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第十四章 219.白羽の矢(スシア)

 カクトスたちがマッサリアの王都に入った頃、マグヌスとルークはやっとナイロの内紛から解放された。


 最高執政官の選挙は、無産市民も含める形で行われたが、エンコリオスの支持が消極的になったため、ビオンではなくニキアスが順当に勝利した。


「結局ニキアスの味方をしてしまいましたね」

「仕方ないだろう、ビオンはやり方が汚すぎた」


 メランは候補者の演説の前に選挙とは無関係であることを改めて宣言した。


「形だけでも中立を守れました」


 彼女はマグヌスたちに礼を言ったが、外国人に守られての中立とあって、大図書の権威は大きく毀損(きそん)された。 


「今の図書館のあり様は私でおわるでしょう」


 再び賑わいを見せ始めた大図書館と学校だが、メランは暗い予想を立てていた。


 帰りの船の中で、テオドラに政略結婚のことをなんと伝えようかとマグヌスは考え込んでいた。

 季節は冬になっており、船はひどく揺れていた。


 正式な申込みが来るまで、テオドラに政略結婚の話はしないほうが良いだろう。


 なぜなら、エウゲネス王の気持ち一つで話が物別れになることもあるだろうし、皇帝アンドラスが他の女性に心を移す可能性もあるからだ。


 問題の先送り。


 この件に関して、彼の思考は精彩を欠き、普段の判断力を失っていた。

 ルークが言ったとおり「親の目は曇る」のだ。


 しかし、帰国してみれば、すでにテオドラにマッサリアに戻るようにという命令が届いており、宰相ゴルギアスが途方に暮れていた。


「やむなし」


 マグヌスは、料理人に砂糖菓子を作らせ、手ずから茶を淹れて、昼餉(ひるげ)時、執務室にテオドラを呼んだ。


 困惑するテオドラに、マグヌスは東帝国に嫁ぐ話があるのだと打ち明けた。


「マッサリアの王女であるおまえを、皇帝が望んでいるのだよ」

「私を……」


 当然、テオドラの動揺は大きかった。


「父上、私はロフォスにも求婚されています」


 今度はマグヌスが驚いた。


「どこまで真剣な話なのだ?」

「父上に許しを求めると……」


 留守にしていたのだから、当然ロフォスがテオドラとの結婚の許しを求めることはできていなかった。


「おまえの気持ちはどうなのかな?」


 ゆっくりと、マグヌスは問うた。


「……仲の良い幼なじみ」


 そこから愛情へと進化しても不思議は無い。


「幼なじみ」


 マグヌスは繰り返した。

 隊長ヨハネスを待ち続けていた女性のことが胸に浮かぶ。


 茶が冷めていく。


「私は人質になるのですか」


 テオドラがつぶやいた。


 実の父はマッサリアのエウゲネス王であることは知っている。


「……王女に生まれたから」

「人質とは少し違う」 


 マグヌスは言葉を選びながら情報を追加した。


「東帝国帝国との間で和平を結ぶにあたり、テオドラ、おまえを『正妃』にむかえたいと皇帝アンドラスが申し込んで来たのだ」


 冷え切った茶を口に運ぶ。


「そして、東帝国と和平が成れば、エウゲネス王は南征を開始するだろう」


 実父の望む南征という戦争のための和平をもたらす生贄(スシア)


 政略結婚の駒として役に立つと分かった途端に呼び戻すのはいかがなものか。


「エウゲネス王は確かに実の父であるけれど……」


 言葉には出せないが、マグヌスは政略結婚を嫌っている。


「父上、和平を(あがな)うために、自分の意志とは関係なく東帝国に送られて行く私は、奴隷とどう違うのでしょう?」


 テオドラの言葉が心に刺さる。


「テオドラよ、人は皆、神々の支配下にある。全てを自分の思い通りにできる者はいない。人が人を奴隷として(かね)で勝手にできると思っているとしたら、それは傲慢(ヒュブリス)だろうと私は思う」


 マグヌスは話題をすり替えた。

 気付いていながら、テオドラは追求しない。


「最高神である祖霊神に祈って運命を変えることはできないのでしょうか?」

「男の信じる神々と女のそれとは少し違うらしいね。おまえの信じる神に祈ってごらん」


 マグヌスに言われて、テオドラは(はた)習いの密儀を思い出した。


「違うのです、父上、原初の女である運命の女神には、身を委ねるしかないのです」


 問題は解きほぐされている。


 自分のためにエウゲネス王に逆らえと、場合によっては軍を動かしてくれとマグヌスに頼めるか? 

 否。


「テオドラは、東帝国に参ります」

「すぐに返答しなくてよいのだよ」


 テオドラは砂糖菓子を口に含んだ。

 干しイチジクを細く切って砂糖水で煮詰め、さらに砂糖をまぶしたもの。

 蜂蜜とも甘葛とも違う純粋な甘味が広がる。


 マグヌスが再び茶を飲んだ。

 卓の上には、マグヌス宛の書類が片寄せられていた。

 

「……王女テオドラの養育大儀であった。これよりはマッサリア王宮に引き取る」


 政略結婚については一言も触れない実の父から来た書状だった。


「マッサリアに戻れば、母上に会えますから」


 テオドラは書面を見て言った。


「それに、父上はアンドラス陛下をご存知ですよね。ひどい方ではないのでしょう?」

「私の知っている限りは信頼に足る人物だ。ところでロフォスのことはいいのかい?」 

「ただの幼なじみです」 


 ひとつの皿に盛られた砂糖菓子が、次々とテオドラの口に消える。


「茶も飲みなさい、冷めてしまったけれど」


 二つ残った菓子の一方をつまみながら、マグヌスが言った。


「冷めていても、お茶はお茶。父上に育てていただいても実の父はエウゲネス王。父には逆らえません」


 逆らっても良いのだと、養父の顔は言っていた。

 全力で守ってやる、とも。

 ロフォスと結婚したいならさせてやる、とも。


 だが、テオドラは決心していた。


「イリスともお別れですね」

「いや、行くなら乳母もイリスも一緒だ」


 こわばった表情が少し緩むのを自分で感じる。

 それならば異郷の地で耐えられるかもしれない。


「テオドラ、本当に良いのだな?」 

「はい」


 少し甘え顔になって、


「父上、結婚記念にあの黄金の短剣をいただけませんか?」

「いや、こればかりは無理だ。だが、私に万一のことがあればおまえに渡るように手配しておくよ」


 不吉な言葉に、テオドラはあわてた。


「父上、ちちうえ、もうねだりませんからそんなことはおっしゃらないで」

「無力な養父を赦してくれ」

「テオドラはいつまでも父上の娘です」


 最後の砂糖菓子が消えた。


「マッサリアの王女として誇り高く嫁ぎます」





明日も更新します。

夜8時ちょい前をお楽しみに!


次回、第220話 良き日、良き時に

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