終章 246.皇帝立つ
「アンドラス様、これは好機ですぞ」
カクトスは、すかさず皇帝アンドラスに進言した。
「マッサリアの暗君テオドロスは策を弄して忠臣を殺害しました。民心は離れ、別の王が立つ混乱状態」
カクトスはテトスから、ゲナイオスに王として立てと告げた次第の情報を受けていた。
親友の死を悼む気持ちとは別に、皇帝の相談役としてこれは告げねばならない。
「分かった、カクトス。藩主国代表、一級の大臣、近衛兵の将軍たち、上級神官、相談役全員を集め、状況を説明せよ」
東帝国を動かす者全員が集まることになる。
間もなく、謁見の間に立錐の余地も無く帝国の首脳陣が集まった。
軽食や酒の提供もなく、張り詰めた雰囲気に皆が緊張する。
午後の日が高窓から明るく差していた。
「よく集まってくれた」
玉座に座ったアンドラスが声をかけると、少し緊張が和らいだ。
隣に座るテオドラの表情は固いままだ。
「これからカクトスが、同盟国マッサリア王国の状況を説明する。よく聞いてくれ」
カクトスは、テトスから聞き取ったマッサリア王国混乱の事情を簡潔に話した。途中声が震えたのは気のせいか。
「しょせん他国のこと、捨て置きましょう」
「いや、我が帝国の威信を西に広げるのに良い機会、内乱を利用すべきです」
「暗君に苦しめられる民草を救うのは、もはや善行。陛下自ら討伐を」
集まった者がいっせいに話し始めた。
「マグヌスがもう居ない」
ざわめきを聞きながら、カクトスがポツリと言った。
ピクッとテオドラの頬が動く。
まとまらないかにみえた話がまとまると、結論はカクトスのところへもたらされた。
「カクトス様、皇帝陛下へお伝え下さい。皆の意見がまとまりました」
「分かった」
「同盟国を国難から救うため出兵いたしましょう」
アンドラスも一緒に聞いていたので、繰り返す必要はなかった。
「皆の者、良く話してくれた。私は同盟国マッサリア王国の安寧をおびやかすテオドロスを討つ」
歓声が上がった。
「新たに王として立った者がいたな」
「はい、ゲナイオスと申します」
「彼を助けよう」
「皇帝陛下が先頭に立たれるならば、すべての近衛兵が共に参ります」
「各藩主国からは一万ずつの動員が可能です」
「戦象部隊も出しますぞ」
「三段櫂船にはいつでもご命令を」
財務を司る小柄な大臣が皆をかき分けるように進み出た。
「喜んで国庫を開きましょう」
神官を務める弟の声がする。
「戦女神の神官が同行いたします。残る者は戦勝祈願を行います」
カクトスに次ぐ相談役が一礼した。
「留守は確実にお守りいたします」
「頼む。出陣は……」
「リドリス大河が渡れる冬になってから」
カクトスが、これは譲れないという顔で言う。
「藩主国諸国の準備もあるだろう。各自冬至までには出陣せよ」
「心得ました」
興奮をおさえきれずに臣下は退出していく。
アンドラスが皇帝になって初めての遠征、しかも大軍である。
かつての負け戦を思い出して復讐を誓う者もいた。
アンドラスは表情を崩さないテオドラを伴って二人の私室へ帰った。
前帝の寝室とも後宮とも離れたところに新たに建てられた一棟は、アンドラスの好みで庭に向けて開放的に、テオドラの趣味で簡素に仕上げられていた。
アンドラスは武具を入れた櫃を出すように命じた。
皇帝になって新たに鍛造された鉄の鎧は、長年着用されずともきちんと手入れされ、白く輝いている。
アンドラスは、初めてテオドラに会った時にもらった銀のリボンを兜の飾りに結びつけた。
「テオドラ、待っておれ、そなたにとっての吉報を必ず持ち帰ろう」
テオドラは、きりりとした表情になって、
「私も同道させてください。乗馬では誰にも負けません」
「女の身で戦場に立つか?」
「マッサリア王国には有名な女将軍がおります」
アンドラスの目を射るようなテオドラの瞳。
「許す。ただし決して剣や槍を手に取るな。常に後方にいろ。それが守れるなら……」
「そういたします。イリスもよろしいでしょうか」
アンドラスはうなずいた。
着々と遠征の準備を進める一方で、彼はマグヌス死去の報をまだ信じきれずにいた。
(仕留めたと思ったエウゲネスも生きていたではないか)
遠征の噂に、市場の穀物価格は急騰した。
二十万の大軍、国家が一つ動くようなものだ。
「飢饉に備えて備蓄している穀物を全て出せ」
まだ足りず、
「密約を結んだ南方諸国から穀物の提供を受ける。使者を立てよ」
これは遠征途上で受け取る予定。
アンドラスは、かつて、マッサリア王国に蹂躙される苦しさを訴える南国からの知らせを受けていた。
マッサリア王国とは和平を結び、テオドラの身柄も受け取っていることから表立って動くことはせず、ただ、
「南征が再度行われるようであればマッサリアを討つ」
という密約を結んでいた。
「穀物の提供は条件に入っていたが、まさかこちらから動くことになろうとはな」
「テオドラ様に知られてはいけない危険な密約でしたが、南国と接していて良うございました」
実はテオドラは一鉢の花から密約の存在を知っていたが、女と侮る気風のせいか、彼女の大胆な行動はアンドラスたちに悟られていない。
「二十万の大軍を前に戦わずに下る国も多くありましょう」
「うむ。成功すれば、旧帝国の再建が成る大仕事だ」
百年夢見てどの国も果たせなかったこと……アンドラスはその夢を現実にしようとしていた。
明日も更新します。
次回、第247話 雲霞のごとく
夜8時ちょい前をどうぞお楽しみに!!




