第一章 26.ゲランス討つべし
内密にと言われて、エウゲネス王は控えの間にマグヌスを招き入れた。
「ここなら大丈夫だ。話は何だ?」
「王よ、あなたがクリュボスに託した命令の後始末をしました」
「もう、兄とは呼んでくれないのだな」
エウゲネス王は言った。
かすかな皮肉を、マグヌスは感じる。
「身分の違いはわきまえておりますゆえ」
眉一つ動かさずマグヌスは応じた。
王となった兄と、一度追放されたものの帝国再建のために臣下として呼び戻された弟──。
「王にはこれを見ていただきたいのです」
懐から、マッサリアとゲランスの国境で採取してきた岩のかけらを取り出した。
「銀の鉱石だそうです」
王は興味深そうに岩のかけらを手に取った。
ずしりと重い。
「私はこれを見るのは初めてだ」
「詳しい者に今一度確かめてもらう必要があるかと思いますが、マッサリアとゲランスの国境は銀の宝庫です」
「どうやって見つけた?」
「クリュボスが行方不明になりましたので、その母親に頼みました」
「そうか」
「クリュボスは命を落とした可能性まであります。彼に下した鉱脈を探せという王命を解いていただけませんでしょうか」
「うむ。銀の在処さえ判ればいいのだ。王命は解く。あとはテトスに任せる」
「はい」
マグヌスはキラキラ光る粒を含んだ岩のかけらを手に取った。
「ただ、銀は岩から取り出すのが難しいと聞いております。その職能を持つ者たちを見つけなければ」
「心当たりはあるか?」
「クリュボスの母の一族にはその技が伝わっているとのことです。先のゲランス王の迫害を受けて散り散りになってしまったそうですが」
「探し出すのは難しいか」
「あるいは私の南方の伝手をたどることができるかもしれません」
「まあ、それはあとでも良い。今はゲランスをどうするかだ」
エウゲネス王は透き通った雲母がはられた窓から外を見やった。
ゲランスとの境をなす山脈が遠くに霞んでいた。
あの下に銀が眠っている。
飽くほどの銀を手に入れて世界を変えてみせる──そんな野心を秘めて、彼は薄く笑った。
エウゲネス王は宴席に帰ってきた。
空になった金属製の器を掲げて叩き、注意を引く。
「皆の者、聞け! 今回、ゲランス王国はアケノの原でアルペドン軍との戦闘中に我が国に侵攻した。城が最も手薄になっているときに、明らかな敵対行為をみせたのだ。ゲランスは卑怯なり。ゲランス討つべし!」
宴席がどっと湧いた。
「ゲランスとの国境に銀山があることもわかった。彼らはこれをも狙っている」
王は大きく息をつき、
「ゲランスを平定したあかつきには、最も大きな功績を上げた者にゲランスと銀山の経営を任せよう。これは評議会も許したことだ」
マグヌスの心は大きく揺れた。
母から受け継ぐはずだった所領さえ返してもらってはいない。
それが一気に、小なりと言えども一国の主になるかもしれない。しかも銀山の経営まで……。
彼は期待で胸が高鳴るのを抑えることができなかった。
凱旋祝いの席はたちまち、軍議の場に変わった。
「たかがゲランス、ひと揉みに潰してやる」
メラニコスの言うとおり、ゲランスは小国だ。
「先鋒は是非、私に」
ドラゴニアが声高に名乗り出た。
「いや、そなたには今回は城を守ってもらう」
「南征での私の働きに御不満でも?」
「そうではない。今回はテトスとマグヌスにも前線に立ってもらおうと思うまでだ」
「ではマグヌスには私の部下三千を貸し与えましょう」
ドラゴニアが、怒りを抑えきれない様子で言った。
これは一見ありがたい申し出だが、実際には彼女の指示の下で戦うことを意味する。
これまでの経験からマグヌスは懲りていた。
「お申し出感謝いたします。しかし、今では私も自分の部下を抱える身。自身で王の命令を受けたく存じます」
プンとドラゴニアはふくれた。
それに乗じるように、
「西の館の連中のことか? 食い詰めた無頼漢ども!」
メラニコスが嘲笑った。
弱みを見つければ付け入らずにはいられない気性の持ち主である。
「私の部下を侮辱することは許さない!」
マグヌスは剣の柄に手をかけた。
「控えぬか。王の御前である」
テトスが重々しく二人を抑えた。
「エウゲネス様、確かにマグヌスの部下は正規の兵とは呼びづらいところがあります。しかし、彼らの働きが無ければアケノの戦いを半日で制し、とって返してマッサリアをゲランスの侵攻から守ることは不可能だったと言えましょう」
「そうか。それならば、マグヌス、お前に先鋒を命じる。信じる部下とともに戦え」
「ありがたき幸せ。軍勢の数からゲランスが籠城することはまず間違いありません。城攻めの仕掛けをお貸しください」
「良いだろう。操作する者も併せて貸し与える」
「はい」
「メラニコスは二番手で城に突入しろ」
「はっ」
先鋒ほど華々しくはないが、一番手柄を立てやすい位置と彼は承知している。
「ピュトンは裏門から攻めろ」
「心得てございます」
「テトスは私とともに全体を仕切れ」
「はっ。実はゲランスから私を狙う刺客が放たれております。先日やっと口を割りましてアルゴス将軍なるものが首謀者とのことです」
「無事でよかったな。情報は聞き置く。さて、繰り返すがマッサリア城の守備は、ドラゴニア、お前に任せる」
「かしこまりました」
不満顔ながらも女将軍はうなずく。
わずか五日ほど後、この緊急の軍議で決まった通りの布陣で、マッサリア軍はゲランスへの道を進み始めた。
ただ、マグヌスはというとその間に、小さな、しかし重要な秘密の冒険をやってのけた。
その成果に気を良くしながら、彼はゲランス領主への可能性に歩みを進めた。




