぞ」
「もちろん」
マグヌスはキッパリ言ったが、ルルディと約束した一月の猶予には間に合いそうにない。
頭を抱えて、彼に与えられている西の館に戻って行った。
「おかえりなさいませ」
顔面に刀傷を負った侍女テラサが落ち着いた声で出迎えた。
マグヌスは、彼女に洗いざらい話した。
同じ女、テラサのほうが心の機微はよく分かるかもしれない。
「あまりといえばあんまりな。王妃様のお心に刺さった棘は毎日深く食い込んでいることでしょう」
テラサは歪んだ顔の眉をひそめた。
「それはそれとして、一番厄介なのが間者の場合ですね。ただその場合必ず情報を伝えますから、そこを取り押さえるのが良いかと」
「なるほど」
マグヌスは膝を打った。
フリュネの正体、引っ張ってごめんなさいです。
もう少ししたらそれどころではない事件が起きます。
皆様の応援に支えられて話は進んでいきます。
よろしくお願いします。




