終章 248.アルペドン動かず
マッサリア王国からは、アルペドン領に向けて緊急の援軍を求める急使が二人同時に飛んだ。
一人はゲナイオスから。
もう一人はテオドロスから。
季節はもう春。
二人は互いの意図を察知しながら、後になり先になりして、アルペドンへと続く街道を馬で駈けた。
見交わす視線は火花が散らんばかり。
アーモンドの若木が薄紅色の花を美しく咲かせているが、二人の目には入らない。
ゲナイオスの使者が馬体を寄せた。
「おうっ」
落馬を避けて、もう一人は手綱を引く。
「貴様!」
剣を抜いて逆襲した。
「テオドロス王の使いを邪魔立てするとは!」
「王位の僭称者、片腹痛い。評議会の認めた正しい王はゲナイオス様!」
不意に始まった喧嘩騒ぎに、街道を行く人々は道を譲る。
「このっ!」
馬同士も前脚で蹴り合い、相手に噛みつこうとして暴れる。
「……しまった!」
ゲナイオスの使者が棹立ちになった馬から振り落とされた。
「お先に」
「行かせん!」
テオドロスの使者の足をつかみ、引きずり落とす。
「卑怯者め」
「おまえこそ」
二人は改めて地上で剣を交えた。
野次馬の輪ができる。
二度、三度、切り結んで互角だと知るや、脚を絡ませて相手を倒そうとした。実際、二人はもつれ合って倒れ、剣を手放しての格闘になった。
グギッという嫌な音と、押し殺した悲鳴が聞こえた。
「今度こそお先に!」
勇敢な野次馬が捕まえていた馬を受け取り、テオドロスの使者は、馬上の人となった。
外れた肩を押さえて悔しそうに見上げるゲナイオスの使者。
「さあ、どいた!」
見物人たちの輪を破ると、使者はいっさんにアルペドンへの道を駈けた。
彼はアルペドンの王宮で「マッサリア王の使者」を名乗った。
軍事のこととて、ゴルギアスは急いで将軍ヨハネスを呼びにやる。
ヨハネスは、ボイオス国で起きた一連の事件の詳細をメラニコスから聞き出し、テオドロスへの怒りに燃えていた。
そのヨハネスへ、テオドロスが送った使者の口上、
「マッサリア王国は、東帝国軍の侵攻に脅かされております。テオドロス様は、あなた様をアルペドンの代官に任命するとともに、即座に騎兵隊を連れて参戦するように、と」
ヨハネスは眉根を寄せた。
「嫌なこった。誰が陰険なテオドロスの言うことなんか聞くものか」
使者はあっけにとられた。
「他にはどの将軍が動いている? メラニコスはここにいるが」
「ゲナイオスとドラゴニア様……」
「二人か」
腕組みをする。
「マッサリア軍の要、智将テトスは国を裏切った。そしてアルペドンの至宝、貴重な繁殖馬を根こそぎ奪って東方へ消えた」
回収できた馬は、五十頭に満たない。
「加えて、前の代官マグヌス様に対する仕打ち、自分が知らないとでも思ったか」
「官職の異動は常にあること、先王の義弟でも同じことでは」
使者は、詳細を知らされていないのだ。
「生命まで奪わなければならないというのか」
「は?」
やはり知らない。
「メラニコスから聞いたぞ。テオドロスは卑劣この上ない手段を用いてマグヌス様を殺害したと」
使者は驚きのあまり言葉を失った。
「マグヌス様の義理の息子、キュロスをだまして父親を殺させ、そのキュロスも殺したそうではないか」
キュロス……あまり向いていなかったが、乗馬の訓練に一生懸命取り組んでいた若者。
「どこでどう道を間違えたのか」
夜の女神に呪われた子。父殺しの大罪を犯し、自分も矢の雨に倒れた。
哀れといえば哀れこの上ない。
城を餌にキュロスを操ったテオドロスを、ヨハネスは許すことができない。
「テオドロス様が、本当にそんなことを」
「疑うならここにいるメラニコスに聞いてみるが良い」
メラニコスたちも、撤退が遅れてボイオスの冬の厳しさに多くの損害を出したため、テオドロスを恨んでいる。
寒さと空腹で力尽き、アンカティ道から谷底へ転げ落ちる兵士の悲鳴は、未だにメラニコスを悩ませていた。
「事実を詳しく知るロフォスたちにご丁寧に追っ手までかけて……」
平和な時代にありながら、めきめき頭角を現していた若者。マッサリア王に追われているなら自分のところへ逃げてこいと何度も神々に祈った。
「アルペドンの騎兵隊はテオドロス王の命令を拒否する。兵隊を大事にしない王のもとで働けるか!」
使者は下を向いて黙り込んだ。
「アルペドンは動かない。立ち帰って王に伝えよ」
はらはらしながらやり取りを見守っていたゴルギアスが「大丈夫でしょうか?」と問う。
「ゴルギアス、あなたの夢がかなう日が来た」
「はて?」
ヨハネスは今一度使者の方に向き直った。
「これ以上横暴なマッサリア王国に従うつもりは、我々には無い。メラニコスたちを解放してほしければ独立を認めろ。テオドロス王に対して宣言する!」
追い返される帰り道、使者は考え込んだ。
テオドロスの気性を考えれば、こんな知らせを持ち帰る自分の身が危ない。
「逃げよう」
あろうことか、彼は職務を放棄した。
「どうせ戦乱に紛れれば、行方など分からない」
路銀は十分にあった。
彼は運を天に任せて見知らぬアルペドン領で街道をそれ、横道に入った。
「なぜ使者は帰ってこない」
テオドロスもゲナイオスも待ちくたびれた。
「兄上、かくなる上は我々だけでも」
クサントスがテオドロスに進言する。
「そうだな。再びエウレクチュスの野で迎え撃とう。志願兵は?」
「八千を超えました」
数も分からないほどの東帝国軍にこの人数で立ち向かうのは、明らかに無謀である。
だが、テオドロスは敵対するゲナイオス王と共に籠城する気が無かった。
「象の落とし穴の仕掛けは知っているな?」
「はい有名ですから」
「よし、行こう。勝てば評議会も我々を見直し、王位の回復もある」
無謀な若者たちを先頭に、八千の重装歩兵がエウレクチュスの野を目指して出発した。
明日も更新します。
次回、第249話 戦火の中で
夜8時ちょい前を、どうぞお楽しみに!!




