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第二章 34.美醜のはざま

「ドラゴニア! ドラゴニアはいるか?」


 マグヌスは、翌朝竜将ドラゴニアの執務室を訪れるなり、要件を切り出した。


「西の館へ配置した侍女すべて、引き払ってもらおうか。いい迷惑だ」

「そう? 結構みんな喜んでいるけど」

「だいたい私は戦争捕虜を奴隷にするのは嫌いなんだ」


 ドラゴニアは子どもを諭すような顔になった。


「まだそんな絵空事を言ってる。勝者が敗者を支配するのは当然のこと。でもおまえのそんな純真なところが好きだよ」

「好き嫌いはどうでもいい」

「そうそう、あなた専用にはとびきりのを選んでおいたわ。名前はテラサよ」

「じゃあ、その女から解放して自由民にしてやる」

「どうぞご勝手に」


 ドラゴニアはせせら笑った。


 若い日を過ごした南の国で、マグヌスは胸の烙印(スティグマ)故に解放奴隷とみられることが多かった。その経験が彼に奴隷制を嫌わせているのだが、彼女はもちろん知らない。


 マグヌスは怒りを抱えたまま西の館に帰り、侍女たちに、


「テラサという女はいるか?」


 と、聞いた。

 侍女たちがざわっと騒いだ。

 そして押し出されるように一人の女性が前に出た。


「私がテラサです」


 何よりも顔面の刀傷が痛々しかった。

 もとが美しいかというとそうでもないようだ。

 一言で言えば際立って醜い。


 言葉も出ないマグヌスに対し、彼女は身の上を語った。


「私はゲランスの住民です。都が落ちてマッサリア兵が略奪して回ったあの夜、私の醜さを嫌って兵士が斬りつけました」

「そうだったのか……」

「なぜ私が生きながらえたのか、私にはわかりません」


 彼女の表情は刀傷で歪んでいるために読み取りにくい。


「身のほどはわきまえております。私は戦争捕虜(どれい)です。いかようにもなさればよろしいでしょう」

「お前を奴隷身分から解放する。手続きはすぐ始めよう」


 テラサは笑ったように見えた。


「同情なさるのですか。私一人解放されてどうなりましょう? 奴隷として売られた数万の女子ども、銀山で働かされている数万の男たちをおいて、私一人解放されたいとは思いません」


 侍女たちがすすり泣き始めた。

 あの戦いさえ無ければ、彼女らは平凡だがそれなりに幸せな人生を送っていたのだ。


「テラサ、ごめん……顔のことでひどいこと言って……」

「謝らないで。私は許していますから」


 マグヌスはしばらく考え込んでいた。


「テラサ、解放はいったん取りやめる。私付きの侍女になってくれ。あなたは私より勇気がある。尊敬できる女性に身の回りのことを任せたい」

「お言葉のままに」

「そうだな、湯浴みの準備をしてくれるか?」

「はい」


 この暑いのにわざわざ湯浴みかと思うのが普通だが、暑くても湯に入るというのもマグヌスが南国で身に着けた習慣だった。


 テラサは言われたとおり湯を準備し、マグヌスの部屋のすみに置いてあった金属製の浴槽に満たした。


「テラサ以外は出てくれ」


 彼女の前で初めて……マグヌスは自分から肌着を脱いだ。

 死刑囚の印、二つの十字があらわになる。


「……!」

「この烙印(スティグマ)が私を苦しめているんだ……」

「罪なくして押された烙印はただの火傷(やけど)です」

「なんだって?」


 遥か離れた南国で親しんだメランと同じ言葉を、初対面の女奴隷から聞くとは思わなかった。


(罪なくして押された烙印はただの火傷です)


 テラサは続けた。


「成長にしたがって傷痕も大きくなるものです。この大きさになるということは、この烙印が押されたのはあなたが子どもの時。子どもが死刑に値する罪を犯すとは私には思えません」

「テラサ……」

「せっかくの湯が冷めてしまいます。どうぞ」


 マグヌスは彼女の手を借りて、ゆっくりと湯浴みを楽しんだ。長い髪もすべて洗い清めた。


「ありがとう。生き返ったようだ」


 濡れた髪を拭いてもらいながら、マグヌスは礼を言った。


「いいえ」


 彼女はあくまで奴隷身分の侍女という立場を崩さない。


「よほどのことがない限り、この髪は切らないでおこう。手をわずらわせてしまって申し訳ないが、私は楽しい」


 テラサは一瞬手を止めたが、新しい布を出して黙々とマグヌスの髪を拭き続けた。




 翌朝遅く、ルルディはエウゲネス王と共に寝床の中でまだ初夜の余韻に浸っていた。

 母殺しの王とも呼ばれる王だが、想像していたよりずっと優しく、初夜の秘め事は終わった。


(この方となら一緒に生きていけるわ)


 ルルディは王の愛撫に応えながら確信した。


 二人の目覚めを察して、朝餉としてたっぷり蜜のかかったパンがそっと差し入れられ、二人は互いの口にパンを運んで笑いあう。

 飲み物も甘い蜂蜜酒ミードだ。


「王様、新しい侍女たちがお目通りを待っております」


 侍女長の声がした。


「後ではいかんのか」

「一通り見ていただくだけで結構なので、お願いします」


 渋々と起き上がった王は、二人の侍女の手を借りて衣類を身に着ける。


「王妃も見るか?」

「え、ええ……」


 彼女にも用意されていた絹の衣類が着せられる。


「こちらが新しい侍女たちになります」


 侍女長が二十人ばかりの若く美しい女たちを整列させた。

 その中に際立って美しい侍女がいた。


 栗色の髪をあえて結わずに長くたらし、光の加減で琥珀色に輝く瞳。唇は少し開いて白く綺麗な歯がのぞく。


 この女は自分の美しさを武器として使う術を心得ているとルルディは直感した。

 その自信が彼女をいっそう美しくしている。


 だがルルディは深く気には留めなかった。

 王が自分を愛してくれているという確信があったから。


 数日後、ルルディが、花を見ようという王の誘いに応じて階段を降りていく時に、その侍女とすれ違った。


 すれ違いざまに彼女はささやいた。


「私はフリュネ。王の寵愛を受ける女」

急に奴隷制の話になってすみません。ただ、どこかで解放奴隷の話をしたいとは前々から思っていました。戦争捕虜の過酷な鉱山労働もです。マグヌスとテラサの関係は、彼女が解放されたのちも長く続いていきます。

まだまだ続くお話です。

応援よろしくお願いします。

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― 新着の感想 ―
[良い点] マグヌスさんの刻印を見たテラサさんの反応が、同情でもなく哀れみでもなく、とても聡明で優しさもあり安心しました。こういう人にこそお世話を任せたい。 信頼できる侍女という感じの女性(*'ω'*…
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