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終章 245.短剣の誓い

 東帝国は秋になっていた。

 帝妃テオドラは、いまだに父エウゲネスの喪に服し、アンドラスたちの狩りには同行しなかった。


 一度しか会ったことのない父で印象は薄いが、母が悲しんでいるだろうなと、ぼんやり考えていた。


「帝妃陛下、お騒がせして申し訳ありません」

「どうしたの?」

「レステスの子ロフォスと名乗る者が面会を求めておりますが、いかがいたしましょう?」


 (あのロフォスが?)


 テオドラは首をかしげた。


「身なりは粗末で、五十頭以上の馬の群れを率いております」

「皇帝陛下への献上品かもしれません。ロフォスを通して」


 すぐに、見覚えのある顔ともう一人、初老の武人が謁見の間に現れた。


「ロフォス、いったいどうしたのです」

「帝妃陛下の慈悲を求めて参りました」


 ロフォスはテオドラの前に膝を折り、マグヌスに託された黄金の短剣を差し出した。


「マグヌス様が、亡くなられました」

「養父が死んだと、あなたはそう言ってるの?」


 稲妻のように彼女の心を撃ち抜いた言葉がある。


「この短剣、私になにかあったらおまえに渡るようにしておくよ」


 まさか、その日がこんなに早く来るなんて。

 テオドラは、立ち上がりかけてストンと玉座に腰を落とした。


 ひざまずいたまま、ロフォスは続ける。


「キュロスの凶刃にお倒れに……」

「キュロスが!」

「お守りできなくて申し訳ないっ!」


 血を吐くようなロフォスの叫び。

 うつむいて顔を上げることもできないでいる。

 もう一人が続けた。


「私はマッサリアの将軍、テトスと申します。キュロスは、テオドロスにそそのかされたのです。マグヌスを殺せば城をやると。マッサリア軍に囲まれたボイオスの城の中でのことでした」

「テオドロス……兄上……」


 テオドラはそれ以上言葉もなく、遠来の使者をねぎらうことも忘れていた。

 代わりにイリスが休息を勧めたが、二人は「馬が心配だから」と固辞して(うまや)の方へ去った。





 ほどなくして、アンドラスがカクトスらを連れて上機嫌で狩りから帰って来た。


「テオドラはどこだ? 土産がある」


 彼女は謁見の間の帝妃の椅子に座ったまま、肘掛けに顔を埋めていた。


「ほら、ベニスズメだ。生きている。マッサリアにもいるか?」


 アンドラスは両手で包んだ小鳥を差し出す。


「皇帝陛下……」

「どうした? いつものようにアンドラスと呼べば良いものを」

「養父が亡くなりました」

「なに! マグヌスが……」


 テオドラは、泣きはらした顔を上げた。


「実父とは違って、凶刃に倒れて」


 エウゲネス死去の報を受けた時より遥かに大きな衝撃。

 小鳥はアンドラスの手から飛び出して、ガラス窓の方へ羽ばたいて行った。


「帝妃陛下、確かな知らせですか?」

「カクトス、養父の親友であるおまえが疑うのも無理はない。マッサリアから逃れて来た者がいる。詳しくは彼らから聞いておくれ」


 テオドラは、黄金の短剣を掲げた。


「ここへ参る前に養父にねだった短剣です。何かあったら私にくれると約束したもの」


 柄のルビーが輝く。


「これはまさしくマッサリア王家の紋章でございますな」

「使者はどこにいる?」

「厩へ……数十頭のアルペドンの名馬を引き連れて参っております」

「会おう」


 使者に厩で会うなど作法も何も無いが、アンドラスはそのようなことにとらわれる人物ではなかった。


「マッサリアから来た者はどこにいる?」


 厩周りはごった返していた。

 水や藁を運ぶ者、簡易な幕屋を建てる者、そして収容しきれない無数の馬。


「アンドラス陛下だ! 道を開けろ」


 侍従の声に、水が引くように道が開いた。

 その突き当りには、異国風の衣装を着た五名ほどが力尽きたように藁の上に座っていた。


「テトス、テトス殿ではないか!」


 カクトスが知った顔を見つけた。


「おお、カクトス殿……」

「悲劇の次第は妃から聞いた。真実か?」


 アンドラスが割り込むように問う。


「ここにいるロフォスがマグヌスの身辺警護を担当しておりました。しかし、殺人犯キュロスはマグヌスの義理の息子、気を緩めた隙に……」

「なんと、我が子に……」

「キュロスは射殺されました」

「……そうか……」

「アルペドンの至宝、純血種の繁殖馬を奪い、乗り継いでここまで参りました」

「大河はどうやって越えた?」


 テトスは大きく息をついた。


「泥の少ない所を選び、泳ぎ渡りました。何頭かはワニの餌食に」

「……託された短剣をテオドラ様に渡した。思い残すことは無い」


 ロフォスがうめいた。

 しっかりしろとテトスが背を叩く。


「この馬たちは、大陸を疾駆してきたのか」


 アンドラスが驚き呆れる。

 神々の乗馬でもあるまいに、そんな偉業を成し遂げるとは。


「馬たちはこちらで面倒を見る。まさに至宝だ」


 名高いアルペドンの純血種。

 マグヌスが贈ると約束したもの。


「さて、乗り手の方も手当が必要らしいが。宮廷内に部屋を準備させよう」

「皇帝陛下、感謝いたします」

「十分に休むと良い。妃がまた話を聞きたがるかもしれないので、謁見の間を自由に使えるようにしておく」


 それで良いかな、と、アンドラスはカクトスの顔を見る。


「食事もあまり取っておられないご様子。まずは薄がゆを数匙から」

「カクトス、頼まれてくれ。私は妃が心配だ」


 アンドラスは、テオドラを探した。


「テオドラはどこだ?」


 泣いている侍女を謁見の間近くで見つけ、問いただす。


「……物見の塔へ」


 西の地平線が見える高い塔にテオドラは登っていた。手に短剣を握りしめている。

 ほつれた黒髪が風になびいていた。


「アンドラス様ですか」


 テオドラが気配に振り返る。


「私は養父の仇を討ちたく存じます」

「犯人はすでに死んだと聞いたが?」

「いいえ。愚かなキュロスを操った者こそが仇」


 テオドラが、静かに黒曜石の冷たさでアンドラスを見つめる。


「……テオドロス。我が兄、現マッサリア国王にございます」





明日も更新します。


次回、第246話 皇帝立つ


夜8時ちょい前をどうぞお楽しみに!!

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