第十四章 222.世界の注目
マッサリア王国の王女の婚礼行列が来る。
通り道に当たった都市は言うまでもなく、遠くからも見物客が駆けつけた。
行列は一つの軍隊の行進に似ていた。
先頭にはマッサリア王国の紋章入りの軍旗を掲げた騎兵隊が立ち、百人余りの軽装歩兵が続く。
行進を励ます笛と太鼓が十人ほど。
軽快な調子で、諸国の民謡を元にした曲を演奏する。
その後に色とりどりの布で乗り手の姿を隠した輿の集団が来て、見物人は「どれが王女なのだろう?」とささやきあった。
しかし、実は王女テオドラの姿はそこにはなかった。
王都から離れるとすぐに彼女は輿を降り、騎兵隊から予備の馬を借りて馬上の人となった。
「輿は酔ってしまうから」
彼女は、布や銀製品、様々な調度品を乗せた荷駄隊に紛れ、自分を探す人々の様子を眺めていた。
「夢中になるとあんな風に口を開けてしまうのね」
乳姉妹のイリスが、乗り慣れた栗毛馬のカペに乗って隣につく。
その前後を騎兵が警備した。
「エウゲネス様が女性は輿でと指示されていたが、この二人の手綱さばきなら大丈夫。むしろこうした方が目立たなくて良い」
責任者の騎兵隊長は柔軟で、テオドラのわがままは許された。
「テオドラ様、寒くありませんか」
「日差しがあるから大丈夫よ」
二人とも、暖かいヒツジの毛皮を羽織っていた。それに馬の身体の温もりもある。
「旅の初めよりは日も長くなりました」
「一日に進める距離が増えたわ」
「遅刻しては大変ですから」
「そうね」
夕刻には郊外の荒れ地に幕屋を張った。
この大人数を受け入れられる都市は少ない。
食事も自給だ。
たいていは粥と塩漬け肉入りの豆スープで、これも軍隊仕様である。
テオドラや侍女たちには特別に新鮮な肉や魚、果物が出る。
食糧も大量に運んではいるが、とても運びきれず、買い入れる機会があるごとに購入した。
世界の西の端から東の端へ……。
マッサリア王国の威容を見せつけながら行列は進んだ。
初夏、アンドラスは落ち着かなくなった。
噂は婚礼行列より早く東帝国に飛び、王女の一行が大河を無事越えたと告げていた。
東帝国に入れば、街道が整備されているから、行列の速度は上がるだろう。
「テオドラ……どんな娘だろう」
これまでも後宮に女性を迎え入れてきたが、これほど心を乱されたことはない。
「陛下は落ち着いて、ただ迎えればよろしかろうと」
「そうだな。婚礼の儀式は有って無いようなものだし」
カクトスにたしなめられても、すぐにそわそわと西の方を見る。
「いっそお迎えに出られては?」
「そうしよう。都の外、数日ほどのところまで」
婚礼の式次第を取り仕切る典礼官が、
「それはしきたりとは異なります。お止めください」
と、金切り声を上げるのを笑いながら、アンドラスは、軽装で気心の知れた者だけを連れ、西へと続く街道をたどった。
三日も行けば、広い草原とまばらな林である。
「おっ、シカだ! 今宵の夕餉に……」
行く手を横切った数頭のシカの群れに、馬を降り、各々弓を用意しようとしたところ……。
「危ない! どこを狙っている!!」
アンドラスが叫んだ。
彼の愛馬をかすめて矢が飛んできたのだ。
「我々ではありません!」
「敵襲か?」
「伏せろ!」
皆が物陰に身を隠す一方、アンドラスは逆に立ち上がって、
「物取りか! 余が皇帝アンドラス五世と知っての狼藉か!?」
と、呼ばわった。
駆け去っていく蹄の音がした。
「あれだ! 逃がすな!!」
てんでに騎乗し、黒い影を追う。
影は振り向きざまに矢を放った。
矢を受けた馬の悲鳴。
だが、その一瞬で距離は縮まった。
「我らの馬のほうが速い。気を付けて追え」
逃げ切れないと分かって影は向き直った。
一対多の矢の応酬。
矢を射ち尽くした影が名乗りを上げた。
「我が名はコウフォス! 偽帝アンドラス、赦すまじ……」
同時にぐらりと傾き、無数の矢を受けたまま、ドサリと地べたへ転落した。
矢傷を受け、落下音に驚いたコウフォスの馬が、あらぬ方向へ走っていく。
「コウフォス……生きていたとは」
シュドルスが下馬して近寄った。
「待て、殺すな。なぜそこまであれに忠誠を尽くすか尋ねてみたい」
「すでに事切れております」
アンドラスも近寄った。
コウフォスの死に顔はもう老人と言って良い齢である。
往年の能力があれば、この軽装備では危うかったと、冷たいものが背を伝う。
そして、この歳まで自分を恨んで生きてきたのかと思うと哀れに感じる。
「典礼官の言うことを聞いておくべきだったな。花嫁を出迎える前に人死にとは……」
アンドラスたちは顔を歪めた。
近隣の都市に事情を説明して、遺体を引き取ってもらわなければならない。
「先の皇帝の差し金でしょうか?」
「いや、あれは監視の厳しい聖山にいる。我らの動きを知ることが、まず、不可能」
旧帝は聖山の厳しい修行で、野心など持てぬほどにやせ衰えたと弟から聞いている。
「では、宮廷内に内通者が……」
「おおかた、パンテラスの手先であろうよ」
帰ったら、今度こそ禍根を残さず、皇帝の威光を知らしめてやろう。彼は誓った。
そして、
「テオドラが狙われなくて良かった」
自分に降り掛かった危機よりも相手の無事を喜ぶほど、異国の王女はそれほどアンドラスの心を捉えていた。




