終章 244.大逃亡
逃亡中のテトスは、マッサリアの王都で、提督ゲナイオスに面会を求めた。
ロフォスは先を急いだが、ここで話をつけておかなければ、追っ手が増える。
テトスは、門前にゲナイオスを呼び出した。
「ボイオスで何があったんだ? テオドロスはお前をお尋ね者にしているぞ」
マッサリアには不要な冬の重装備に身を固めたテトスを見て、ゲナイオスが首をかしげた。
テトスが背負って来たかのような北風に顔をしかめる。
「驚くなよ、テオドロスがキュロスという者を操ってマグヌスを殺したんだ」
「テオドロスが!?」
「という訳で、マグヌスを担いで王権をひっくり返すことはできなくなった。事実を知っているこっちには追っ手がかかっている」
「ボイオスで何があったんだ? メラニコスはまだ帰ってこないし」
「詳しく話したいが、先を急ぐのでな。私はテオドロス率いるマッサリアを裏切り、東帝国まで行く。ゲナイオス、あとはおまえに任せた」
評議会の支持を得て、テオドロスの王位を奪いとれ。
マグヌス亡き今、それができるのは諸王の一族であるゲナイオスしかいない。
「分かった。マグヌスはもういないんだな」
「葬儀もできなかった」
「それは……あの英傑にはあまりな仕打ち」
ゲナイオスは、奴隷に銀貨の袋を持たせた。
「これくらいしかできないが……どうやって東帝国まで行くつもりだ?」
「言うのは止めておこう。知らないほうが良いこともある」
テトスは銀貨を確かめた。
表に刻印された顔を指で弾く。
「憎らしいテオドロスの顔か。ドラゴニアにも会いたいが時間が無い。よろしく伝えてくれ」
「道中の無事を」
「無事に政変を起こせ」
二人は手を握りあって別れた。
その間、ロフォスたちは馬たちをいたわっていた。
出産間近な肌馬をなんとか売ろうと牧場の門をたたいた。
「こんな時期に?」
牧場の管理人は不思議そうな顔をする。
普通なら春から初夏の当歳馬の取り引きが一番多い。
妊娠した牝馬ばかりとは。
「天下に名高いアルペドンの……ほうから来た馬だ。腹の子が雄なら大当たり」
「アルペドンの馬かぁ。父親は?」
「アルペドンの馬……」
彼の地の最高級の馬が根こそぎ奪われたという噂が広まるのもすぐだろう。
はっきりアルペドンと言ってしまえば跡がつく。
「二頭もらおう」
「金貨五枚」
「いや、銀貨十枚」
血統をはっきり言えないロフォスは明らかに足元を見られている。
「では銀貨十枚で。大切にしてくれ」
「この道を真っすぐ行ったところにも牧場がある。そこにも話をしてみたらいい」
馬の良し悪しは見る者が見れば見当がつく。
とびきりの牝馬を格安で買って気が咎めたのだろう。
「ありがとうよ」
売れるだけ売ってテトスを待ち、脱落したものも除いて四百頭あまりの馬群は、再び東へ進路を取った。
「追っ手は断った。足手まといの牝馬もいない。行くぞ、東へ!」
号令をかけつつ、
「おまえは商売下手だなぁ」
テトスが笑う。
「盗んだ馬を売って逃走資金にしようという方がどうかしている!」
「そうでなくてもお尋ね者だ。いっそ堂々としろ」
駆けて、駆けて……。
「少し休むぞ」
戦いの跡の残るエウレクチュスの野に馬を放し、草原に横になる。
白い雲がゆっくり流れていた。
空気は冷たいが日差しはもう暖かい。
「世話になったこれも、もうそろそろ要らないな」
テトスが毛皮を脱いで放り出す。
「靴も……サンダルに替えたい」
「テトス様、そうやってなにもかも捨てていかれるのですね」
マグヌスのための物だったと思えば、捨てられるのは忍びない。
「主を替えるのは恥ではないぞ」
「いえ、そういう意味では……」
「おまえの部下二人もついて来れなくなっているではないか」
大事にしていた部下。
「先に行ってください!」
と声を残して馬を降りた。
「なにもかも夢のようだ」
「人生は儚い夢。だからこそ生き抜いてやる」
のろのろ身を起こし、先ほど通り抜けた村で売ってもらったパンと干し肉で腹ごしらえをする。
疲れで味を感じないが、無理やり胃袋に押し込んだ。
「屋根の下で眠りたい」
盛んに馬市が立つ頃ならそれなりの幕屋もあろうが、逃亡中の彼らには望めない。
「東帝国までの我慢だ。テオドラにこれを渡すまでは」
ロフォスは懐深くしまった黄金の短剣を握りしめた。
テトスが去ってすぐ、ゲナイオスは行動を起こした。
評議会のリュシマコスに手を回し、ボイオス遠征の是非を議会に問わせたのだ。
「多少水晶を手に入れたらしいが、メラニコスの隊は壊滅、まだ帰国さえできない有り様ではないか!」
「テトス将軍が裏切ったというのは本当か?」
「そもそもボイオス攻めを評議会は決めていない」
「ボイオスで何が起きたのかを説明してもらおう」
テオドロスは回答を拒否した。
「評議会をなんと思っている?」
議長リュシマコスが、ゆっくり訊いた。
「単に王権を制限するもの」
テオドロスの返事に議場はざわめいた。
「評議会とは市民の意志の代表、王は評議会に任命されて市民のために力を尽くすのだ」
「自分は先王エウゲネスの長子、血によって王に選ばれた」
ゲナイオスが証人席から立ち上がり、演壇に登った。
先にそこにいたテオドロスは、ゲナイオスの全身からあふれる怒りに押されて場所を譲った。
「テオドロスよ、マッサリアには暗君を取り除くために、諸王の一族という制度がある」
それは簡単に言えば、王に立候補できる特定の血族を指す。
ゲナイオスは、議員たちの方へ向き直った。
「私は諸王の一族として、ここに王権を要求するものである。評議会の諸賢よ、市民の父よ、正しい判断を私は望む!」
明日も更新します。
次回第245話 短剣の誓い
夜8時ちょい前をどうぞお楽しみに!!




