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第十五章 238.包囲

 メラニコスから戦勝の報告がないことにしびれを切らしたテオドロス王は、テトスと伴百人を連れて山を登ってきた。


「城にはマグヌスがいるんだな?」

「はい。敵方の将と何やら話し合っております」


 二人は空堀にかかる橋の上で話し込んでいた。

 冷たい風が吹き抜けて行き、橋梁が低く響く音を立てる。

 低い位置で南中した太陽の光も弱々しい。


「冷えて来ましたね」

 

 内容は、メラニコスの軍の撤退。

 ただでは退かぬというメラニコスと、無法な侵略に怒るボイオス人の主張をすり合わせようとしている。


「水晶なら持って行け。だが、ボイオス人は誰一人連れて行かせない」

「商業施設の倉庫にあるだけ、全て持っていっても良いというのですか?」

「大人しく引いてくれるなら、良い。それに帰り道では、道を崩したりはしない」


 かなり有利な条件だ。


「話は持ち帰ってメラニコスと相談しましょう」

「決断は早いほうが良いぞ。食糧が尽きるか、冬将軍にやられるか」

「私もそうですが、マッサリア人はボイオスの冬を知リませんからね」


 敵同士であるはずの二人が穏やかに話し合っているのを見て、テオドロスは逆上した。

 自分に無断でボイオス人と交渉をしている──その事実が、テオドロスの逆鱗に触れたのだ。


「敵将と親しく話すとは。マッサリア王国を裏切るつもりか?」

「お待ちください、テオドロス様。あれはクマ殺しのルーク、ボイオス出身ですがマグヌスの親友です。話し合いが上手く行けば、兵を損耗すること無くボイオスを支配下に組み込めます」


 テトスのとりなしに、テオドロスは舌打ちした。


「命令通りにボイオス兵を討伐しないマグヌスには離反のおそれ有り。城を囲め」

「お待ちください、テオドロス様! 交渉の内容を聞いてから……」

「……囲め!」


 メラニコスが活き活きと動き始めた。


「心得ました!」


 鎧の触れ合う音が大きく響く。


「おかしい、軍が動き始めた。ルーク、あなたはボイオス人。逃げてください!」

「邪魔が入ったか……あばよ」

 

 矢が降り始めた。


「おっと……」


 ルークは、城の周囲を回り込むと、ウシの皮の上に乗って崖から滑り降りた。すぐに山の中へと見えなくなる。


「敵の首魁を逃がしたな!」


 テオドロスの怒りの火に油が注がれた。


 マグヌスもすぐに城に入って矢を避けた。

 

「マグヌスめ……」


 エウゲネスならば許容したであろうマグヌスの独断専行を、テオドロスは許さなかった。

 人の器の大きさは、こんな時に残酷なまでに表に出る。


 テオドロス王の声がこだまする。


「マグヌス、叛意無くば出てこい」

「王が来たのか……」


 マグヌスは外の様子をうかがった。

 弓隊が待ち構えている。


「マグヌス様……」

「マッサリア兵は我々を射殺すつもりかもしれないな」

「どうして……」

「分からない。だがここにいる限り大丈夫だ。この城はメラニコスが攻めても落ちなかった。安心して良い」


 マグヌスはもう一度外をのぞいて、


「緊張が解けた頃に出て行って話し合ってみよう」


 テオドロスは自分を殺す気か?

 なぜそこまで憎まれる?


 マグヌスはむしろ悲しかった。





 空堀の野バラは葉を落とし、指の半分ほどもある長い棘をむき出しにしていた。


「これは橋を使うしかないな」


 テトスは周囲の崖も確認してみた。

 人の背丈の五倍はゆうにある切り立った崖を見下ろす。

 細い尾根道が一本あるがとても渡れそうにない。


(ボイオス人は器用だ。ああいう芸当ができるんだな)


 先ほどルークが見せた崖の降り方を思い出した。


(テオドロス王も、落ちついたかな?)


 テトスは様子をうかがった。

 

 攻城を励まそうと来てみれば、部下が勝手に敵と交渉している。


(マグヌスのやり口を知らなければ、驚いて怒っても無理はないか……)


 床几(しょうぎ)に座って城を見上げているテオドロス王に、テトスは言った。


「私が城に入ってマグヌスに出てくるように言いましょう」

「……出てきて我が前にひざまずけと」

「……かしこまりました」


 注意深く見る者がいれば、この時、テトスに若い王を侮蔑する表情がちらりと現れたのを見逃さなかっただろう。

 何度も共に戦った友と、かろうじて得た王座にしがみつく王と。


(ゲナイオスの話をマグヌスにしてやる時だな)


 テトスは武装を解きながら一つの決意をした。


 武装してないことを城の守備兵に示して、難なく細い橋を渡り、テトスは城に迎えられた。


「テトス、よく来てくださいました」

「マグヌス、おまえの立場はおまえが思っているより悪い」 

「ルルディの息子である王に逆らうつもりはありません」

「おまえ……母后のことを……」

「彼女を失望させたくありません」


 テトスは声を荒げた。


「そんな甘いことを言える事態ではない!」

「テトス様、水でも飲んで落ち着いてください」


 ロフォスがカップと水指を差し出す。


「籠城に必要な水は確保してあると言いたいのか?」


 乱暴に飲みながらテトスはロフォスに言い、大きく息をついた。

 ロフォスがクスリと笑った。


「マグヌス、良く聞け。おまえがテオドロスに立ち向かうなら味方する。ゲナイオスとドラゴニアも同意している」


 マグヌスはカップを落としかけた。


「叛意はありません。どうして分かってもらえないのか」

「よく考えろ。母后を立てつつおまえが王となれ。決心できたら城を抜け出して麓の祖霊神の神殿に来い」


 テトスはカップをロフォスに戻し、一言褒めた。


「良い水だ」





 マッサリアの王都最大の繁華街、小ゲランスでは今夜も賑やかに夜が更けていた。


「まあ、飲め。これでしばらくお別れだ」

「おっとっと……」


 酒器を傾けてこぼれるのを避ける。


「無茶をしないでよ、クリュボス」


 豪華な部屋の垂れ絹を上げて翠の目の女性が顔を出す。


「わかってるさ、ペトラ。ウズラの炙り焼きもう一つ」

「……もういい加減にしてっ」

「あー、あー、うるさいな。今、大事な友人と話をしてるんだ。おまえのくれる小遣いなんて物の数にならないくらい大事な話だ」


 クリュボスは盃を干した。

 もう一人は神妙な顔をして、


「自分はテオドロス王に呼ばれた。ボイオスに行く」

「いよいよ城をもらうんだな」


 会話に頓着なくペトラが硬い声で告げる。


「分かったわ。そこの男のほうが私より大事なのね。あなたとは縁を切るわ。出て行って」

「今は客だぞ。失礼をするな」


 ファサッとペトラは垂れ絹を下ろして行ってしまった。


「良いのか?」

「城持ちになる友の方が大事。女の尻に敷かれるのはもうゴメンだ」


 城……今は主のいないアルペドンの城。

 手に入るだろうか?


 キュロスの盃を持つ手がかすかに震えた。



明日も更新します。

次回、第239話 父子の絆


ついにこのシーンをお披露目する日が来てしまいました。

夜8時ちょい前をお楽しみに!!

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