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第十四章 225.輿の勇者

「帰ってこない」


 ナイロの港の守備隊隊長は、接近中の大艦隊の偵察に出た五十櫂船を心配していた。


「やはり敵対勢力か」


 守備隊隊長には三つに分かれた巨大なナイロの港と大河を遡って点在する中小の港を天災や外敵から守る義務があった。


「最高執政官ニキアス様に知らせよう」


 彼はニキアスの館に走った。


 ニキアスは、竪琴の弦の張り方と音程について演奏家の専門的な話を聞いていたが、正体不明の大艦隊と聞いて、楽器を放りだした。


「マッサリア王国だ! 全土に臨戦態勢を取らせよ」


 と、叫んだ。


「マグヌスの言っていた動きが、こうも早いとは……」


 マグヌス云々は理解できなかったが、問い返す時間を惜しんで、守備隊長は、三つの港に分散していた商船を一か所に集合させた。

 同時に守備隊所属の予備の三段櫂船を船倉から引き出させる。


 船体は乾燥しているので、水を吸って木材のつなぎ目が塞がるまで使用できない。


「早く……早く……」


 彼は、灯台の足元の監視所から、港を埋める三段櫂船をにらんだ。




 ニキアスは評議会を招集し、善後策を練ろうとした。


「マッサリア王国のものと思われる大艦隊が迫っている。偵察に出した五十櫂船は帰らず」


 評議会は、大きな衝撃を受けた。


「マッサリア王国には何度も(よしみ)を結ぼうという使者を立てたが煮えきらない返事ばかりだった。こういうことか」

「いやいや、彼らが狙っているのは旧植民市のはず。ナイロは通過点では」


 投票を待つまでもなく議長は判断し、ニキアスに告げた。


「三段櫂船の漕ぎ手を招集せよ。重装歩兵を招集せよ。敵の規模がわからない以上、総動員をかけてナイロと我ら南の国を守護する」


 ニキアスは、守備隊長に再度の偵察を命じた。


「相手は敵対勢力と思われる。接触せず規模を確認して戻って来い」


 特に船足の速い五十櫂船が選ばれた。


 帰って来るまでの間、ニキアスは三段櫂船の漕手となる貧しい市民たちに、再度動員をかけた。


 しかし……。


「困りました。三段櫂船の漕ぎ手が集まりません」

「故郷の危機ぞ! なぜ訓練通り集まらぬ」

「ビオンたちが非戦を呼びかけております。自分たちを排除したナイロを守る義務は無いと」

「……それでも市民か。パンの配給は受けているであろう」


 貧しい市民たちが、ビオンに率いられて境界の壁を越え、高級住宅地の広場に集まって気炎を上げるのが聞こえてきた。


「ニキアスは裏切られた! マッサリアが攻め寄せるぞ」

「我らの血を流すな。責任は親マッサリア派にある!」


 当然、警備兵は解散させようとする。


「同じナイロの市民ではないか、この危急存亡の時に内輪もめを起こすな」


 ビオンがニキアスの前に進み出た。


「金貨十枚を持たぬ我らに選挙権を与えず、市民権を制限したのはそちらではないか。今さら船を漕げとは笑止」


 まるで祭り騒ぎでもあるかのように、武装していない貧民の群れがナイロ中を練り歩くのをニキアスたちは呆然と眺めた。


「ええい、重装歩兵はどうした!」

「各地区に集合、隊列を組んで港に向かおうとしております」

「遅い!」

 

 焦るニキアスや執政官たちのところへやっと報告が上がった。


「マッサリアの紋章を掲げた三段櫂船二百隻以上、丸船は数知れず」


 ナイロの三段櫂船をかき集めても二百隻に足りない。


「まともに戦っては勝ち目がない」

「だが、我らにはナイロを守る義務がある」

 

 数隻の三段櫂船がやっと港の入口に待機したが、水平線に広がる黒雲のようなマッサリア海軍の前に、戦わずして降伏した。


「敵船が港に侵入!」


 灯台から報告が上がる。

 

「材木を港に投げ入れて入らせるな!」


 材木を担いだ兵に、三段櫂船から矢が降り注ぎ、わずかな水面しか材木では守れなかった。


 隙間を見つけて漕ぎ寄せ、悠々と接岸するマッサリアの船。


「下船させるな!」


 緊急に集まった重装歩兵が、盾を重ねて応戦するが、マッサリアの船から駆け上がって来た騎兵に蹂躙された。


「馬まで積んで……」 


 港の守備隊は、高価な騎兵を持っていない。


「最高責任者は何処に。戦うのは無益、降伏せよ」


 見事な鎧に身を包んだ初老の男が呼ばわった。


「マッサリア王エウゲネス様の前に姿を現せ」


 武装したニキアスだが、脚を震わせながらマッサリア王の前まで歩んだ。


「私はナイロの最高執政官、ニキアス」

「ニキアス殿、私はテトス。こちらがマッサリア王エウゲネス」


 ニキアスは、相手の異様な姿に目を剥いた。


 鎧を着た四人の屈強な男が担ぐ小型の輿に乗る指揮官。


(これが母殺しの王エウゲネスか)


 ひざまずくことはなかったが、ニキアスはエウゲネスを見上げる形となった。


「最高執政官、ニキアス」


 輿の上の高い所から発する声は堂々として、ニキアスは圧倒された。


「ナイロは抵抗せずマッサリアの軍門に下るか」


 無傷で港に入れてしまったのが失策であった。

 漕ぎ手がおらず、港に居並ぶだけの三段櫂船。


 陸戦では、マッサリアにかなわない。

 マッサリアから来た客人──マグヌスとルークの腕の冴えを見たばかりではないか。


「降伏いたします」 


 ニキアスは、食いしばった歯の間から押し出すように、苦い言葉を発した。


「よし。まずは我々を上陸させて休息を取らせること。さらに水と食糧を徴発する。準備せよ」

「着岸はどうぞご自由に。我々の三段櫂船は船倉に引き上げます」


 水に浸かった重い船を、並べた丸太の上を転がして一隻ずつ石造りの船倉に納める。


 空になった港は、たちまちマッサリアの船団で埋まった。


 隣接する港に逃れた商船は、肩を寄せ合い、


「これからどうなるのだろう」


 と、震えた。


「各自積み荷の三分の一を提出せよ」


 マッサリアの要求に従うほかなかった。


 守るべき船が略奪されていくのを、ナイロの首脳陣は手を束ねて見守った。


 まず、ナイロは屈した。だが、


「侵略者に備えよ。我らの自由を守れ!」


 天下に名高いナイロの大図書館館長メランの号令が南方大陸に響いたのは、その二日後だった。




明日も更新します。


新章「巨星墜つ」に入ります。

次回、第226話 安否


夜8時ちょい前をどうぞお楽しみに!

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