第十五章 235.ボイオス攻め
次の夏、ボイオス攻めをテオドロス王に命じられたメラニコスが早速準備にかかるのを、テトスは苦々しげに見守った。
メラニコスに南征の際に思い切り暴れられなかった不満があるのは分かる。だが、
「評議会が承認していないぞ」
テトスはメラニコスを止めようとする。
「テオドロス王の命令だ。テトス、若くても立派な王が位に就かれた今、執政官は不要。おまえが廃されるのは時間の問題」
「私が言いたいのはそれではない。古よりの評議会を通せと言っているんだ」
メラニコスはせせら笑った──ようにテトスには見えた。
「戦果を持ち帰れば、評議会も追認するさ」
「それは、テオドロス王が言ったのか!?」
「そうだ。自分もそう思っている」
ほとんどの場合、評議会の承認がなければ物資の調達ができず、遠征の計画を立てても頓挫する。
しかし今回は、南征のために準備した資金、食糧、弓矢や投槍などが大量に残っていた。
「流用すれば、これも評議会が口を出すぞ」
「要は勝てば良いんだ」
ボイオス国の何を知っているのか?と、テトスは言いかけて止めた。
かの地は急峻なガラリア山脈の中の盆地、川は少なく、天水と井戸に頼る。
オリーブも小麦も育たず、蕎麦とライ麦が主食だ。
ロバはいるが、馬はいない。
特産として白くて毛の長いヤギがおり、生まれたばかりの仔ヤギのフワフワした毛皮が高価で取り引きされる。
他の産物として、たびたび山腹の空洞に水晶がビッシリ生えているのが見つかるが、その時は総出で採掘にかかり、価値が落ちないよう少しずつ出荷する。対価は平等に分配されるのが常だった。
安定した産出ではないため、鉱山奴隷はおらず、農家でも一人か、せいぜい二人の奴隷を所有するだけだった。
総人口五万ほどの小国ゆえ、クジで選ばれる民会と執政官によって政治は行われ、大仰な統治組織は持っていない。
人々は勇猛果敢、天然の要害の地でもあるし、これまで何度も侵略者を退けてきた。旧帝国も最後まで手を焼いた国だ。
「そんな小国を攻め取ってどうする?」
「マッサリア王国飛躍の鍵はゲランス銀山だった。ボイオスの水晶も高く売れる」
「銀と水晶は掘り方が違う」
マグヌスが居てくれたら……テトスは不在を嘆いた。
彼がいれば、ボイオス攻めには利益が無いことをメラニコスに納得させられただろう。
いくら王が命じても、手足となって動く将軍がいなければ侵略は頓挫する。
──しかし。
「俺は王の命令に従ってボイオスを攻略する。山道で鍛えられた男たちと水晶の首飾りを着けた女たちを手に入れて来てみせる」
確かにメラニコスの兵は強い。
テトスは眉間にシワを寄せたまま、
「どこを通って攻める?」
「アルペドン経由で。そこで多少食糧を分けてもらうつもりだ」
「マグヌスがアルペドンにいればなんとかしただろうが、彼がいない今、どうなるかわからんぞ」
「兵の数を五千に限るか……」
テオドロスが急に辞めさせたマグヌスの後継はまだ決まっていない。
確かに同じ人物が同じ地位に長く居座るのは避けなければならないが、マグヌスは優秀すぎた。
アルペドン領の繁栄具合は、メラニコスが統治を任されたルテシア領の荒廃ぶりと好対照だ。
「マグヌスが地位を追われたのは、王に逆らうからだ。南国と東帝国が手を結んだとか不確かな情報を持ち込んで」
メラニコスまで、この噂を持ち出すが、ただの噂と笑って打ち捨てれば良いものではない。
マグヌスが自分独自の情報網を持っているのは、周知の事実だ。
王に進言したなら、何らかの確証があったに違いない。
東帝国と再戦するという最悪の愚を、テオドロス王が犯さなかっただけましと考えるしかないか。
「ガラリア山脈は、アンカティ道を通ってボイオスに出る」
よく交易に使われる一番太い道だが、男三人が並んで通れるかどうかの道幅。
ガラリア山脈の村々をつなぎながら高地へ至り、ボイオスの国で道は終わる。
「隊列も組めないではないか」
「だから、不意打ちをかける」
テトスのシワが深くなった。
「メラニコス、武人の誉れを忘れたか?」
「父に等しい老将ピュトンに守られて逃げた時から無くしたわ。戦は勝たねばならぬ」
一ヶ月後、メラニコスは、ボイオスへ宣戦布告無しの奇襲をかけた。
アンカティ道の入口から続々と歩兵を侵入させ、ボイオスの民を驚かせた。
ここには外部の商人と取り引きを行うための広場がある。
メラニコスはそこに布陣しようとした。
ボイオス人たちが叫ぶ。
「敵襲! 敵襲!!」
「女子どもは山へ!」
農具も錘も放り出して走る。
「名も名乗らぬ侵略者め!」
鎧を纏う暇を惜しんだボイオス人がメラニコスの前に槍を構えた。
「我が名はメラニコス、マッサリア王の命によりこの地の支配権をいただく」
「卑怯者め!」
罵る言葉も何のその。
「待ってやるから鎧を着て来い」
「その間に陣形を組むつもりだな!」
押し問答している間に別のボイオス人たちは、アンカティ道沿いに道無き道を走った。
ガラリア山脈は、麓はともかく高度が上がれば、小低木ばかりの荒れ果てた山である。
片方はその高山の崖、もう片方は地の底まで続くかという谷。
アンカティ道はそんな心細い道であった。
「これは……」
見下ろせば、はるか彼方までアンカティ道を埋めて続く重装歩兵の隊列。
「岩をおとせ。道を塞ぐ」
心得たと、手を上げた一人が槍の石突を一抱えもある岩の下に差し込んでユサユサとゆすり始めた。
最初は音もなく、ついでゴツゴツとぶつかりあう音、最後にはとどろく轟音となって、岩雪崩はアンカティ道を襲った。
なぎ倒されるマッサリア兵は数知れず。
道そのものも、岩に打たれて崩れていく。
それに伴って谷底に転落する者たち。
いくつもの悲鳴が尾を引いて落ちていく。
この日、マッサリア王国による、何の正当性も無いボイオス攻めが開始された。
明日も更新します。
次回、第236話 北風の地
夜8時ちょい前をどうぞお楽しみに!!




