第一章 25.凱旋
南征からの帰途、十万の大軍は徐々に解散しながら北上した。兵士たちは麦の取り入れに間に合ったためホッとした顔が多い。
マッサリア王エウゲネスは五万の大軍を率いて母国に凱旋した。
留守居役のテトスが心を込めて建設した、街道の凱旋門をくぐる。
先頭はマッサリア王自身、金色の鎧に深紅のマント、鹿毛の馬に悠然とまたがっている。
黒い髪は短く、鼻筋の通った美男子である。
許嫁がいると知っていても、万が一の幸運を夢見る女たちが、歓声を上げて迎え花を投げた。
次いで凱旋門をくぐったのは、黒将軍メラニコス。
名前の通りの黒い鎧に黒いマント、気性が荒く跳ねようとする青毛馬をうまく乗りこなしている。
今回の戦いで最も手柄を立てたのは彼であるが、非戦闘員の虐殺をも厭わぬ彼の戦術は「血に飢えた将軍」との別名もこの人物に与えていた。
老将ピュトンがそのあとに続いた。
先の王妃を殺害し、現在の王エウゲネスを立てたのは彼であるが、評議会の有力者の中に隠然たる力を持っており、今もこの地位にとどまっている。類は友を呼ぶと言うが、五将軍の中では、残忍なメラニコスを特別に目をかけていた。
最後に、最も華やかに凱旋門をくぐったのは、竜将ドラゴニア、マッサリア五将のうち、唯一の女将軍である。白馬にひかせた二輪の戦車に乗り、名前にちなんだ竜の意匠をきらめかせている。
兜を取って肩にかかる金髪をなびかせ、細かい金銀の象嵌が施された胸当てが輝く。
凱旋の行進にふさわしく、鎧の下は豪華な青い絹の着物だ。
猛々しくありながらも見る者を虜にする美しさは、伝説に名高い戦女神が降臨したようにさえ思われた。
彼女は評議会の重鎮リュシマコスの娘であり、家柄も特に良い。
ここまで一緒に来た兵たちも凱旋門をくぐり、城で点呼を受けると、順次帰宅を許された。
装備を借り受けた者はここで返却し、身軽になって家路につく。
兵役は義務なので、マグヌスの傭兵たちと違って報奨金は特に無い。
王や将軍を始めとする高位の役職者は、城の大広間で十分な帰還祝いの宴に臨んだ。
南方大陸の征服は叶わなかったものの拠点となる植民市を複数建設することはできた。
第一期の成果としてはまずまずだろう。
「テトス、留守役ご苦労」
エウゲネス王はその若さに似合わぬ威厳を保ってテトス将軍をねぎらった。
この一言のためにテトスは気を張りつめてきたのだ。
「お言葉ありがとうございます」
「またマグヌスが勝手をしたらしいな」
「メイ大公の息女、エウゲネス様の許嫁を救いました。あまりお叱りになりませぬよう」
「顔が見えぬようだが、どうかしたのか」
「はっ、体調を崩したと申しておりましたので……」
「そうか。酷くなければ呼んでこい」
「かしこまりました」
テトスは自身でマグヌスがいるはずの西の館へ急いだ。
「馬鹿者が。晴れの舞台に欠席するとは……」
西の館の中庭では、すっかり人数の少なくなってしまったマグヌスの騎兵隊が練習をしていた。
(惜しいな。あれだけの働きをしたのに……)
わずかに数語交わしただけの、戦死した騎兵隊長のことも思い出す。
(立派な軍人だった。マッサリア軍にもあれほどの男はおるまい)
横目で見て通り過ぎる。
マグヌスの部屋へ続く部屋はがらんとして人の気配が無かった。
「おい、マグヌス、お前さんの人気なら、侍女たちが放っておかんだろうに、どうした?」
そんな軽口をたたきながら部屋に続く垂れ幕を上げて、テトスは恐怖に凍りついた。
目の前に、大熊ほどもある巨大な黄色いオオカミがいた。
オオカミはマグヌスの寝台に前足をかけ、鼻面にシワをよせてうなっていた。マグヌスは抜身の剣をオオカミの顔に突きつけ、寝台をはさんでにらみ合っている。
「マグヌス! 大丈夫か!」
恐怖による金縛りが一瞬で解けて、剣を抜きながらテトスは叫んだ。
オオカミがこちらを向いた。
低くうなりながら歩みを進め、身体を沈めたと思うと大きく跳躍、天井から飛びかかってきた。
「エイッ」
テトスは両目の間をめがけて剣をふるった。
と、手応えは何もなく、オオカミは影のように消えた。
「何だ……何だ、あれは」
剣を取り落としたマグヌスに駆け寄りながら、テトスは声にせずにはいられなかった。
「私たちに取り付いている亡霊ですよ」
案外しっかりした声でマグヌスが答えた。
「あなたは初めて見たのですね。でも助かりました」
「亡霊?」
「先の王妃の亡霊です。ずっと私に取り憑いているのですが、ゲランスとの国境から帰ってから姿を現すようになりまして。それで王の御前に出るのも控えていたのです」
普段のテトスならそんな馬鹿なと笑い飛ばしただろう。
だが、今は、胴震いを抑えるのがやっとだ。
「ありがとうございました。遅くなりましたが、王に祝いを申し上げに参上します。すみませんが、身支度を整えたいのでちょっと出ていただけますか」
「マグヌスよ、お前は女か? 人前で服を脱ぐのがそんなに嫌なのか?」
本来激怒するところ、マグヌスは芯から困ったような顔をした。
「見られたくないのですよ」
胸を指し、
「この傷だけは。お願いします」
「わかった……」
「あと、黄色いオオカミのことも内密に願います。出たとなると、戦勝祝いの席がブチ壊しになってしまいます」
「わかった……」
テトスを待たせておいてから、マグヌスは身なりを整えた。
長い黒髪は丁寧にくしけずって後ろにたらし、身体には白地に臙脂の縁飾りのあるゆったりした衣装をまとう。
白と臙脂は亡母ラウラから受け継いだ意匠。
長刀と王から譲り受けた短刀だけは離さないものの、あたかも文官であるかのような身なりは、極力「叛意あり」と難くせを付けられないための配慮である。
侍女たちがめったに見られないマグヌスの盛装を見て袖を引き合って「美しい」とささやいた。
そんな姿でエウゲネス王の前に立ち、彼は遅れた詫びと勝利の祝いを述べた。
そして、
「王に火急にお知らせしたいことがございます。できれば内密に」
と言った。
いよいよマッサリア五将が勢ぞろいしました。
お待たせしました。
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