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第十五章 227.静かな眠り

 エウゲネスは、エンコリオスの粘り強い抗戦に手を焼いていた。


 また、わざわざアルペドンから呼び寄せた騎兵隊の馬が、暑さで消耗して次々倒れてしまったのも誤算だった。


 ナイロのメランが慣例を破って抵抗を呼びかけたため、槍持つ身ではない女子ども、奴隷たちも破壊活動(サボタージュ)に身を投じ、マッサリア軍は、気の休まる暇が無かった。


 メランの身柄は即座に捕えたが、処刑でもすれば抵抗運動の火に油を注ぐだけ、やむを得ず監禁し続けている。


「火玉で焼き払うか」


 エウゲネスは決意した。


「今後も膠着状態ならば、エンコリオスの歩兵隊に火を浴びせる」

「使用は最小限に。恐慌を起こして陣が乱れれば、突入出来よう」


 テトスも賛成した。


 ゲナイオスが指揮して海岸沿いを進む船団から、壊れやすい秘密兵器が運び出された。

 エンコリオスは、引こうとしない。


「よし、明日使うぞ」


 エウゲネスは宣言し、久しぶりに沐浴して、さっぱりした身体を寝床の上に横たえさせた。

 

 王宮ならルルディが丁寧に動かぬ脚を揉みほぐしてくれるのだが、あいにくここではできる者が居ない。

 力加減が難しいのだ。


 後から思えば、それが悪かったのかもしれない。

 いや、戦場という環境に、もはやエウゲネスの身体は耐えられなかったのかもしれない。


 彼は、枕に頭を落としてすぐに眠りにつくと、生々しい夢を見た。


「エウゲネスや」


 母である先の王妃が呼ぶ。


「母上、お救い出来なくて申し訳ありません」

「良いのです。そうせよと言ったのは私」


 歳を取らない母の首筋には、細く赤い横筋があり、その足元には黄色いオオカミが戯れていた。


「よく力を尽くしましたね」

「母上にそう言っていただけると……」

「マグヌスにはつらく当たったようだけれど」

「改めます」

「あの子にあらぬ疑いをかけてはいけません。弟ですよ」

「……はい」


 なぜ母は知っているのかと、エウゲネスは恐怖に襲われた。

 これは、何かおかしい。


「エウゲネス様」


 ピュトンも現れた。


「エウゲネス様、十分です。剣を置いてください」

「なぜ急にそんなことを言う? 常に戦えと私に迫っていたのはお前ではないか」


 ピュトンの背後は、深く黒い闇に包まれていた。


「時が来たのです。参りましょう」

「どこへ!?」


 王妃が答えた。


「もの皆安らぐグダル神のもとへ」


 すうと冷たいものがエウゲネスの頬をなでた。


「嫌だ。まだ戦わねばならぬ。エンコリオスがそこに……」

「もう、戦わなくて良いのです。王よ」


 よく見ると、ピュトンの身体は切り裂かれ、血に塗れていた。


「嫌だ」

「運命の女神には誰も逆らえないのですよ」

「嫌だ、嫌だ、嫌だ……」


 エウゲネスの心臓が、激しく震えたあと鼓動を止めた。


「行きましょう、戦わずともよい国へ」


 最後の息が力無く、薄く開いた口から漏れた。


 翌朝、王の幕屋に悲鳴が響いた。

 起こしに来たクサントスが、冷たくなっている父の姿を見つけたのだ。


 すぐにテトスが駆けつけた。


「エウゲネス様……」


 青ざめた顔を両手で挟む。

 ぬくもりは無い。


「こんな時に逝かれるとは」


 半身不随の彼を隠して、東帝国軍から逃げたテトスである。

 すべてが徒労のように思え、床に座り込んでしまった。


「敵に知られてはまずい。亡くなったことは隠せ」


 テオドロスが、冷徹な意見を述べる。


「まるで、眠っていらっしゃるようだ」


 クサントスにはまだ現実感が無い。


「エウゲネス様の代わりに先頭に立つ者がおられましょうか。ここは停戦を申し入れ丁重な葬儀を」


 テトスが低い声で妥当な提案をする。


「火玉があるのだぞ! 先頭には自分が立つ!」

「テオドロス様、お止めください。失礼ながらあなたには戦闘のご経験が……」

「無礼な!」


 崩壊寸前の騎兵隊からヨハネスが駆けつけた。


「まさか、エウゲネス様が……」

「ヨハネス、使者に立ってくれ。エンコリオスに葬儀の間の停戦を申し入れる」

「かしこまりました」

「ゲナイオスにも使者を。グダル神の神殿を探せ。松材を集めよ。葬儀の準備にかかる。エウゲネス様は亡くなられた」


 半信半疑で集まっていた兵たちが自分の仕事を思い出して散っていく。


 頭越しに物事を決められて、テオドロスは地団駄を踏んだ。


「亡くなったのは自分の父だぞ!」

「ですから、存分にお嘆きください」


 テトスは取り合わない。

 初陣のテオドロスの私情を容れていれば、葬儀も戦闘もまともに進まない。


 ヨハネスは、すぐに返事を持ち帰った。


「良き敵、輿の勇者の死を悼むものである。今日から十日間の停戦に合意しよう」


 グダル神の神官もすぐに見つかった。

 翌日にはゲナイオスが馳せ参じた。


「エウゲネス……」


 枕元に立って、瞑目する。


「かつて王位を分かち合った王よ、安らかに」


 エウゲネスが笑ったように見えた。


「それで、捧げ物は?」

「近隣の農家から家畜を徴発した」


 大国の王の葬儀には不足だが、戦場とあっては我慢するほかない。


「我ら自身は?」

「馬があれでは競馬は無理だろう。停戦もあと八日しか無い。陣地の周りを走る徒競走のみ行う」

「なるほど」


 死者と神々に捧げる競技会の話である。

 テトスはテオドロスたちを振り向いた。


「当然、王子がたも徒競走には参加されますね」

「当たり前だ」


 グダル神の神官と従軍していた戦女神の神官の両者が、兵士を指揮して油分の多い松材を高く組み上げ、その足元に家畜を並べた。

 グダル神に捧げるために、喉を切って血を大地に吸わせたもの。


 全軍が嘆く中、エウゲネスの遺体は高く運ばれ、神官が点火した。


 炎は日が暮れてもおさまらず、エンコリオスたちもその方向に頭を垂れた。


 かくして、不世出の英雄エウゲネスは灰となって散ったのである。




明日も更新します。


次回、第228話 テオドロス


夜8時ちょい前をお楽しみに!!

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― 新着の感想 ―
エウゲネス王は、私にとって好ましい人物ではありませんでした。 ですが、そんな人でも亡くなったら寂しい気持ちになるものですね。 彼の中にも苦悩、葛藤があったことでしょうし。ルルディさんが嘆くでしょう。 …
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