第十四章 223.正妃は怖じず
草原の道は敷石の上を青草が覆い、それが風に乱れるたびに細い線となって現れて道と知れた。
アンドラス、カクトスはじめとする宮廷からの一行は、小高い丘の上に天幕を張り、花嫁たちの到着を待ち受けた。
二日目。
「来ますぞ!」
すっかり目が悪くなったというのに遠目だけは利くシュドルスが、彼方を指さした。
青空のもと、緑の草原の中、純白の衣装をまとった細身の姿が、鹿毛の馬を励まして、見る見るうちに駆け寄ってきた。
髪を留めるリボンをシュッと解くと、豊かな黒髪が風になびく。
丘に声が届く距離で娘は馬を停め、
「私はエウゲネスとルルディの娘テオドラ! 私を妻に迎えようという男子があると聞いてここまで来た。どちらにみえる!」
まるで戦場の名乗りだ。
彼女は髪をかきあげ、馬が前に進もうとするのを手綱を引いてその場に留めた。
「見事な手綱さばき。我こそは東帝国皇帝アンドラス五世。そなたを妻にせんとここまで迎えに来た!」
アンドラスは、我を忘れて、二、三歩歩み出していた。
(良い度胸、さすがあのマグヌスが育てただけはある)
カクトスが、アンドラスの愛馬の手綱を渡した。たてがみと一緒につかんで、一気に飛び乗る。
その間に、栗毛のカペに乗ったイリスが追いついた。
「姫様、無茶はいけません」
「姫様はやめてよ。今まで通りテオドラでいいわ」
「正妃となられればそうはいきません」
女同士の会話に、丘を駆け下りたアンドラスが割って入った。
「そなたは……」
「テオドラ様付きの侍女、イリスでございます。失礼いたしました」
半馬身下がる。
「ほう。マッサリアでは女たちも乗馬を嗜むとは知らなかった」
アンドラスの目はテオドラに釘付けになっている。
「槍を持てば戦女神もかくや……」
「耳聡き神々に対して過ぎた例えはお控えください。しょせん我らは死すべき身」
やり取りも対等だ。
見た目は美しいが、ただそれだけの後宮の女たちとは、ひと味違う。
意表をつく登場といい、即意当妙な受け答えといい、アンドラスはテオドラに心を鷲づかみにされた。
「この娘が正妃……」
帝国の難事を相談するにも、夕暮れ時の物悲しさを語るにも良き相手とアンドラスは初対面で判断した。
テオドラはテオドラで、皇帝アンドラスの気さくな様子に安堵したらしい。
大輪の花のような笑みを浮かべている。
宮殿で待たず、ここまで迎えに来て良かった。
「妃よ……」
アンドラスが儀式も済まぬうちにそう呼ぶのも不自然ではない。
二人は馬を並べて仲良く会話しながら帝都への道を進んだ。
少し離れて、撤収した天幕を運ぶ一団、それに更に遅れて、マッサリアの騎兵隊、嫁入り道具や侍女たちの輿の集団、軽装歩兵たち。
真昼の日差しが、若い二人を祝福するように降り注ぐ。
「帝国はたいそう大きいと聞いております。陛下も立派なお歳、正妃を欠くとはいえさぞかし賑やかな後宮でしょう」
「うむ、なるべく断っているのだが妻が六人、子は娘が二人いる」
アンドラスは少し恥ずかしそうに答えた。
「いずれも美姫だが、そなたの前では色褪せる」
「お上手なことを」
テオドラが頬を染めた。
「二人でこうして入城してしまえば体裁が悪うございます。私はイリスとともに後から参ります」
「テオドラ……」
アンドラスは馬を寄せて、テオドラの手を握った。
「待っている。必ず来い」
「はい。必ず」
ニコリと微笑むと、銀のリボンをアンドラスに渡し、馬腹を蹴って列の後方へ。
見送るアンドラスに、カクトスが声をかけた。
「女傑、でございますな」
「見事だ。それに美しい」
黒髪をなびかせた後ろ姿から目が離せない。
アンドラスは手に残されたリボンを頬に押し当てた。
「あれはマッサリアの女というより、アルペドンの女でしょう」
アルペドンの騎兵に手玉に取られたシュドルスが、やや苦いものを含みながら意見を述べる。
「あのマグヌスが慈しんできた女性だけはあります」
未婚のカクトスは悔しさをにじませる。
「我々は、人質以上のものを手に入れた……それで間違いはございません」
テオドラたちを迎え入れるために、アンドラスは女たちの門である北門ではなく、正門に当たる東の門を開けさせた。
異国の花嫁を見ようという帝都の住民が、北側から急いで東に移る。
テオドラは、民草の声に怯えがちな愛馬の首を叩いてやり、堂々と先頭に立って入場した。
馬は興奮して首を弓なりにしならせ、馬銜を噛み、踊り子が爪先で踊るように拍子を刻んで優美な歩調を見せた。
「……おお、お美しい」
「お顔を拝めるとは」
イリスが、道沿いに硬貨を撒いた。
どっと人の波が揺れる。
「なんと銀貨じゃ、お大尽じゃ」
女たちは銀貨に殺到する男たちから守るために、我が子を後ろに下がらせた。
「銅貨でいいのに……でも、あまり身を飾る女性じゃないのね。正妃と言うにはみすぼらしいわ」
「女の身で馬に乗るなんて」
「まだ若いのね」
遠目に見てあら探しをする。
しかし、堂々とした立ち居振る舞いに文句を付けられるものはいなかった。
(父上、アンドラス様はおっしゃるとおりの方でしたわ)
背筋を伸ばして、真っ直ぐに宮殿の門が開くのを見つめていた。
(でも、いきなり六人の奥方の上に立つなんて)
イリスが半馬身遅れて馬を進める。
手には空の革袋を握っている。
準備してきた硬貨を撒ききったのだ。
「イリス、付いてきてくれてありがとう。本当の冒険はこれからよ」
「覚悟はできております、姫様」
泣き虫だった面影はもう無かった。
昨日は遅れてごめんなさい!!
明日も夜8時ちょい前に更新の予定です。
次回、第224話 南征
どうぞお楽しみに!!




