第二章 31.告白
あの一件以降、マッサリア王エウゲネスの許婚であるミタール公国の姫、ルルディはぼんやりすることが増えた。
今日も窓辺で手鏡を膝の上に置き、小さなため息をつく。
金髪は完璧に結い上げられ、肌には一点の曇りもない。
ただ、青く美しい目だけが誰かを求めて視点をさまよわせていた。
(……もし私がお願いしたら、彼は将軍を辞めて私付きの武官になってくれるかしら)
現実はささやく。
(自分はマッサリア王に嫁ぐ身、王以外の殿方に心を奪われてどうするのです)
娘の様子には、母親がすぐに気づいた。
「あの娘は恋をしていますわ」
「まさか。この城で恋をする相手とておるまいに」
「あなた、あの娘がマッサリア軍に助けられたのをお忘れではありませんか? 助けてくれた相手に恋をするのは自然なこと。私が尋ねてみます」
掌中の珠といつくしんできた娘だが、直截に話しかける。
「ルルディ、あなたは今どなたか心にかける御方がいるのですか?」
「お母様……私が愛するのはマッサリア王エウゲネス様ただ一人。早く嫁ぎたいと思って……」
「嘘おっしゃい」
母は微笑んだ。
「私はあなたの母ですよ。いいから言ってみなさい」
ルルディは眉をひそめ、今にも泣きそうな顔になって、
「マグヌス様」
「え? 誰です?」
「私を助けてくれたマッサリアの将軍……」
「確か二人いましたね」
「ええ。その……あの……ボロボロな方……」
「まあ!」
なるほど見映えの良い方の将軍がルルディを助けたのは自分ではないと言っていたと、母は思い出した。
「お母様、どうしても忘れられないのです。王妃になる身とわかってはいるのです。でも忘れられないの」
母は優しく微笑んだ。
「若い頃にはありがちなことですよ、ちょっとしたことで殿方に心を奪われてしまうのは。手紙とか一輪の花とかでもね。小さな子どもが熱を出しやすいのと一緒」
「いいえ、彼は敵の手から私を救ってくれましたわ」
「まあ、それで、お相手は何と?」
きゅっとルルディは唇を噛んだ。
「彼は私を拒みましたわ。ただ、永遠の忠誠を誓うとだけ言って!」
母は緊張を解いた。
「お相手にはその気がないのですね」
それならひとまずは大丈夫。
思いつめた様子のルルディが逆に尋ねた。
「お母様はお父様と一緒になって幸せでしたか?」
両親も政略結婚だと当然知っていて、ルルディは訊いている。
「それはもう。出会いの形はいろいろ。そうね、連れ添っているうちにもっと深い愛情がわいてくるものですよ、ルルディ」
「もっと深い愛情?」
「そうです。この母を信じて、ね」
そう言いつつ、母親は判断した。
この恋は簡単には覚めない、何よりの薬は早く結婚させてしまうことだ、と。
ミタール公国からルルディの輿入れを早めてほしいと連絡が来たとき、マッサリア王国の宮廷内は騒然としていた。ピュトンが、この結婚に反対し始めたからである。
「先の王妃の時代ならばマッサリアもさほど力は無かった。しかし今、十を超える同盟国を率いる大国として王妃をめとるならば、もっと大国からがよろしかろうと存じまする」
「ピュトン、婚約の神聖さは知っていよう」
「それはもちろん」
「知っているくせに、例えば誰をめとれというのだ?」
ピュトンは胸を張った。
「海と森の隣国ルテシア王国の姫君、御年十六になられます。先方から、この通り肖像画が届いております」
「ふうん」
銀髪の美少女の肖像画を興味なさそうに眺める。
「あるいは、アルペドン王国の第二王女。最近嫁ぎ先の夫君をなくされて母国に帰っておられます」
「ふうむ。敵国の王女というのもなかなか面白いな」
王は今度はあくびをした。
「王妃はルルディにきまっている」
今回届けられたルルディの肖像画を食い入るように見つめる。
ピュトンは視線をさえぎるように身体を乗り出して、
「エウゲネス様! 真面目に考えてください!」
「うるさい」
「どうしてもルルディ姫に御執心ならば、正妃にしかるべき方を迎え、ルルディ姫を愛妾として手元に置くという方法も……」
王の表情が変わった。
「ルルディを侮辱するな! お前の顔など見たくもない。当分城に上がるな!」
「エウゲネス様……」
「出ていけ!」
ピュトンは言葉を飲み込んだ。
すごすごと王の前から下がる。
「この国のことを思ってのことなのに、どうして王はあんなに頑ななのだ」
彼はつぶやいた。
先の王妃を廃し、エウゲネス王を立ててからこれまで、必死で国を守ってきた。
「この子を王にすれば国は絶えるが血は栄える」
予言者の言葉に彼はおびえていた。
「国を絶やしてなるものか」
狭い通路で折悪しくマグヌスとすれ違った。
普段通り黒髪を後ろにまとめて着古した上衣姿だ。
彼は王の大声を聞いて駆けつけてきたとみえる。
ピュトンはものすごい目で彼をにらみつけた。
王が彼を追放先から呼び戻したのも気に入らなかった。
(だんだん、思い通りにならなくなる)
彼は歯噛みした。
いつマグヌスが積年の恨みを晴らす動きに出るか……今はおとなしくしているがかえってそれが怖い。
ゲランス領主となる道は断ったが、遠からず彼も所領を得てのし上がってくる。
「子どもたちが生きていてくれたら」
王妃を弑した年の冬に流行った疫病で、彼はすべての子どもを失っていた。
黒将メラニコスを我が子のようにかわいがっていたが、やはり実の子ではない。
老いることがピュトンは怖かった。
その恐怖を悟られぬように、ピュトンは城から下がった。
第三章始動です。
半分すれ違った恋模様を序曲として、アルペドン王国との激突が始まります。
お楽しみに。
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