終章 249.戦火の中で
皇帝アンドラスのもとへ、将官からの報告があがった。
「陛下、斥候の知らせでは、どうやら敵はエウレクチュスの野で待ち伏せする模様です。数は一万弱。騎兵隊はいません」
それを聞いて同行していたテトスが笑い出した。
「愚かな……前回あの地を選んだのは私が地形を知り尽くしていたからこそ」
アウティスも身を乗り出した。
「迂回路がございます」
アンドラスは顎に手を当てた。
「待ちぼうけを食わせるか」
「いえいえ、叩いておきましょう」
と、意見するのは戦象部隊のシュドルス。老いてますます盛んである。
「よし、主力は温存してアウティスの意見どおり王都に向かう。エウレクチュスへは別働隊を」
アンドラスは、すらすらと作戦を述べる。
「そうだな、戦象部隊を出せ。ただし走らせるなよ」
「承知しております。地面を確認させながらゆっくり進みます」
シュドルスが立ち上がった。
戦象五頭に一万の歩兵。弓兵を含む。
敵情を知る者としてテトスが同行した。
彼らは、以前の遠征軍が通った道をたどって、エウレクチュスの大平原に出た。
小高い丘にマッサリア王家の旗が翻っているのも前と同じだ。
「かつてこの野を見た者が私以外にいないのは残念だ」
シュドルスは、落とし穴の罠にかかった戦象たちの最期を思い出した。
ミソフェンガロの冷たい水も。
「マッサリア、赦すまじ」
エウレクチュスの野で、東帝国軍一万とテオドロスたち八千の激突が始まった。
東帝国軍の先頭は軽装歩兵。
次に進む戦象の行進に支障が無いか、地面を確認しながら慎重に進む。
象たちの歩みに連れて金属の鎧がキラキラ輝く。牙は中程で切断されており、代わりに鋭利な刃物が取り付けられていた。
「シュドルス様! やはりありました!」
草原の中、四ヶ所から、落とし穴は発見された。
新しく掘り返された土を見て、シュドルスは大笑した。
「以前あの罠にはまったのは、騎兵隊にうろちょろされて気がたっていたからだ。こんな平原に普通に落とし穴を掘って、誰が落ちるか」
戦象たちは大回りして、ゆっくりと足元を確認しながら、赤地に金のワシの印の徽章を掲げた本陣へ迫った。
一万の兵がその後に続く。
それを見てテオドロスはおびえた。
「おい、落とし穴が全部回避されているじゃないか!」
話が違うと言わんばかりに、落とし穴を仕掛けた弟の方を見る。
「いいえ、話通りに浅い穴、底には槍の穂先を立て並べ……踏み込めば前と同じく象の足を止められるはず……」
弟のクサントスも、信じられずにぶつぶつつぶやいている。
「仕方がない。弓を持つ者、象の乗り手を狙え」
「歩兵もぼんやり立っているな、前進だ!」
兄弟の声に応じて戦列が前進する。
全身装甲に固め、大きな盾を持った重装歩兵の列を、巨大な戦象はたやすく踏みにじった。
「列を乱すな、槍で立ち向かえ!」
テオドロスの懸命な叫びにもかかわらず、象には矢も槍も効かなかった。
「メラニコスの火玉があれば……」
詮無いことを思ったが、メラニコスたちをボイオスの山中に置き去りにしたのは自分だ。
「兄上、お逃げください。私が身代わりに」
クサントスが、自分の馬の手綱をテオドロスに押し付ける。
「指揮官たる自分が逃げるのは……」
「そんなことを言っている場合ではありません。兄上、なにとぞ王都と母上をお守りください」
言いおわると、彼は東帝国の軽装歩兵を蹴散らし、戦象の前に飛び出した。
「我が名はエウゲネスの子、テオドロスなり。神妙に一騎打ちせよ」
「ほう、良き敵、我が槍の錆となれ」
シュドルスが馬から降りた。
「えい!」
クサントスは槍を投げた。
不意を突かれてシュドルスは、鎧の胸に槍を受ける。
グラリと体勢が崩れたのを見て、クサントスは剣を抜いて走り寄った。
「なんの、若造!」
シュドルスは膝立ちのまま、槍で剣を受け、力いっぱいに押し返した。
思いがけない力の強さに、クサントスのほうが後ろへよろめいた。
「覚悟!」
クサントスの喉をシュドルスの槍が貫いた。
急所への一撃に、クサントスは崩れ落ちる。
「敵の王、テオドロス、口ほどにもない」
討ち取った相手をテトスが確認した。
「テオドロスではございません。弟のクサントスかと」
テオドロスは王都に逃げ帰っていた。
汗に濡れた肩をゲナイオス王がつかむ。
「戦いの帰趨はいかに?」
「戦象にやられた」
「父の轍を踏んだのか?」
ゲナイオス王の皮肉にも返す言葉が無い。
「籠城して、アルペドンの援軍を待つ。協力するな?」
テオドロスは黙ってうなずいた。
母后ルルディは、我が子クサントスの戦死の報を受けて棒立ちになった。
「テオドロス、なぜ弟をかばわなかったの?」
「私がかばわれたのです」
彼は、ギリと歯を噛み締めた。
「戦象対策の罠が効かなかった……」
「無謀な……そなたの父も戦象にやられてあのお身体になられたのですよ」
「今さらそんなことを言っても」
テオドロス敗戦の知らせは王都を駆け巡った。
「敵は一万に過ぎなかったと言うではないか?」
「ゲナイオス様の偵察では、無傷の別働隊が十万以上、都に迫っていると言うぞ」
「また籠城か……」
「それしかあるまい」
すぐに、穀物商人はゲナイオス王の指示で販売を差し止められた。
これからは配給制になるのだ。
彼らは商業の繁栄を司る神に、戦が早く済むように祈った。
混乱の中、智将テトスの妻メリッサが王宮に入り、ルルディを慰めてくれた。
「ルルディ様、ルルディ様の身は私がお守りします」
落ち着いて、笑みさえ浮かべながら、
「夫がまた裏切ったようですの。帝国軍の中に夫の姿を見たというものがおります」
「メリッサ……」
「以前、祖国を裏切った時も、ちゃんと私を助けに来てくれましたわ。ルルディ様もご一緒に待ちましょう」
テトスはマッサリア五将の筆頭、執政官職はまだ正式に解かれていない。
「テトスが裏切りを……」
「ええ。弟のように思っていたマグヌスを謀殺されて、こらえきれなかったのでしょう」
「テオドロスがマグヌスを殺したりしなければ、クサントスも死なずに済んだでしょうに」
「ルルディ様、しっかりなさって」
子を持たないメリッサは、ある意味身軽である。
「あの時も落ちなかった王都の壁を信じましょう」
明日も更新します。
次回、第250話 王都陥落
夜8時ちょい前をどうぞお楽しみに!!




