第二章 37.女の戦争
マグヌスの声を聞いて、ルルディは心臓をぎゅっとつかまれたような気がした。
「いい眺めでしょう。王宮の向こう側、南に見えるのが城下町、西に広がるのが我が国一番の穀倉地帯……葡萄もたくさん採れます」
「え、えぇ」
「何かあったのですか? 王が心配されて特別に私をよこされたのですが」
「そう、私が心配じゃなくて王に言われたから来たのね」
軽いやつあたりは軽くいなされた。
「言われても、心配でなければ参りません」
ルルディは階段を降りようとした。
気配を察してマグヌスの制止する声がする。
「そのままで。泣きはらしたお顔を見るのは失礼に当たりましょう。お話を聞きます」
ルルディは逡巡した。
たかが一言ではないかと……。
だが、過去の逃避行でつちかった信頼が羞恥心に勝った。
「──私に言ってきた侍女がいるの、自分が王の寵愛を受けると……」
マグヌスはしばし沈黙した。
言葉を選んでいる。
「どの侍女ですか?」
「フリュネという新しい侍女!」
「何をしている侍女ですか」
「普段はわからないわ。ただ王がお見えになるとどこからともなく現れてつきまとっているの! 栗色の髪と琥珀のような瞳は確かに美しいわ」
婚礼前にピュトンたちはルルディに嫌がらせをした。
だが今、ピュトンは登城を禁じられているし、侍女の扱いはドラゴニアの役割だ。
こんな底意地の悪い小細工をする者はマグヌスには思い当たらない。
「ミタールはマッサリアに比べて小さな国。私、釣り合わない花嫁だったのかもしれない」
「それでしたら心配はいりませんよ。先ほど描かれたあなたの横顔は新しくマッサリアが発行する銀貨に刻まれます。それを世に広めるにはミタール公国の経済力が不可欠なのです。だいたい、釣り合わない伴侶だったら一緒に貨幣に刻むわけがないでしょう。十分に愛されている証拠です」
「……」
愛されていることと銀貨に刻まれることの因果関係はルルディにはピンとこない。
国家の勢力を争うのは男の仕事だ。
「まずはドラゴニアに言って、フリュネとかいう侍女の身元を確認します」
「嫌よ。すぐにほかへ移してちょうだい。もう顔も見たくないの」
「ルルディ様、これは私の直感なのですが、信じていただけますか?」
「なに?」
マグヌスの言葉は慎重だった。
「事に当たるには最悪の事態を予測しなければなりません。一人の侍女の持ち場を移すのは簡単なこと。ただ、なぜ彼女があなたにそこまで挑戦的で無礼な言葉を吐いたのか、その背景がわからなければ根本的な解決には至りません」
「どういうこと?」
「王妃様には今しばらく耐えていただきたいと言うことです」
ルルディは落胆のため息をもらした。
「酷いお願いをしているのはわかっています」
「本当に酷いわ」
「一人ではありません。エウゲネス王も私もあなたの味方です」
「でも、フリュネは美女よ。王のお心が動いたら……」
「それは無いと断言します。五将の一人として、王のお側近く仕える者として」
ルルディはもう一度ため息をついた。
「男は戦場に命をかけ、女は愛に命をかけると聞いたことがあります」
「わかったわ。これは女の戦争なのね」
彼女の口調が変わった。
「いいわ。しばらくフリュネの勝手にさせる」
「助かります」
「一月」
「え?」
「一月でフリュネの正体を暴き出して」
「──わかりました」
マグヌスが去る気配がした。
ルルディは深呼吸した。
──女の戦争──
(負けるもんですか。下っ端の侍女なんかに)
彼女は美貌を武器に底辺から頂点に上り詰めた女たちの昔話を、今はすべて忘れることにした。
マグヌスは、急いでドラゴニアを探した。
彼女はちょうど戦争捕虜たちの割り振りを終えてくつろいでいた。
美青年が二人、彼女の足を揉んでいる。
顔を向けた時の様子で上機嫌なことが見て取れた。
「マグヌス、テラサは気に入ったか? 十分に醜かろう」
「この上なく気に入りました。解放は本人の意志でもう少し伸ばしますが」
「物好きもあったものよ」
マグヌスはのんびりしているドラゴニアに強い口調で頼んだ。
「北の館の侍女の素性を知りたいのです。もう一度巻物を開いてください」
「ええ?」
「最近配置されたフリュネという侍女です」
剣幕に押されてドラゴニアはすぐに記録を取り出した。
「フリュネと言ったか?」
「そうです。栗色の髪に琥珀のような目」
「ちょっと待て。北の館の侍女だな」
「はい」
ドラゴニアは巻物をほどいた。
「間違いなく居るぞ。ゲランス王都で得た戦争捕虜だ」
「念のために、ゲランスの捕虜を取った際の記録はありませんか?」
そこまで確認したいのかと渋面を作ったドラゴニアだが、別の巻物を取り出す。
荒っぽい字で投降者の一覧が書かれていた。
「フリュネ、ゲランス王都在住、孫二人とともに投降、孫の名は……なに、孫?」
「年齢が合いませんね」
「これはどうしたことだ!」
「分かる限り調べてください。お願いします」
ドラゴニアは真顔になって、待機していた美青年たちに出ていくように命じた。
その夜。
エウゲネス王はいつものように北の館を訪れたが、普段より優しかった。
「我が妻のご機嫌は直ったかな」
「はい、取り乱して申し訳ございませんでした」
「私より世知に長けたマグヌスのほうが、うまくとりなしてくれたとみえる」
「はい。エウゲネス様を信じますわ」
ルルディの表情は少し固いが、油の薄明かりではわからない。
侍女が果物を盛り合わせた器を持って二人に近づいた。
「ほう、こんな美女を召し抱えていたとは」
「王のお気に召しましたか?」
「栗色の髪、琥珀の瞳、このあたりでは見かけぬ美女だ」
ルルディが固い声で侍女に命じた。
「もう少し近づいて王によく顔を見せてあげなさい」
「うむ、美しいな。名は何という?」
「私はフリュネと申します」
彼女は勝ち誇った笑顔を浮かべて答えた。
ルルディVSフリュネ、女の戦い本格戦に入りました。
フリュネの正体は?
続きをお楽しみに。
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