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終章 255.帝国統一

 アンドラスは、お腹が大きくなった妻のためにアルペドンの王宮を確保した。

 遠征のあれこれに取り紛れて正確な月数は分からないが、もういつ産まれても不思議はないと侍女のイリスが言う。


「傷の手当ならいくらでもできますが、ご出産は……」


 軍医がたじろぐ。


「城下で構わぬ。産婆を連れて参れ」


 連れて来られたのはテラサだった。

 顔の醜い傷跡にアンドラスはたじろぎ、テオドラを任せて良いものかと迷った。


「最も高名な産婆です」


 ゴルギアスが保証する。


「私は身分の別け隔てはしません。帝妃陛下であろうとも同じ女」

「それで構わぬ。無事に子を取り上げてくれ」


 月数が分からないとは困ったなと、テラサは別室に横になった帝妃に面会した。

 お腹を見せてもらえればある程度の推定はできる。


「帝妃陛下……あなたは!」

「テラサ、あなたが来てくれるとは!」

「テオドラ様……私を覚えていてくださいましたか」

「覚えていますとも。なんと心強い」

「陣痛が始まったら、すぐに私をお呼びください」

「ありがとう」


 アンドラスは、マッサリア領のルルディに娘の出産間近であると知らせをやった。


「そうなのね」


 メリッサに慰められて平常心を取り戻した今でも、兄弟殺しにまで至ったテオドラの怒りの激しさは理解できないでいた。ただ、


「マグヌスを苦しめた烙印のことを言うなんて、私が間違っていたわ」


 そこだけは過ちと認めた。

 彼女は返事をしたためる。


「私はミタールの父母のもとに戻ります。もう会うことはないでしょうが、安産を祈ります」


 帝妃の母として権勢を得ようなどという考えは浮かびもしなかった。

 それこそ、あのマグヌスが避けてきたことである。


「あの時、迷わずぼろぼろな将軍の方を選んでおけばよかったのだわ」


 ルルディは微笑んだ。

 もう涙は枯れ果てていた。


「あとは運命の女神に身をゆだねるだけ」


 すべてを失った一人の女を受け入れてくれる老いた父母がありがたかった。






 その返信が届く前にテオドラは陣痛に襲われ、急いでテラサが呼ばれた。

 テラサはテオドラの寝台に上り、膝立ちになった。


「四つん這いになって私の腰につかまってください。そしてゆっくり息を吐いて」


 互いに、同じ女の温もりを感じる。


 テオドラの背をさすりつつテラサは、何をしたらいいか困惑顔の侍女に、


「あなた、名前は?」

「イリスです」

「お湯を沸かして。オリーブ油の良いものも。亜麻布をたくさん。産まれてくる子を清めます」

「はいっ」

「テオドラ様、初産はなかなか進まぬもの。お気持ちを楽に」

「ええ、でも苦しいわ……」


 テオドラの陣痛が始まってからアンドラスは、見張りでもするように遠からぬ部屋で椅子に寄りかかっていたが、いつの間にかまどろんでいたらしい。


 彼の眠りを破ったのは、一頭の黄色いオオカミの気配だった。


(テオドラの産室に近づこうとしている!)


 一気に目が覚めた。

 とっさに剣をつかみ、オオカミの前に立ちふさがる。


 オオカミは、一度頭を下げたあと、唸り声を発して踊りかかった。

 その跳躍を確実に捕えるアンドラスの剣。


 彼は見事に一撃で仕留めた。

 オオカミは血を振りまいてモザイクの床に倒れた。


「誰か! この始末をしてくれ」


 アンドラスの声に奴隷たちとゴルギアスがやってきた。


「陛下、それは、マッサリア王家の先の王妃の亡霊でございます。マグヌス様がさんざんに悩まされていらっしゃいました」

「こんなオオカミがか?」


 その時になってアンドラスは使った剣が祖霊神の宝剣であったことに気付いた。


(宝剣を汚してしまった……いや、これが神のご加護か……)


 そんな騒ぎをよそにテオドラの出産は順調に進み、テラサは赤ん坊を取り上げた。


「男児でございます!」


 テラサが清めた赤子を受け取り、イリスはアンドラスのところへ急いだ。


 珠のような男子を抱いて、アンドラスは歓喜した。


「この子の名は(バシレウス)だ。成人して皇帝(バシレウス・バシレオン)となるであろう」

「王の中の王、世界の王になられますように」


 カクトスが涙を流している。


(マグヌス、見ているか、世界統一は果たされた。おまえの望む形ではなかったかもしれないが)


 万一後宮に競争相手が生まれたとしても、今のアンドラスの宣言は実質的に立太子の儀式に等しかった。


「皇太子殿下……」


 産まれたばかりの赤子に、将軍たちが次々と最敬礼をする。


「夏には、是非、離宮に遊びにいらしてください。水牢は埋めてございます」


 一度は反抗したアンドラスに這いつくばるリドリス大河沿いの藩主パンテラスと部下のストラトス。


「カクトス、この子の良き師となってくれ。愚かな人間の犯す過ちの恐ろしさを、我々はこの遠征で思い知ったはずだ」

「かしこまりました」


 カクトスも平伏する。


「世界は再び統一された!」


 二十万の帝国軍、二万のアルペドン軍すべてが、皇帝アンドラスと皇太子バシレウスに向かって平伏した。

 民草も(なら)って頭を下げた。

 それは静かな水面に丸く波が広がるような光景だった。


「イリス、アンドラス様が何かなさったの?」


 半身を起こしたテオドラが問う。


「アンドラス様は、テオドラ様の御子を次の皇帝にと……確かにその腕に抱いて、バシレウスと命名なさいました」

 

 その時、天から降るかのような歌声が響いた。

 マッサリアから避難してきた、ペトラとその仲間たちが皇太子誕生を祝福する歌を歌っているのだ。


「ペトラ、ありがとう」


 テオドラは、疲れた身体を横たえて目を閉じた。


養父上(ちちうえ)がこれをご覧になったら、何とおっしゃるか……」


 マグヌスは自分自身では世界の再統一を成し得なかった。代わりに彼に縁のある者たちがまるで運命に導かれるように統一へと力を尽くした。


 東帝国暦二五一年の夏至、皇帝アンドラス五世は、新たに新帝国暦元年を宣言し、全世界を統治する旨を改めて世に知らしめた。


 帝国の安寧とこしえにあらんことを。






 ここにマグヌスの物語を終わる。








読んでくださってありがとうございました。

皆様とマグヌスの物語を分かち合えたことを光栄に思います。

よろしかったら、☆の評価をください。


また別の物語でお会いしましょう。

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