第十五章 237.難攻不落
ボイオス国に通じるアンカティ道は、人一人通れるかどうかの広さで開通した。
マッサリア軍は怯える馬を捨て、自分の背に負えるだけの食糧や物資を負って、ボイオスに続くつづら折りの道を歩いていった。
それから半月後、
「もったいないことをする」
捨て去られた食糧を見ながら、マグヌスはロバに乗ってやってきた。
このロバはヒンハンの子孫にあたる。
ロフォス以下十人があとに続いていた。
「済まないが、傷んでいない食糧を拾ってくれないか」
マグヌスもロバを降り、毛艶の良い背に振り分けにして食糧を積んだ。
ふと手を止めて秋の高地の空気を吸い込み、
「水晶のような風だな」
とつぶやく。
アンカティ道を登りきり、商業施設の広場にメラニコスは幕屋を張っていた。
「部下はそれだけか?」
メラニコスが呆れ顔をする。
「途中の山道で崖崩れの跡を見ました。被害は想像できます。私があなたと同じことを繰り返すとお考えですか? あの細道では食糧も運べず、自分で飢餓戦をやっているようなもの」
「いやいや、食糧はかなり回収したぞ」
「まだこんなにありましたが」
メラニコスはムッとしたように黙る。
マグヌスは丁寧に続けた。
「水晶が欲しいなら、対価を払えば良いでしょう」
「奴隷も欲しい」
「では、抵抗されるのも当然ですね。ボイオスの民は誇り高い一族です。そもそも、なんの正当性があってボイオスを襲いました?」
「王命により。これ以上の説明が要るか」
マグヌスは一つため息を落とした。
「問題の城を見せてください」
「案内させる」
彼は、高くそびえる城と細い橋のたもとに案内された。少し広くなっている。
「確かに攻めるのは難しそうですね」
その姿を城の塔の上から遠目に認めたルークが声を押さえた。
「あれは、マグヌスじゃねえか!」
彼は急いで門から出て、細い橋の向こうで呼びかけた。
「マグヌス、こっちだ、俺だ、ルークだ」
マグヌスは相手を凝視した。
ルークも橋の中ほどまで歩み寄る。
「故郷に帰っていたのですね」
「今はこの城に仲間とともに籠城している」
メラニコスが使った火玉で、外壁は焼けただれていたが、天井は落ちていなかった。城としては十全の機能を果たしている。
「そうだ、マグヌス、立ち会いで決めないか」
「立ち会いで?」
「勝ったほうがこの城を取る」
ルークは背に負った長剣をスラリと抜いた。
「おまえとは長い付き合いだったが、剣の優劣はつけていなかったな」
マグヌスは微笑んだ。
「損害を出す戦闘に代えて決闘を選ぶなら、受けて立ちましょう」
「お前とこんな形で決着をつけるとは思わなかった」
「私もです」
ロフォスがあわてて叫んだ。
「マグヌス様、武装を!」
「そうだな。ルーク、ちょっと待ってくれ」
「それなら俺が鎧を脱いだほうが早い」
言うなり、ルークは、兜、胸当て、背覆い、垂れ、膝当てなどを、ポイポイと脱ぎ捨てた。
「これで対等」
二人は橋のたもとの開けた場所に移動した。
「行くぞ!」
「おう!」
上背のあるルークの初太刀を左に飛んでかわし、一歩間合いを詰めると、マグヌスは愛剣を抜き打ちざまにルークの胴を狙った。
「くっ」
ルークの胸から繊維が飛ぶ。
「やるな!」
「まだまだ」
二人はガッキと剣を合わせた。
マグヌスが脚をからめようとする。
ルークは思い切り押し離した。
トッと飛び退くマグヌス。
かさにかかってルークは斜めに剣を振るう。
マグヌスはそれを自分の剣で受けた。
その時、異変は起きた。
前かがみになったマグヌスの手から剣が落ちたのだ。
(しまった!)
流れるようなルークの剣さばきは、その弧上にマグヌスの首を捕えていた。
「マグヌス様!」
立ち会いの掟を破ったロフォスが、マグヌスの前に身を投げた。
鋭い金属音がして、ルークの剣はロフォスの鎧に食い込んだ。
「うっ、くうっ」
「ロフォス!」
ルークは剣を引いた。
マグヌスの明らかな異変を察して、戦意を失っている。
「マグヌス、おまえ、手がしびれて……」
「またあなたに負けましたね」
右手を押さえたマグヌスはうめいた。
マグヌスと心中を図ってマルガリタが盛った砒素は、確実にマグヌスの身体を蝕んでいたのだ。
「……敵となったあなたに憐れみをかけて欲しくはない。けりをつけなさい」
「敵なもんかよ。おまえだってそうだろう」
ルークは長剣を鞘に納めた。
マグヌスは右手を押さえたままうなずいた。
「敵には、したくない」
「実をいうと食糧が無いんだ。城はおまえに明け渡す。安全に山へ逃がしてくれ。その軍功をもってメラニコスに軍を引かせてくれ」
「難しい交渉ですが……やってみましょう」
マグヌスも剣を拾うと、見守っていたメラニコスの方へ顔を向けた。
「ご覧の通り。全力を尽くしましたが負けました」
「見れば分かる。無様な」
「あちらは安全に山へ避難したいそうです。城は明け渡すと」
メラニコスが計算している。
テオドロス王が来る前に城を手にしておけば手柄になる。数十名ほどが山に逃げたところで何になる?
そして、城を出るにあたって何か小細工をしていないとは限らない。
マグヌスは彼の言葉を待った。
「マグヌス、おまえがあの城に入れ」
「メラニコス?」
「お前と部下の十名ほど、あの小城にはちょうど良かろう」
マグヌスは少し迷ってから、部下を振り返った。
「あの城に入る準備を」
ロフォスは難しい顔をしていた。
金属製の鎧には深い剣の跡。
眼の前で剣を取り落とす主人の醜態を見たのだ。
彼は、マグヌスが以前砒素をマルガリタに盛られたことを誰からも聞いていない。砒素が手足を痺れさせる毒であるという知識もない。
マグヌスは改めてロフォスに声をかけた。
「ロフォス……」
「マグヌス様、いったいどうなさったのです?」
「理由があってな……私はもう剣を握れない」
ロフォスはこの告白に息を呑んだ。
「おまえは剣も槍も筋が良い。それを見込んで頼まれて欲しい。私のこれを受け継いではくれないか?」
マグヌスは、自分の湾刀をロフォスに差し出した。
「お待ち下さい、それではマグヌス様の身を守る術が無くなる……」
「おまえに守って欲しいと頼んではいけないかな」
「マグヌス様……」
マグヌスは笑った。それは、どことなく淋しそうだった。
明日も更新します。
次回、第238話 包囲
夜8時ちょい前をどうぞお楽しみに!!




