終章 250.王都陥落
先行四万、後詰め十六万、計二十万の東帝国軍は、マッサリアの王都を十重二十重に取り囲んだ。
前回は弱点となった北からの攻めも、数に物を言わせて谷を埋めた。
彼らは、すぐには攻撃しなかった。
「降伏せよ。降伏してテオドロスの身柄を渡すならば、略奪は行わない。住民を奴隷にもしない」
「降伏せよ」
「王都は降伏せよ」
毎朝毎晩、降伏を呼びかける東帝国軍の声が波のように響き渡った。
その声は破城槌の響きよりも確かに市民たちの心を打ち砕いた。
「あの敵の数を見たか!?」
「テオドロス様を差し出せば、我々は救われるんだ!」
「二十万もの敵に勝てるものか!」
市民たちの中には、テオドロスの住む王宮へ突撃する者まで現れた。
いくらテオドロスが政敵でもさすがにこの騒乱は許さず、ゲナイオス王は、厳しく取り締まった。
「今回の籠城は、前回とは雰囲気が違います」
美々しい装備に身を固めたドラゴニアが、同じく軍装を整えた夫ゲナイオスに告げる。
「あなたが王冠より先に兜を被ることになろうとは、私は思いませんでした」
王冠はまだテオドロスが持っているし、兜の邪魔になる。
「前回は、皆が王都を守ろうとしていました」
王宮にこもるテオドロスにはその違いが感じられない。
「王都を守りましょう!」
母后ルルディの呼びかけに応えるものは少なかった。
そして、頼みのアルペドンからの援軍は来る気配も無い。
まだ、食糧に窮する前に……。
「戦っても無駄だ。なるべく良い条件で降伏しよう」
ゲナイオスは、苦渋の決断を下した。
降伏の使者を出す。
折り返し、東帝国の使者がやってきた。
「テオドロスを渡してもらおう」
「それだけで良いのか?」
と、ゲナイオス。
「ゲランス銀山も皇帝直属に」
「仕方あるまい」
マッサリア王国の繁栄を支えてきた銀山が敵の手に渡る。
「南方植民市も降伏を」
「説得の使者を出そう」
「現時点ではその三点のみ。市民たちを奴隷にはしない」
「分かった。評議会から与えられた権限をもって、降伏する」
あの時は落ちなかった王都がこんなに簡単に……。
ルルディは、メリッサと抱き合って嘆いた。
敗北した国の女たちの運命は知っている。
奴隷にはしないと今は言っているが、いつ気が変わるか。
翌日。
「ゲナイオスよ、余はまずテオドロスの身柄を要求する。我らが戦象部隊に挑んで、軽微ながら損害を与えた者、許すことはできない」
アンドラスの言葉を使者が伝える。
使者の隣にロフォスが控え、マッサリア王のいかなる詭弁も許さないと聞き耳を立てている。
彼は、やはり、テトスの言うようにテオドロスではなく、ゲナイオスの方が王として認められているらしいと確認した。
「了承つかまつった」
ゲナイオス王は簡潔に言ってのけた。
裏を読み取るまでもない。
王都を蹂躙と略奪から守るためなら何でもやる。その強い意図が感じられた。
「テオドロス、貴重な犠牲となれ」
ルルディたちの女部屋へ逃げようとしたテオドロスを、ゲナイオス王自らが取り押さえた。
声を聞いたルルディがたまらず駆けつける。
「テオドロスや……なぜテオドロスが罪に問われなければならないのです?」
「残念ながら、ルルディ様、短い在位で彼がマッサリアに与えた損害は計り知れない。なかでもマグヌスの暗殺」
「ああ、それは……」
ルルディは顔を覆った。
「マグヌスは目立つことを嫌いましたが、まさしく国家の要石となる存在でした。要石を失えば円弧はたやすく崩れる」
ゲナイオスがルルディに語りかけた。
「私はマグヌスに無理な要求をしてしまったのかもしれない。愚かな息子たちではなく、あなたに王位についてくださいと言うべきでした。私が謝ります。お願い、息子を敵に渡さないで!」
ルルディは、ゲナイオスに襟首をつかまれた我が子の姿に我を忘れた。
「私が間違っていたわ。私への好意を利用して、マグヌスを自由に身動き取れないようにしてしまったの」
「誤解なさいませんよう。マグヌス様は一人の女性の言うがままになるほど愚鈍ではない」
ロフォスが冷たく言い放った。
「そうだわ、テオドラも来ているのよね、あの子ならテオドロスを助けてくれるかもしれない」
「この遠征自体がテオドラ様の意志で始まったもの。マグヌス様を暗殺した犯人を、どうして逃がそうか」
ロフォスは、テオドロスを縛り上げた縄を持つ手に力を込めた。
テオドラの意志でとはと、とルルディは娘の心中を計りかねた。
「連れて行け、ロフォスとやら」
テオドロスは自らの運命を悟り、縛めから逃れようと死にもの狂いで暴れた。
「放せ……母上! 助けてください!」
テオドロスの叫びにルルディは耳を塞いだ。
降伏の知らせを、籠城していた市民たちは暗い面持ちで聞いた。
「アルペドンから援軍が来なかったなら仕方ない」
「騎兵隊が来ていてもこの大軍には歯が立つまいよ」
「飢える前に降伏できて良かったと思おう」
「アンドラス陛下は善良だと聞く」
「ひざまずいて助けを祈ろう」
彼らは、一度は天下に覇を唱えたマッサリア王国の落日を認めざるを得なかった。
「おしまいだ、もうおしまいだ……」
王都の小ゲランス地区あたり。
もともとは繁華街だが、戦中ということですっかりさびれている。
にぎわいを失った街に、以前はきれいに染められていたであろう着物をボロボロにして歩く衰弱した男の姿があった。
「キュロス、おまえが城をもらったらおこぼれにあずかるはずだったのに」
ふらり、ふらりと、あてもなくさまよう。
「テオドロスの裏切り者め、さっさと処刑されれば良い……」
彼はならず者のひしめく暗い裏通りに入って行った。
「……ペトラ、おまえの言うことを聞いておくんだった」
そして、二度と出てこなかった。
明日も更新します。
次回、第251話 悲劇の王妃
夜8時ちょい前をどうぞお楽しみに!!




