第二章 32.金貨、銅貨、そして銀貨
「エウゲネス様、どうなさったのです?」
「ピュトンの奴が増長してきたから、叱ったまでだ」
マッサリア王エウゲネスは、マグヌスの方に向き直りながら答えた。
彼はずらりと並べられた銀製の宝飾品を指して、
「こんなものまで持ってきおって」
先ごろピュトンの領土となったゲランスでは戦争捕虜を使って銀の採掘が本格化していた。
マグヌスは複雑な笑みを浮かべた。
「王が欲しいもの……それば銀製品であって銀製品ではありませんね?」
「わかるというのか?」
「──銀貨です」
「おう……! やはりゲランスはお前に渡しておくべきだったな」
王は満足そうに笑った。
「今、国々で流通しているのは金貨と銅貨。銀貨はほとんどありません。ここへ、マッサリア国王の横顔を刻印した銀貨を流します。国の力が強くなれば当然銀貨の流通も増えます。国内の税金、同盟の拠出金を銀貨に限れば、その影響力は膨大となりましょう」
「そうだ」
「そのためには、貴金属の扱いに慣れたミタール公国の援助が必要。したがって、正妃はルルディ姫のほかは考えられません」
王はうっとりした風に目を細めた。
「この偶然だけでも私は母に感謝するぞ。しかも、美しい。お前は直にルルディを見ているのだな。どんな姫だった?」
「美しさはその肖像画に勝ります。表情は豊か、心は優しく、しかし、事ある場合には男に負けぬ勇気をお持ちです」
たたえる言葉に思わず力が入った。
「ピュトンは、愛妾にと勧めおったわ」
マグヌスは全身の血が逆流するような怒りを覚えた。が、彼が言葉を発する前に、
「ピュトンは評議会を味方につけているからな。簡単に手出しができぬ」
「冷静なご判断だと思います。ただ、いつか……」
「うむ。母の仇、いつか思い知らせてやる」
「では、私はこれで」
「そうだマグヌス、お前たちが勝手に使っている西の館、正式に使用を許す。改築含めて自由に使うがいい」
「ありがとうございます」
王宮の中心部は、広い王の間を中央に控えの間がいくつか備わっている。正面は東。西の館は王宮で働く奴隷や監督者の部屋が並ぶ。ここは、身分の低い者たちに混じってマグヌスたちが勝手に使いだして今に至る。
南側は列柱廊を備えた大広間が中心で、室内での式典ごとにはここが使われる。
現在急いで手を入れられている北の館はいわば女の間で、王妃の間を取り巻くように小さい部屋が備えられていた。
ルルディはこの北の館の主となる予定だった。
侍女たちは竜将ドラゴニアが自ら選んでいた。
「やはり華やかな女たちがいいと思う」
「見た目よりも心づかいのできる人を選ぶべきではないでしょうか?」
マグヌスの言葉にドラゴニアはむっとした表情を見せた。
「心の美しさは顔の美しさに現れる。私を見よ」
「ドラゴニア、あなたは特別です」
淡い金髪に冬の空のような灰色の目の女傑、竜将ドラゴニアは、いかめしい武人の顔から乙女の顔に戻り、たちまち機嫌を直した。
「特別とな! おまえの口からそんな言葉を聞くとは思わなかった。先の宴会にも来てくれたし、これからもっと仲良くしようではないか?」
「いえいえ、私のような末席の身には恐れ多い」
「ふん! では勝手にするがいいわ。侍女は私がより抜きの女たちを選ぶ。ついでにお前の侍女も、ゲランスの捕虜から選んでやろう」
「結構です。今のままで不自由はありませんので」
ドラゴニアはきゅうっと顔を歪めて笑った。
「女より少年のほうがいいのか?」
「とんでもない!」
「遠慮するな。今は捕虜の奴隷がより取り見取りなのだから」
マグヌスは首を振りながら逃げ出した。
彼女は苦手だ。
(今度からなるべく口を利かないようにしよう)
彼は何度目かの決心をした。
真夏、ついにマッサリア側から、正使メラニコス副使マグヌスの二人が正式な婚礼の使者としてミタールに派遣された。
メラニコスは黒地に銀線を織り込んだ衣装、マグヌスは白地に臙脂縁飾りの衣装。さすがにこの場合、二人とも鎧を着けてはいない。
「ご息女ルルディ殿を我らが王の正妃として迎え入れたく……」
メラニコスの言上を、ルルディは上の空で聞いていた。
(──マグヌス様が来ている)
彼女は、誰にも気付かれない熱いまなざしとか目配せとか、何かそう言った二人の間をつなぐものを期待していた。
しかし、その期待は見事に打ち破られた。
マグヌスは初めて出会った高貴な女性に接するように視線は伏せ、正使を補佐して役割を終えた。
(そうよね……それでいいんだわ)
「お父様、お母様、ルルディはこれからマッサリア王国に嫁ぎます。これまで育てていただいてありがとうございました」
ほろりと涙がこぼれる。
「身体に気をつけてな」
「いろいろ言う人はあるでしょうけれど、エウゲネス様は心根の心優しいお方。心配はいりません」
父母の言葉が心にしみる。
(母殺しの王と呼ばれているけれど……マグヌスがいれば大丈夫)
「はい」
ルルディは亜麻布の衣装をさらりと鳴らして父母の前から旅立ちの場へと移った。
もう気楽には会えないことを思い、いかに自分が愛されていたかを噛みしめつつ、彼女は十二人の男たちが担ぐ重い輿に乗った。
ミタールとマッサリアでおよそ半分ずつの人数を出して花嫁を護衛し、輿入れの行列は動き出した。
少し間が空いてしまいました。
なんとか書き続けています。
よろしくお願い申し上げます。




