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第二章 36.銀貨と涙

 老将ピュトンはエウゲネス王に叱咤しったされてから、必死になっていた。


「王は銀貨を発行しようとなさっている……」


 それを知ってから、国じゅうを探し回って銀加工の職人をかき集めた。

 

 銀貨一枚の重さを定め、表に王と王妃の横顔を刻印し、裏にはマッサリアの紋章であるワシを入れる。銅貨は一リル、銀貨は二十五リル、金貨は百リルだ。補助硬貨として十分の一リル、銅貨を割ったモルがある。


 良質な銀でなければならないため、精錬所も新たに手を加えた。

 

 働かされたのはもちろん戦争捕虜どれいたちである。


 アケノの戦いの勝利とゲランス攻略とで、マッサリアには潤沢に奴隷がいた。


「使いつぶしてかまわん。王の気に入る貨幣を一刻も早く作るのだ」


 ピュトンの方針は言葉にするまでもなく末端の奴隷監督官まで行き届いた。

 炎天下、奴隷たちは水を求めることが多かったが、監督官の気分次第で水の配給が決まった。

 監督官たちはわずかな水で戦争捕虜(どれい)たちを支配していた。


 そんな中に、二の腕に青銅の腕輪をはめた一人のまだ少年の奴隷がいた。

 なぜか、周りの者は彼に重労働をさせないようにかばった。

 監督官に気付かれないよう、彼に礼をとるものも少なからずいた。


「キュロス様……」

「しっ、ここでは名を呼んではいけない」

「あなた様がこんなことをなさるのは間違っています」

「良いんだ。僕だけが楽をしてはいけない。お前たちがこんな目に合ってるのは、僕たちの判断が間違っていたからなんだ」

「どうして、キュロス様だけが……」

「うん。お兄様たちは逃げたみたいだけどね」

「水をどうぞ」

「ごめん。僕ばかりが……」


 少年は嗚咽をこらえた。


「監督官が来るぞ!」


 集まっていた奴隷たちは、さっと、作業しているふりをした。


 いつ果てるとも知れない重労働。その中で、あの少年の存在が彼らの生きる支えになっているようだった。


 


 登城を禁じられてから一月、ピュトンはできる限りの努力を重ね、秘策を持って恐る恐る王の前に出た。


 王が銀貨を発行したがっていると先に気づいたのはマグヌスなのだ。出てくるなと言われて一月、うかうかしていると銀鉱山の経営をマグヌスに奪われかねないと、心中穏やかではない。


「エウゲネス王、および王妃様、本日は絵描きを連れて参上いたしました」

「おう、銀の品質は上がったか?」

「はい、マッサリア国の名誉を汚さぬ質に仕上がりましてございます。そこで、貨幣の表に入れます王様と王妃様のお顔を写したいと思いまして……」


 エウゲネスは手を叩いた。


「誰か、ルルディを呼べ! 王妃の礼装で来いと」


 ルルディは急いで王妃の礼装にふさわしい豪華な装飾品を着けて王のもとに出向いた。

 王妃が本来の住居である北の館から出てくるのは珍しい。

 こぼれるような笑顔を期待したが、彼女はうつむき気味で表情はさえない。


「どうしたのだ、浮かぬ顔をして?」

「冠が少し重いのです」


 エウゲネスは笑った。


「王妃ならではの悩みだな。とってもかまわんぞ」

「いえ……大丈夫です」

「この国から世界を支配する銀貨にお前の横顔も刻まれるのだ。喜べ」

「はい」


 返事は素直だが、やはりあの笑顔は無かった。


「家族でも恋しいのか?」

「──はい、少し」

「無理もないな。だが、お前は大国マッサリアの王妃だ。しっかりしてもらわねば困る」


(どうしたというのだ?)

 

 エウゲネスは当惑顔をした。


「まあ良い。そこの絵描き、急いで描き上げろ」

「ははぁ!」


(泣くもんですか。あんな言葉を言われただけで泣いたりするもんですか)


 ルルディは気丈に笑顔を作った。


 ──私はフリュネ、王の寵愛を受ける女──


 すれ違いざまのあの一言は、新婚の彼女の胸をえぐった。

 今も見えない血を流していると言っていい。

 フリュネの言葉で傷ついた彼女の表情は、北の館の夜の薄明かりでは王には見えていなかった。

 王妃としての誇りにも関わること、夫王にどう切り出していいものか彼女にはわからない。

 深い悩みを打ち明けられそうな心当たりは、マッサリアにはマグヌスしかいなかった。


(マグヌス、助けて。私、どうしたらいいの?)


 めったに出ない表に出た機会に、彼女の目はあの懐かしい顔を探した。

 王とそっくりな、でも表情豊かなあの顔を……。


 残念ながら、いかめしい老将ピュトンの苦虫をかみつぶしたような顔と目が合っただけだった。


「まもなく終わります」


 絵描きがペンを走らせながら言った。


(マグヌスはいないのね)


 今ほど彼に「大丈夫」と言ってほしい時は無いとルルディは思った。


「終わりました」


 その言葉と同時に、ルルディは北の館へ走った。


「王妃様、どうなさったのですか?」


 侍女たちが口々に問うが、ルルディは答えられない。


(どこか、一人で思いっきり泣けるところ……)


 彼女は、侍女たちを振り切って、北の館の塔に上った。

 有事の際に利用する見晴らし台を兼ねた塔である。

 見張り一人分の場所しかない。


 ルルディは、しゃくり上げて泣き始めた。

 くやしさと心細さと嫉妬と……。

 

(やっぱりエウゲネス様に相談なんてできないわ)


 泣きたいだけ泣き終えて、ぼんやりと見張り台から見える風景を見る。

 麦畑は収穫が済んで空き地となり、遠くにブドウ畑が広がっていた。

 

(メイのお城から見えるのと同じなのに、なんでこんなにつらいのかしら)


 と、そこへ、


「おやおや、よくご存じですね。私も子どもの頃よく義母に叱られてはここで泣いたものですよ」


 彼女が一番聞きたかった声が、階段の下からいかにものんきそうに響いてきた。



侍女フリュネの宣戦布告ににょって、ルルディはつらい立場に追い込まれます。

マグヌスがまた彼女を救えるかどうか……。


応援いただけると、作者のモチベアップにつながります。

よろしくお願い申し上げます。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ルルディさんが、エウゲネスさんに正直にフリュネのことを相談できたらいいのだろうけれど、恋愛関係もなく嫁いできて、まだまだ遠慮もあるだろうし難しいところだよなぁ(;´・ω・) こんなふうに不…
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