終章 242.潜伏行
「侵略者は去ったようだぞ」
ルークが、狭い小屋の中にひしめいているロフォスたちに言った。
木の枝を組んで厚く泥を塗りつけた壁に、草葺の屋根。人の体温で意外に暖かい。
「天気を見る年寄りに聞いたら、今日から数日は穏やかな天気だそうだ。朝は冷えるが、それだけ用心していれば大丈夫だろう」
しっかりした革製の靴を見ながらルークは言う。大きめに縫い合わせた革靴の中に干し草を詰め込んで寒気を遮断する。
「マグヌス様の指示でした」
うつむくロフォス。
「ルーク殿、助かった」
「いや。俺は弟子のロフォスやあいつの友人を助けただけだ。お互い様、気にするな」
ルークは立ち上がったロフォスの腰に目を留め、
「あいつのだな」
「はい。良く斬れます。コツは要りますが……」
「おまえの腕ならすぐに使いこなせる」
マグヌスの師アーナムから大切に譲り渡されてきた剣である。
「これから、どこへ行く? お前たちを追う探索は厳しいと聞くぞ」
「東帝国のテオドラ様のもとへ」
「なぜそんな遠くへ?」
「これを渡してほしいとマグヌス様に頼まれました」
黄金造りの鞘と柄を持つ短剣をロフォスは示す。
マッサリア王家の紋章であるワシを彫り出したルビーが嵌め込まれており、これ一つで王家ゆかりの者と身の証が立つ。
対になる長剣は今はテオドロスのもとにある。
正統な持ち主は共に世を去った。
帝国統一の夢をついに果たせぬまま。
「自分も仕える相手を東帝国皇帝アンドラス五世陛下に変えようと思っている」
と言うのはテトス。
「そうか、マッサリア王国は沈む船だな」
「ああ。一波乱ある。ところでルーク、おまえはどうするんだ?」
「……その、金を出したら重宝がられて、当分ここから離れられそうにない」
いかにも窮屈そうに身体を揺する。
「俺はたまたま実家にいただけで……」
「ですが、おかげで私たちは助かりました。ありがとうございます」
几帳面に礼をいうロフォスの首に文字が彫り込まれた水晶の首飾りがかけられた。
「これがあれば我々の仲間だ。麓の村で見せて食糧と屋根を求めるとよい。さあ、行け、東帝国軍の中を避難した時を思い出せ」
「はい!」
ルークの言葉に励まされて十二人は山道を下り始めた。
メラニコスに遅れること半月、雪こそ無いものの北風は激しく、時には崖にへばりついて吹き飛ばされないように足を踏みしめた。
足元は後退する軍隊が踏み荒らしたまま凸凹になって凍っており、つまづいて谷底に転落しないように気をつけなければならなかった。
空は青く澄んで一片の雲も無かったが、彼らにそれを見上げる余裕は無い。
夜は身を寄せ合って立ったまま過ごした。
「星がこんなに明るいとは」
「足踏みするんだ。眠るなよ」
「手も足も感覚が無い」
東の空がバラ色に染まる頃、明け方の冷え込みが最も辛かった。
ボイオス人が持たせてくれた黒パンは、凍りついていて歯が立たず、一同空腹のまま再び歩き始めた。
「確実に降りている。辛抱するんだ」
テトスの言葉に励まされる。
「こんなところに人が住むとは、信じられない」
「こっちの住人からしたら、俺達のほうが暑くてやれんだろうさ」
それでも、メラニコスたちに比べて装備は恵まれていたのだろう。
麓の村を目前に倒れたまま凍っているマッサリア兵の姿が目につくようになった。
「そうか、道幅が広くなったんだ」
高所の狭い道では、歩けなくなった者は谷に転落して跡形も残らない。
「あと少しで休めるぞ!」
ロフォスの声に皆が手をさすりながら従った。
最初の家では水晶を見せても追い払われた。
考え直して、一番大きな家の戸を叩くと、やっと迎え入れられた。
家の中では火が焚かれている。
駆け寄るように火に手をかざした。
「助かりました……」
ロフォス一人は家長と思しき老人に礼を言う。
「その水晶の意味を知っているか?」
「いいえ。ただこれを見せて助けを乞えと」
老人は水晶を指す。
「私を助けてくれ。だがもし奪われたものなら持ち主を殺して仇を討ってくれ、そう言っている」
ロフォスは目を丸くした。
「これは私の剣の師でもある、ボイオス人にもらったものです。クマ殺しのルークと呼ばれています」
「その言葉、信じるよ」
老人は少し笑った。
「ただ、兵隊は暴虐が過ぎた」
「私たちは違うのです……」
「言わんでよろしい。厳しい触れも出ておる。知らぬ方が我々には良い」
防寒具に身を固めた一行をまじまじと見て、
「よく備えている。略奪していった兵隊とは違う」
ため息をつきながら、
「この村の家畜は皆食われた。毛長ヤギまで。それでも兵隊の半分は飢えと寒さで死んだ」
「食糧なら持っています」
ロフォスは凍ったパンを取り出した。
「儂の家の凍ってないのと取り替えてあげよう。それから一晩の宿。ただし空になった厩で」
「ありがとうございます」
腹にパンが入れば次の村まで降りられるだろう。
村を一つ降りるごとに寒さと風は和らぐようだった。
ルークにもらった水晶とテトスの銀とで食糧と宿を得ながらやっとアルペドン領までたどり着いた。
アルペドンでは、ボイオス人さながらの毛皮に身を固めた集団がお尋ね者とは知られることなく、やっと宿屋にありついて、暖かい食事を摂り、風の吹き込まない部屋に手足を伸ばす。
「これまでは寒さとの戦いだったが、これからは人目を気にしなければならなくなりますね」
「そうだな」
テトスは、凍傷から足を守ってくれた靴を見つめた。
本来ならマグヌスが履くはずだった靴。
難路で縫い目も緩みかけているが、これが無ければボイオスからの脱出は不可能だった。
「いや、どうかな。冬のさなかにアンカティ道を降りるとテオドロスが想像するか」
「用心に越したことはありません」
そこは我が身一つのテトスと十人の部下を持つロフォスの違いである。
「ここからどうやって東帝国まで行ったものか……」
「任せておけ。自分に考えがある」
テトスが意味ありげに笑った。
明日も更新します。
次回、第243話 至宝
夜8時ちょい前をどうぞお楽しみに!!




