第十五章 234.左遷
アルペドンへ帰る前に、マグヌスは王宮へ呼び出された。
「マグヌス、アルペドンの代官を解任する」
テオドロスの宣言に、やはりそう来たかとマグヌスは思った。
「溜まり水は腐る。長年同じ地位にいるのは良くないと判断した」
「かしこまりました」
マグヌスはあくまで従順である。
テオドラを奪われ、第二の故郷とも言えるアルペドンを奪われ。
(ルルディ、あなたの愛する息子の王冠を守るために、私はどこまで差し出せば良いのか)
マグヌスは、気付かれないように小さなため息を漏らした。
「それでは、自分の区に戻ります。その前に一言、母后であるルルディ様にご挨拶申し上げたく……」
「許さぬ。母に姦通の汚名を着せようとした者ならなおさら」
「誤解なさいませんよう。私はルルディ様に永遠の忠誠を誓っているだけです」
テオドロスは少し頭を傾けた。
「良いだろう。ただし、自分が立ち会う」
「ありがたき幸せ」
少し経って、マグヌスはルルディの部屋に案内された。
両者を隔てる薄絹が気のせいか、以前より厚い。
「マグヌス、アルペドンを去るというのは本当?」
ルルディの興奮した声に、マグヌスは微笑む。
「はい。先刻、任を解かれました」
「評議会は承認しているの?」
一度は仮の王位に就いた身、質問は的確である。
「おそらく事後承認かと……」
「いや、マグヌス、評議会の内諾は取ってある。民会を開催してみたり、平民会を作ったり、おまえが評議会を蔑ろにしてきた結果だ」
テオドロスが得意気に口を挟む。
「そうでしたか……」
先王エウゲネスのためを思い、ルルディの願いを形にしようとしてきた結果がこれだ。
「ご心配には及びません。自分の区に帰ってしばらくゆっくりしたいと存じます」
「マッサリアに帰って来るのね。それならこちらにももっと顔を出してちょうだい。それに、テオドロスのことも頼みます」
ルルディはテオドロスの仕打ちに気付いていない。エウゲネスとマグヌスがあれこれありながらも共にマッサリア王国に尽くしたように、テオドロスとマグヌスもやっていけると信じている。マグヌスにはそれが悲しかった。
マグヌス自身もそうだった。
脆い花弁がテオドロスの手で粉々になるまでは。
「微力を尽くします」
違う。この王は自分を必要としていない。
「では、今日はこれにて。エウゲネス様の冥界での幸福を祈って去らせていただきます」
「ありがとう、マグヌス」
拍子抜けしたテオドロスを残して退出する。
もっとこう、男女の仲にありがちな失言が期待されていたのだろうが、マグヌスはおくびにも出さなかった。
マグヌスは、一度アルペドンに帰り、縁ある人々に別れを告げた。
「次の代官はどんな方でしょう?」
「残念ながら、私は知らない。おまえなら上手くやっていけるよ」
不安顔のゴルギアスを残し。
「テラサ、ここを去る前にキュロスのやったことを詫びたい」
驚愕するテラサの家を後にし。
「今後私と一緒にいても面白いことは起きませんよ」
親友ルークに笑顔で別れを告げて。
マグヌスは、マッサリアにある母ラウラの小さな遺領に戻った。
「お帰りなさい。マグヌス様」
「うん、帰った」
付き従うのはロフォスと十名の軽装歩兵のみ。
「ご活躍は遠くから拝見しておりました」
「ゆっくりお休みください」
「おいおい、年寄り扱いしてくれるな。こう見えてもまだまだ元気、区の兵役には真っ先に応募しよう」
「マグヌス様ともあろうお方が一兵卒として!」
集まった区民たちが、いちようにざわめく。
「将軍だろうが兵卒だろうが、私に変わりはないよ」
マグヌスは屈託のない笑顔を見せる。
「マグヌス様、剣を教えて!」
「後で」
近隣の区民で力を合わせて維持してくれていたマグヌスの母ラウラの実家に入る。
「手狭だが自由に使ってくれ」
部下は屋敷に泊めることにした。登録の処理はおいおい行おう。
(このままここに骨を埋めるのも悪くはない)
穏やかな日々の中で、マグヌスはそう思った。
麦の芽生えに気を配り、まだ固い葡萄の芽に秋の実りを想像する。
「マグヌス様が畑に入られずとも、生活に不便はさせません」
「いやいや、楽しんでやっているのだ。教えてくれ、今年のオリーブは豊作かい?」
時にテオドラが恋しくなる。
アンドラスと仲良くやっているか、後宮の女たちと諍いは無いか。
テオドロスを恐れてか、来訪者も少ない。
ただし、一人、大物がいた。
「ゲナイオス……」
「よう、マグヌス、農夫のまねが身につく前に相談がある」
「内密な話でしたら屋敷へどうぞ」
招き入れられた家屋を、ゲナイオスは遠慮なく見回した。
自分とドラゴニアの住む屋敷の四分の一にも満たない。天井も低い古い家だ。
「ロフォスがまた麦を作れると喜んでいます」
「おまえの部下か」
マグヌスは自分でワインの入った壺や酒器を運んだ。奴隷も持っていないのかと呆れる。
「余計なことはしなくていい」
ゲナイオスが慌てて止めた。
「では、お話をうかがいましょうか」
ゲナイオスは、身を乗り出した
「テオドロスから王位を奪え」
「これはまた、直截な物言いをなさる」
「彼は王の器に非ず」
ゲナイオスはだんだんと感情的になった。
「マグヌス、おまえが奪わなければ俺が奪うぞ」
マグヌスは黙って聞いている。
「評議会も同情している」
「評議会は、反抗的な私を憎んでいると聞きましたが」
「テオドロスの虚言だ」
ドン、と拳で卓を打つ。
「おまえに言われてさすがに東帝国が怖くなったのか、今度はボイオスを攻めると言い出した」
ボイオスははるか北、高山に守られた要害の地だ。マグヌスの申酉ルークの故郷だ。
「労多くして得るものは少ない」
「そうだ。夏場にワインを冷やす氷でも欲しいのか」
「評議会はどう出ますか?」
「もちろん反対だが、テオドロスは聞かぬつもりだ。まるで中身はアルペドン人だ」
逸るゲナイオスは、静かに手を押さえられた。
「命令が出れば、従いましょう」
それがマグヌスの返事だった。
明日も更新します。
次回、第235話 ボイオス攻め
夜8時ちょい前をどうぞお楽しみに!!




