第十五章 231.花の便り
テオドラの花嫁行列は、荘厳な皇帝夫妻の婚礼を見届けたあと、父王エウゲネスの死を知らぬまま、何組かに分かれて帰途につくことになっていた。
行きは威厳を見せつける壮麗な行列も、帰りは効率優先、百人程度の集団になって順次帝都を去った。
宮廷内では、急遽、謁見の間の玉座の隣に、テオドラのための椅子が設けられた。
黄金の花が一枝肘掛けに絡みついている以外は皇帝のものと遜色ない造りで、アンドラスが帝妃テオドラを特別な存在と考えているのがよくわかった。
帝妃が謁見に同席するのは、帝国開闢以来初めてのことである。
恐れていた後宮だが、正妃という称号、アンドラスの寵愛、テオドラの生来の人としての魅力が相まって、六人の「妻たち」も、一步引いてテオドラを立てた。
「どうなることかと思いましたが、皆様良い方ばかりで……」
いざとなれば剣を振り回すつもりだったイリスがホッとしてテオドラにささやいた。
「油断禁物よ」
テオドラは、寵愛を一身に受けながら、まだ緊張している。
各地から、皇帝の結婚に事寄せて祝賀の品が献上された。
毎日、謁見の間を埋め尽くさんばかりに広げられては、片付けられていく。
ほとんどが婚礼と同時に届いたが、それとは別に冬になって届いたものもあった。
「これはいかがしたこと」
アンドラスはそう言ったが、この時だけはテオドラは同席を許されず、使者の口上も書簡の内容も教えてもらえなかった。
「アンドラス様、何かマッサリアに不利な話題でも?」
「いや、心配しなくて良い。マッサリアが三度目の南征を行わない限り、無効な内容の条約だ」
「条約と言うより密約のように聞こえますが?」
アンドラスは苦笑いした。
「マッサリアに敵対するなら、エンコリオスの娘を寵愛することだろう」
南国のエンコリオスの娘は、テオドラの少し前に東帝国の後宮に贈られてきたが、身のこなしが粗野で皆を呆れさせ、アンドラスの妻の一人にも召し出されていない。
ただ、テオドラに対する敵がい心は並々ならぬものがあり、「自分も」と馬に乗ったは良いが振り落とされ、したたかに腰を打ったという。
テオドラは後宮を束ねる者として、そんな彼女にも見舞いの品を贈っていた。
エンコリオスの娘が反マッサリアをアンドラスにささやくのは、夢のまた夢。
ただ、今冬の使節は笑い事では済まないとテオドラは感じた。
贈り物も特別に貴重な品がそろえられていた。
象牙、ヒョウの毛皮、重くなるほど金糸の刺繍が施された亜麻布。
中でもテオドラが気になったのは、大きな花の鉢を抱えた奴隷だった。
足首と鉢が、青銅の鎖で繋いであった。
肉厚の葉と太い幹を持つ植物は、薄紅色の大輪の花をいっぱいに咲かせていた。
「砂漠のバラにございます」
何を聞いても奴隷はこの一言しかしゃべらなかった。
花の奴隷にされたこの男は、土の乾き具合に応じて水をやり、寒風を避け、日の当たる場所に移動し、花殻を摘んで、いつもきれいに花が咲くよう腐心していた。
テオドラは花の美しさに心惹かれて何度も見に行った。
かつて父から聞いた南国の砂漠に咲くというバラ。
あまりに熱心に見ているもので、
「テオドラ、おまえにあげよう」
と、アンドラスが譲ってくれた。
テオドラが喜んだのは言うまでもない。
ただその一方で、これは南国を支援するという密約の証ではないかとテオドラは疑っていた。
(南国からの特別な贈り物を受け取ったということは……なんとかして父上に知らせる方法は無いものか)
花を見ているのか、考え事をしているのか分からない。
そんなテオドラに、奴隷は何も言わない。
数日経って。
折よく、テオドラを東帝国に送った兵士たちの最後の一団が帰国することになっていた。
出発に際して皇帝に挨拶に来るという。
テオドラは、奴隷にことわって、一輪、砂漠のバラを手折った。
(父が見れば察してくれるはず)
彼女は花を手に謁見の間に急いだ。
「……間に合ったな」
屈託のないアンドラスの笑顔。
「皇帝陛下、並びに、王女様、いえ、帝妃陛下、仲睦まじいご様子を拝見して我々も最後の役目を終えました。マッサリアへ帰国いたします」
「役目、ご苦労。それにしても、伝説に残る壮大な花嫁行列だった」
マッサリアのお目付け役が退散するからか、アンドラスは上機嫌だった。
「テオドラ、おまえは何か言わなくていいのか?」
彼女はできるだけ緊張を見せないよう自然に振る舞った。
「皇帝陛下の寵愛を受けて幸せに暮しているとお伝え下さい」
そして、紙藺に挟んだ花を手渡した。
「それから、これを。贈り物ですと言って、アルペドンの養父に渡してください」
「それだけで良いのか? 象牙でも獅子の毛皮でも、あのマグヌスにふさわしいと思うものを贈って良いのだぞ」
テオドラは微笑んだ。
「私が皇帝陛下からいただいたものこそ、養父は喜ぶと思います」
「そうか? そういうものなのか?」
「はい」
このわずかな会話を通して、テオドラにははっきり分かった。
自分が求められたのは、マッサリアの王女だからではなく、マグヌスの養女だからだ。
(父上、テオドラは娘として役割を果たします)
「マグヌスに会うなら私からも一言伝えて欲しい」
「何をお伝えすればよろしいでしょうか?」
アンドラスは笑みを絶やさず、
「アルペドンの名馬を贈ってくれるという約束をお忘れか、と」
「陛下、養父はいつも馬の輸送方法を考えておりましたわ」
「馬だろう? 街道を通っては来られないのか?」
テオドラは微笑み返した。
「砂漠のバラ」は疑われずに渡した。
「馬泥棒、オオカミ、大河のワニ。普通に通っては十分の一になるそうです」
「それはまずいな。ゆっくり待とう」
アンドラスの信頼に、テオドラはチクリと罪の意識を感じた。
明日も更新します。
次回、第232話 虎の尾を踏む
夜8時ちょい前を、どうぞお楽しみに!!




