第十四章 224.南征
よく晴れた暑い日が続く。
カモメたちさえ恐れをなしたか、近付こうとしない。
リマーニの港を出た三百隻の三段櫂船と、それに続く数百隻の丸船(貨物船)が、飛沫をあげながら青い海を切り裂いていく。
王女テオドラの東帝国への出発直後、エウゲネス王は大軍を率いて南を目指した。
多島海へ乗り出すと四つの船団に分かれ、南へと進路を取った。
船には赤地に金でワシの姿をかたどったマッサリア王国の旗が翻っていた。
乗り合わせるのは、一度手放した植民市に再び入植しようという独身の男たち。
女? 現地の女を捕えても良いし、奴隷を買っても良い。
欲望を抑えきれず、寄港地でも乱暴を働こうとする。
長く続いた平和な日々のおかげで、マッサリアでは、市民の人口は順調に増えていた。マグヌスが市民権を得るための条件を緩和したのも後押しした。
「植民市の奪還と、新たな土地を!」
分蜂したミツバチが新たな巣を求めるように、市民たちは植民する先を求めた。
男たちはほとんどが武装した兵士だった。
「ゲナイオス、順調に進んでいるようだな」
「はい。ただ、入植希望者の元気の良さには手を焼いております」
「漕ぎ手はどうだ?」
「ルテシアの奴隷ども、訓練通りによく働いております」
「丸船の船足の遅さよ」
マッサリア王エウゲネスは嘆いた。
人力で漕ぎ、速度の出る三段櫂船に比べて、気まぐれな風を拾って進む丸船は足手まといになる。
彼の乗る旗艦は見栄えの良い三段櫂船ではなく、本来貨物船である丸船だった。
彼を乗せる輿が、どうしても三段櫂船の船室に収まらなかったのだ。
「建造中の五段櫂船ならば、エウゲネス様をお乗せできたのですが……」
多数の船の建造で、ルテシア領の豊かだった森林資源は枯渇しようとしていた。
五段櫂船用の木材は、インリウムから輸入した。
「テオドロス、クサントス、初陣はどうだ?」
エウゲネスは、輿の脇に控える息子たちに尋ねた。
「辛気臭い船の中ばかりで……」
「もっともだ。南国に着いたら暴れてもらうぞ」
「かしこまりました」
評判の悪い丸船だが、積み荷は重要だ。武器や食糧、水、別のものは馬と秣を乗せていた。
中でも最も秘匿されたのは、丸船数隻に分けて積まれた、水で消えぬ火、今は亡き老将ピュトンが考案し、黒将メラニコスが製法を教わった秘密兵器であった。
前回の南征では、インリウムの海軍に頼った渡海だが、今回艦隊を率いるのは提督ゲナイオスとその妻、竜将ドラゴニア。メラニコスも一団を率いている。
智将テトスが王の側につき、アルペドン領から馳せ参じた騎兵隊長ヨハネスは馬と一緒に丸船に揺られている。
マグヌスはいない。
エウゲネスは、マグヌスから南国の騒動の顛末を聞くと本人には用無しとしてマッサリアに残るよう命じた。
「ナイロに親マッサリアの政権を打ち立てるのに成功したのだな」
エウゲネスは義弟の報告に満足気だった。
「勘違いしないでいただきたい。親マッサリア、親帝国と言っても、それは南国の内輪のこと。外敵には結集して当たるのが常です」
「それで、ナイロのメランは例によって中立か」
マグヌスは複雑な表情を浮かべた。
「いいえ、ナイロの大図書館は方針を変えたと思ったほうが良いでしょう」
全土に徹底抗戦を訴えても不思議はないとマグヌスは言った。
「被害が大きくなります。南征は中止して、多島海の諸都市に分散して植民を」
「前回は制海権が無いとお前は言ったが、多島海は今や我らが海」
「今回はナイロの方針転換、よくお考えください」
南征に反対したのはマグヌスだけではなかった。
「あなた、テオドラを嫁がせたのは平和のためではなかったのですか?」
ルルディが泣いてすがる。
「あれはあくまで東帝国との和平だ。それにおまえの実家も軍資金を提供してくれた」
ルルディの実家ミタール公国は、先年の東帝国侵攻の折、早々に膝を屈したとして微妙な立場にあった。
今回、旗幟鮮明にしようと、莫大な資金を差し出して恭順の意を示している。
かわいい娘の嫁ぎ先、東帝国を退けた巨大な軍事国家、逆らえようもない。
波を受けて船はきしむ。
風を受けて帆柱を支える綱が不気味な唸りを発する。
クラクシア港からミュスタ港へと、かつてルテシア海軍が、南下したのと同じ航路をたどり、大船団は南下した。
さらに南下を続け、ナイロの港に舳先を向けたところで、マッサリア海軍は初めての抵抗を受けた。
「こちらはナイロの港の監視船、そちらの大船団を受入れる空きが今は無い。引き返すか待機されよ」
南下を察知した、ナイロの五十櫂船からの警告だ。
「笑止。万の船を受け入れるというナイロの大港、たかだかこの数の船団を」
エウゲネスは相手にしなかった。
「我らを受け入れないための姑息な口実」
ゲナイオスの船が、五十櫂船の横をすり抜けて行った。
「止まらぬということか!」
「止めてみよ!」
五十櫂船は反転した。
「至急、報告を……マッサリアめ、こんなに早く攻め寄せるとは……」
急を告げるために立ち戻ろうとする五十櫂船に、物が割れるような音がして火の手が上がった。
「なんだ、火を消せ!」
海水をかけると、火はいっそう勢いを増して燃え上がった。
「消えぬ……水では消えぬ!」
恐慌が彼らを襲った。
火に巻かれる者、海に飛び込む者……。
マッサリア王国の秘密兵器は、まず、偵察者の息の根を止めるために使われた。
明日も更新します。
次回、第225話 輿の勇者
この章最終話となります。
夜8時ちょい前をお楽しみに!!




