終章 252.血は栄える
確かに血は流れなかった。
テオドロスが絞首刑になったのはテオドラのせいだとルルディは考えた。
もはや我が娘とは思えなかった。
呪詛の言葉がルルディの唇からほとばしる。
「おまえの腹の子が男ならば次の皇帝になるのであろう。マッサリアは滅んだが、エウゲネス王の血を引く皇帝が世界を治める。まさしく、国は滅ぶが血は栄える。エウゲネス様が恐れていたとおり」
逆にマグヌスが王になっていれば「血は滅ぶが国は栄える」ことになったであろう。
マグヌス自身の血を引く子は居ないのだから。
「マッサリア王家を悩ませる王妃の呪いをその子も受けるがよい」
テオドラは唇を噛んだ。
「兄上は然るべき報いを受けただけですわ」
「……よりによって絞首刑!」
斬首よりも著しく名誉が損なわれる処刑の形。
しかも、そのままの姿で城門脇の壁にさらされている。
「おまえを娘とはもう呼ばぬ。だが、マッサリア王族の血を引く者がいる限り、王妃の亡霊は鎮まることはない」
「……なんとでも。産んだのはあなたでも育ててくれたのは養父。この守り刀が私を守ってくれます」
テオドラがかざす黄金の短剣。
「マグヌスの短剣を、おまえが……」
「ええ、忠実な部下が大陸を横切って届けてくれましたわ。真実と共に」
ルルディはうなだれた。
あの短剣……逃亡中の森の中でマグヌスが甘いパンを切ってくれた……褥を共にした夜も身の証として残してくれた……すべてが思い出。
黄金の短剣は今やテオドラの手にある。
「神々はマッサリア王国を見放したのね」
うずくまる母を、テオドラは冷たく見下ろした。
そのマッサリア王国をどうするか、アンドラスとカクトスたちは話し合っていた。
「テオドロスが刑死して、憂いは無くなったな」
「いいえ、評議会と平民会がございます。いずれも現王ゲナイオスを支持しておりますが」
アンドラスがげんなりした顔をする。
やはり、民草の治める国は厄介だ。
「ゲナイオスを藩主として自治を認めよう」
「それならば市民たちも落ち着くでしょう」
「諸王の一族、というのか……マッサリア王国が絶えなかった訳よ」
処遇をゲナイオスに伝え、駐留軍として戦象部隊を残すと、アンドラスたちは、塩商人兼密偵であるアウティスの案内でアルペドンへ向かって移動した。
「抵抗しなければ自治を認める」と、使者を先行させながら。
そのかいあってか、組織的な抵抗は皆無だった。
「……懐かしいアルペドン、私の祖国……」
ここではテオドラはアンドラスたちと軍の先頭に立つことを許された。
「テオドラ様!」
悲痛な声が上がった。
将軍ヨハネスが兜を抱えて進み出た。
「我らはマグヌス様に忠誠を誓った者、マグヌス様亡き今、東帝国に槍を向けるつもりはありません」
「ありがとう。養父が聞いたら喜ぶに違いないわ」
「テオドラと同道して良かった。無駄な争いは避けるに限る」
アルペドンの騎兵隊は、最も警戒していた敵だ。
それがそっくり東帝国に下った。
「宰相のゴルギアスでございます」
老人が腰をかがめた。
「アルペドンの地は皇帝陛下のものにございます」
「そうか。では、我々の遠征の疲れを取る事ができるよう手配してもらおうか」
「かしこまりました」
アウティスが、カクトスにささやいた。
「皇帝陛下ご夫妻にはもっと良いところがございます。帝妃陛下のお身体にも良いかと」
アウティスの妻、フリュネは絶景の別荘地に暮らしながら心穏やかではなかった。
「マグヌスなんかに義理立てして危ない橋を渡る必要なんてないのに」
彼女は二人の男児の相手をしながら、夫への不満を乳母にぶちまけた。
裕福な塩商人の妻として、今はマッサリアの市民権も買い取り、何不自由無い暮らし。
「ふふん、これも私が美貌で勝ち取ったのよ」
マグヌスには奴隷売買の島に置き去りにされた恨みこそあれ、恩を感じる義理はない。
自分を抱いたエウゲネスの死去にも心を動かされることはなかった。
「まあでも、夫が道案内すればこの別荘地は荒されないで済むわ」
アルペドンの贅沢な別荘
干した果物の入った甘い粥。
柔らかいウサギ肉の蒸し焼き。
「お母様、この花飾りを見て」
プリーがヒナギクの花冠を持ってくる。
「私を苦しめた者は皆報いを受けてるのよ」
フリュネは高笑いした。
だから、東帝国軍の高級武官の休息のためにアウティスがこの別荘地を差し出すと、フリュネは激怒した。
「あなた、何を考えているの?」
「……皇帝陛下とお近づきになる機会を得て光栄と思え」
フリュネは精一杯着飾ってアンドラスの前に出た。
「愚妻でございます」
アウティスの声に精いっぱい上品に腰をかがめる。
「……!」
アンドラスに完全に無視された。
言葉さえかけてもらえなかった。
(私を? エウゲネスを落とした私を無視?)
アンドラスは、黒髪の女性の手を取って丁寧に寝椅子に座らせた。
茶色の髪の侍女らしいのがかいがいしく世話を焼く。
「テオドラ、十分に休ませてもらえ」
「ありがとうございます」
あっけにとられている妻に、
「フリュネ、下がれ。邪魔になる」
と、アウティスが小声で言う。
「あなた、せっかく出てきたのにこれはないでしょう!」
奴隷時代でさえ味わったことのない屈辱、無視。
「あんまりだわ。次はあの皇帝とやらがひどい目にあうと良い」
世界が変わろうとしているのを、彼女は理解しなかった。
マグヌスが建築を急がせていたアルペドン領内の港に、南国から穀物を満載した船が次々到着した。
南方諸国を代表して、エンコリオスが帝国への忠誠を誓う書状を持参していた。
「よし。南も我が手中に入った」
「図書館はどうなさいますか?」
「自分のものにする。治世に飽いだら本を読んで余生を過ごすのも良い」
別荘地で初秋を謳歌しているうちに、インリウムから、降伏の使者が来た。
「さあ、残されたのはボイオスだけだ」
「グーダート神国を経由して攻め上るのが良いかと」
グーダート神国はインリウムとともに、アンドラスたち高位の者が休息中している間に平定されていた。
ボイオスは北風の故郷。
マグヌス終焉の地。
「ともに参ります」
「その身体でか?」
「養父が守ってくれます」
テオドラの決意は固い。
「ボイオスは、道が崩れて接近できないと商人たちの噂です」
「ただ、食糧を持ち込めば法外な値で買ってはくれると」
「飢えているのか?」
「間違いなく」
「よし。民草を飢えさせてはならぬ」
アンドラスは北の空をにらんだ。
明日も更新します。
次回、第253話 ボイオス下る
夜8時ちょい前をどうぞお楽しみに!!




