第十四章 215.救出
ルークは途中の店で樫の木剣を買った。
マグヌスも同様に、同じ店で練習用の弓と矢を見繕った。
「こちらの神殿が奴らの溜まり場です」
土壁で隔てられた貧民街には入らず、使者は彼方の尖塔を指差す。
「おそれながら、そこにご子息が囚われているとは限らないかと」
ルークが不敵に笑った。
「しかし場所を知ってる者は確実にそこに居るだろう?」
マグヌスは弓に弦を張った。
ビオンに武芸の心得があるとは思えない。
ルークと同じく、敵を殺さずに制圧する心積もりだった。
「ここからは俺たちで行く」
「自分はここで待っております」
使者の声は震えている。
「相手も同じ人間。そこまで恐れる必要はないでしょう?」
マグヌスたちは貧民街に足を踏み入れた。
土の壁に藁葺き屋根の小屋が、乱雑に積み重ねられたように建てられ、強風でも吹けば崩れそうだ。
細い道を塞ぐように綱が張られ、あちこち破れた衣類が干されている。
「なんだ、お前たち。どこの区の者だ!」
乱暴に声が飛ぶ。
「……ニキアスの代理人だ!」
ルークが怒鳴り返し、木剣を振り上げる。
「きゃあっ!」
相手は殴られたわけでもないのに大仰な悲鳴を上げて逃げ出した。
腰布一つのみすぼらしい姿だ。
「神殿に逃げていくようですね」
マグヌスが弓をおろしながら応じた。
「行きましょう」
尖塔目指して細い道を進む。舗装も無い。
神殿はさすがに石造りで、道幅一つ分ほど周囲の建物と画してあり、かろうじて威厳を保っていた。
まず、マグヌスが民家に身を隠して、神殿正面の扉に矢を放った。
練習用の弓矢とはいえ、そこは扱う者の腕の冴え、二射で大きな音を立てて扉は破れた。
「ビオン、出て来い! ニキアスの代理人だ!」
かしいだ扉を蹴破ってルークが飛び込む。
弓で援護しながらマグヌスが続く。
「ビオン、どこだ!」
「ニキアスの子を返しなさい」
相手の人数は多いが、面白いようにルークの木剣に痛打を食らって引いていく。
悲鳴が続くことしばし。
奥の至聖所に続く扉が開いた。
マグヌスが隙間に狙いを定める。
「ビオンか?」
粗末な神官姿の中年男が姿を現した。
「聖域をなんと心得る。ニキアスの子の件は我らの仲間の短慮。詫びを言う」
ビオンの一言で静まり返る。
「ビオン様、それは……」
「ニキアスの仲間に腕の立つ者は居ないと言ったのはお前だったな」
「それは……」
マグヌスが、弓をおろした。
「責めないであげてください。我々はたまたま客として逗留していた異国人です」
「その剣……アーナム師の弟子か」
「ご想像のままに」
ビオンは抜け目なく彼我の戦力差を計っているようだった。
考えるまでもなく勝てそうにはない。
二人とも、剣を抜いてさえいないのだ。
「無事送り届けよう。神殿での狼藉は止めてくれ」
「好んで神々を冒涜するつもりはありません」
「これもそもそもは、金貨十枚以上の蓄えを持つ者のみに投票権を与えるとした違法な判断ゆえ。ナイロの半分を支える無産市民を選挙から除外するとは」
ビオンの繰り言。
「東帝国から支援が来れば、マッサリアの狗どもは地に伏すであろう」
「母の名にかけて誓っても良いが東帝国は戦乱を避けるでしょう」
「世迷い言を」
「私は、マッサリアの内情も東帝国の方針も知る立場にあります。両者は争わない」
ざわざわと動揺する雰囲気。
「近々、東帝国からの使者が来て、私と同じことを言うでしょう」
「つまらぬ予言は身を滅ぼすぞ」
「では、もう一つ予言を。マッサリアは南国に出兵します」
前とは比べ物にならないざわめき。
「俺たちゃ、三段櫂船の漕ぎ手に招集されるのか!」
「馬の世話に駆り出されるかも知れない!」
マグヌスは穏やかに続けた。
「内輪もめよりも手を携えてマッサリアに抵抗しなさい。私たちと話をしたければいつでも大図書館にどうぞ。ただ、メランに無礼を働けば叩き出しますよ」
「むう……マッサリアめ」
ビオンは悔しそうにうめいたが、手下を呼び寄せるとその耳に何ごとかささやいた。
ニキアスの息子は、約束通り解放され、兵士たちの駐屯所に保護された。
ニキアスは駐屯所に急ぐ。
子どもは父の顔を見て堰を切ったように泣き始めた。
「おお、息子よ、さぞ怖かったろう。あやつらにはきっと思い知らせてやる」
そこには紛れもない父の顔と計算高い派閥の指導者の顔が、二つながらあった。
ニキアスは、息子を落ち着かせてから、メランのところへ礼を言いに来た。マグヌスとルークもいる。
「下手人は厳しく探索するように軍に働きかけます」
「ニキアス殿、お怒りはもっともですが、殺人犯以外は許してやってはくれませんか。こういう書状も来ていることですし」
メランは卓の上の上質な巻物を取った。
マグヌスが来ていると知らないカクトスは、自分で足を運ばず、書面をよこしていた。
「これは……」
どう見ても、皇帝アンドラス五世からのもので、遠からずマッサリアと正式な和平を結ぶつもりであると明記してあった。従って帝国派とマッサリア派が争うのは無意味であるとも。
南方諸国とは交易を通じて友誼を結びたい、大図書館に対しては、心からの敬意を込めて黄金を満載した貨物船が東帝国から出港しており、間もなくナイロに到着するだろう、と結んであった。
「マッサリアも当面東帝国と事を構えるつもりはありません、ただし」
マグヌスは息を吸い込んだ。
「エウゲネス王は先年失われた植民市を取り返すつもりです」
「おお、槍先は南国に向いているというのか!」
「そうです。あなたとビオンのどちらが最高執政官になっても、これは止められない」
「あの地を支配するエンコリオスたちが黙っていないでしょう」
気がかりそうに言うメラン。
「私はエンコリオスたちに会いに行きます」
カクトスが来てくれなかったのは残念だが、皇帝の書には重みがある。
「私はあなたを止めません」
メランはため息をついて、もう一通の書状をマグヌスに見せた。
こちらは、カクトスの私的なもので、皇帝の片腕として俗世の栄華を極めているが、どうしてマグヌスへの敗北感が拭えないのだろうかとメランに率直に吐露していた。
「私よりもずっと恵まれているでしょうに」
マグヌスが言い、メランは、もう一度ため息をついた。
明日も更新します!
次回、第216話 旧植民市にて
どうぞお楽しみに!!




