第十四章 218.空白は一つ
実際、即位以来、皇帝アンドラスのもとへは、各地から美姫が送られていた。
だが彼は彼女らを愛玩しても、正妃の位を与えてはいなかった。
むしろ、波風立たぬよう慎重に彼女らに接した。
癇癪持ちの前の皇帝は色事を慎んだが、アンドラスは人並みにたしなみ、後宮へも活気が戻った。
「陛下、失礼ながら三十歳も超えられたことですし、そろそろ身を固められませんと」
「私に正式に結婚しろと、独身のお前が言うのか?」
「はい」
「どの女も面白みに欠ける。添い遂げたいとは思えないのだ」
カクトスは意味ありげに笑った。
「これではいかがでしょう? 見目麗しく、御年十五、婚約期間は二、三年必要かと」
「帝国のそこそこの娘たちは洗いざらい後宮に入った。どこにそんな娘がいるのだ?」
「エウゲネス王の王女でございます」
「密偵からもそのような話は聞いていないが?」
「密偵に探り出せなかったのも無理はない、アルペドン領のマグヌスのもとで密かに育てられております」
秘めて育てられた王女。
それだけでアンドラスは興味をひかれた。
しかも育ての親はあのマグヌス。
「名は何という?」
「テオドラ様」
ここぞとカクトスは口調を強める。
「テオドラ王女を迎えれば、マッサリアにもマグヌスにも牽制となりますぞ」
これは好機とアンドラスは考えを巡らせた。
「今や大国となったマッサリア王国、その王女ならば正妃にふさわしいかと」
カクトスが言葉を添える。
アンドラスは笑みを浮かべた。
「申し分のない使者を立てよ。テオドラ王女に良き縁あり、帝国の正妃にお迎えしたいとな。その見返りに和平を結ぼう」
「かしこまりました。私が参りましょう」
数ヶ月後、カクトスはマッサリアの王都にあった。
東帝国の使者とあって、執政官テトスが対応する。
「東帝国の使者ご一行、どうぞ宮殿でお休みを」
「ありがたくお受けする」
正使カクトスは堂々と答えた。
「私は執政官のテトスと申します」
「おお、智将テトス殿、先の戦で王を守り抜かれた忠臣」
「カクトス殿は王都を攻められましたな」
「恥ずかしながら、守り堅く……」
テトスが話題を変えた。
「僭越ながら、ご用の向きをうかがってよいかな。まさか昔話が目的ではありますまい」
「テトス殿にならお話しできましょう。実は、テオドラ王女を東帝国の正妃陛下としてお迎えし、それを縁として正式に和平を結びたいと」
「は?」
テトスは返答しなかった。
表情を読むに、驚きのあまりといったところだ。
和平はいずれ考えていたことかもしれない。
だがテオドラとは。
エウゲネスが我が子と認めていない王女。
マグヌスが掌中の珠と慈しんでいる姫。
「いや、驚かせてしまって申し訳ない。我が主アンドラス五世陛下にふさわしい女性としてやっと思い当たりましてな」
「……」
「明日にでも親書をエウゲネス様のご覧に入れましょう」
「……あまりに大事ゆえ、私からの返事は差し控えまする」
カクトスはうなずいた。
このまま有利に交渉が運べば……。
翌々日、カクトスは皇帝アンドラスの親書をエウゲネス王に差し出した。王座の横にテトスが立って成り行きを見守っている。
親書を開く前にエウゲネス王は、
「内紛は無事片付いたのか?」
と、尋ねた。
「きれいに片付きましてございます。アンドラス五世陛下十余年の治世に、東帝国臣民は皆満足しております」
「アンドラス陛下が名実ともに東帝国の支配者となられたのだな」
しつこく念を押されて、カクトスは多少苛立ったが、これは仕方がない。
エウゲネス王に、たった一人の王女を欲しいと言っているのだ。
エウゲネス王は手を清めてから親書を開いた。
格調高く書かれているが、内容はカクトスが告げたものと同じだ。
続いてテトスも読んだ。
「両国に正式の和平が結ばれれば幸甚の至り。しかし王女の身の絡むことゆえ少し検討させていただきたい」
「もちろんでございます」
カクトスは、やや違和感を覚えた。
(テトスが知らせていたにしても、エウゲネスは落ち着き払っているな)
子を持たないカクトスは、そのあたりの機微に疎い。
ましてやテオドラの複雑な立場など想像もできない。
彼にできるのはただ待つことだけだった。
エウゲネス王は、今回の縁談を念のために評議会にかけた。
評議会は全会一致とはいかなかったが和平を支持した。
前回の侵攻を恨んでいるものもまだ居るのだ。
「テオドラを呼び戻せ」
エウゲネス王は命令した。
ルルディがこれを機にと食い下がる。
「あなた、それはテオドラを娘と認めてくださるということですか?」
「和平の見返りに欲しがっているのだろう? 渡せば良い」
「酷いお言葉を……」
エウゲネス王の目は他の方を向いていた。
「これで東帝国と正式に和平を結べれば、心置きなく南方に乗り出せる」
「あなたは父としてテオドラをかわいいとは思わないのですか!」
「……愛情は無い。そもそも王家に生まれればこういう運命になりうると分かっていたはず。帝妃ならばこの上ない名誉」
エウゲネス王は、冷徹に答えた。
「呼び戻してから嫁ぐまでの間、帝妃にふさわしく、女として落ち度がないかよく確かめておくように」
「今さら……マグヌスの育て方に問題があるとでも?」
「なおさらだ。馬に乗っているというではないか?」
「これまで大事に育ててくれたマグヌスが嘆きます」
「実の娘でないなら諦めもつくだろう。それとも、あれはマグヌスの子か?」
それを言われるとルルディの反論は一つしかない。
「間違いなくあなたの子です」
「私の子なら、私がどうしようと構わぬはずだ」
「お抱きになってもいないものを!」
子どもは父親に抱かれて初めて子として認知される。
エウゲネス王は多少気がとがめて、それには答えず、
「ふさわしい侍女と衣類を選んでおけ。装飾品はテトスと相談して鉱山で作らせる」
ルルディが何を言っても、エウゲネスは愛情の印を見せなかった。
明日も更新します。
第219話 白羽の矢
夜8時ちょい前を、どうぞお楽しみに!!




