第十四章 220.良き日、良き時に
東帝国では、祖霊神に三度うかがいを立てた。
マッサリア王国では諸神の神託を受けた。
双方良き日として、帝国歴二四五年六月十日正午が婚礼の日時に選ばれた。
東帝国の神官は高らかに日付を告げた。
暦も時刻の数え方も失った旧西帝国の諸国を愚弄するように。
「こちらからは歴法と時刻に詳しい奴隷を派遣しよう」
マグヌスは賛成した。
マッサリアの暦では、皆既月食の予報もできなかった。
祖霊神の神殿の発表に従い、毎年を月の満ち欠けに応じて十二ヶ月か十三ヶ月と数える初歩的な暦法だ。
時間に至っては、朝、昼、夕の大まかな区別しか無い。
「マッサリア年譜をあえて言うなら九八年か。よく続いたものよ」
間に諸王の一族への王権移譲を挟みつつ、マッサリア王家として、小国分立した西側諸国にしては格別の長命国家である。
旧帝国が分裂して以来、年の数え方も地方ごとに異なる。
旧帝国の正統を自負する東帝国は、旧帝国建国以来の年を数えている。
西側共通の歴は旧帝国の滅亡から数えるので八九年となる。だが、煩雑になるのでこれを使う者は少ない。
契約に用いるのももっぱら各国独自の暦である。年の始めも諸国地域で統一されていない。
交易が活発になった現在、その行き違いから訴訟になる例も少なからずあった。
一時は混乱しても、暦が統一されれば最終的に皆の利益になるとマグヌスはテトスに伝えた。
「テオドラは十八になるな」
あまりに幼い花嫁では、いかにも政略結婚らしくて好ましくないが、十八歳なら形になる。
南国への旅行から帰ってみれば、テオドラもイリスも女らしいふっくらした身体つきに変わっていた。
「アンドラスは、もういい大人だな。よく正妃の座が埋まってなかったもの」
妃の一人ではなく、あえて「正妃」であることにマグヌスは希望を見出していた。
「父上、見ていただけますか?」
マッサリアへ旅立つ準備中のテオドラが、旅装を見せに来た。
「女たちも乳母以外は馬で参ります」
リボンを使って優雅に結われた黒髪と膝丈に着付けた白い着物の対照が、テオドラらしい。
リボンは銀糸で織られており、素朴な銀の鎖の首飾りによく映えていた。
「これに毛皮を羽織ります」
「馬か。マッサリアに着いたら大人しくしないと、母上が悲しむよ」
マグヌスは笑った。
「これではおかしいかしら」
「母上に聞いてごらん」
「そうしますわ。父上の意地悪」
六月に間に合わせるには、冬には出発していなければならない。
二人でふざけあえるのもあと数日。
「お姫様、きれいになったなぁ」
と、感嘆するのはルーク。
「美醜は皮一枚。後宮で生き抜ける才があるかどうかは別物です」
「今度おまえをきれいなお姉ちゃんたちのいる店に連れて行ってやるよ。比べれば、お姫様が別格だとすぐにわかるさ」
「お断りします」
テオドラは幼い頃から容貌をとやかく言われたことがないので、恥ずかしがって黙っている。
「アンドラスもひと目で気に入るさ」
「だったら……良いのですが……」
やっと小さな声を出すテオドラ。
「気に入られるよう努力しますわ」
「だからといって、自分を押し殺してはいけないよ」
「イリスも一緒ですから」
「そうだ、イリスの夫を探していない!」
マグヌスがあわてるのを、今度はテオドラが笑った。
「良縁は神々が見つけてくださいます」
残念な結果に終わったキュロスとの失恋を経験しているだけ、イリスは強い。
「皆、成長していくものだな」
自分が老いるはずだとマグヌスは思った。
白髪をテラサが抜いてくれたことがあるが、最近は少し目立つ。
「ロフォスも最近は俺と対等にやりやがる」
「クマ殺しのルークと対等とは、たいしたもの」
ロフォスはテオドラの出発前に両親に挨拶してくると、ミソフェンガロの湖に出かけていた。
テオドラへの想いを振り切る意味もあるのだろう。
「マッサリアまでの護衛の隊長にはロフォスを任命するつもりです」
「腕は俺が保証する」
「ヨハネス将軍も保証してくれましたよ」
「帰ってきたら、あいつ驚くな。お別れがマッサリアまで伸びるんだから」
異国の暦に従えとはどういうことかと苦情を申し立てる神官たちを待たせたまま、マグヌスは残り少ない団欒のひと時を過ごしていた。
「さて、しびれを切らす前に会って来ようか」
王の間にやっと姿を現すと、大神官長のヒッポリデスが、対応しきれずに右往左往している様子がうかがえた。
「そもそも暦とはその土地に合わせて作られるもの。他国の暦に合わせて種まきや取り入れを行うのはおかしい!」
「自給自足している間は良かろう。だが、例えば交易に要する期間、三ヶ月と取り決めたとして、マッサリアとアルペドンで日数が違えば混乱の元」
マグヌスに言われて、一同押し黙る。
「国が変わっても星座が変わらぬように、農作業に関わるほど大きくは変わらない。まず、東帝国の暦を見て判断してくれ」
「いや、暦法は国の根幹……」
「マッサリアとアルペドンですでに違うが?」
「それは国が違うから……」
「アルペドンという国はもう無い。それに、なぜ暦を神殿で取り扱うのか、根本に立ち戻って考えて欲しい。国や地域といった人の定めたものではなく、神々の定め給うた天球の動きを計るからこそ」
ううむ、と祖霊神の神官が顎に手をあてた。
「同じ一つの天球を計るからには、暦も一つになるというわけですな」
「その通り。こちらでは失われた、時を計る術まで持っている東帝国の暦法に一度合わせてはもらえぬか?」
ヒッポリデスが恐る恐る話をまとめた。
「では、帝国暦二四五年六月十日から、帝国暦への移行を……」
「まだ暦を扱う人間が届いておらんわい」
「余裕を持って届くよう手配しよう」
マグヌスが請け合った。
テオドラの嫁入りの置き土産、暦法の統一は必ず役に立つとマグヌスは信じていた。
明日も更新します!
次回、第221話 別れ
夜8時ちょい前をお楽しみに!!




