第十四章 214.メランの嘆き
ほどなくして、マグヌスとルークは親マッサリア派の首魁、大金持ちのナイロ人、ニキアスと引き合わされた。
人数分の椅子を持ち込み、メランの部屋は満員だ。
ニキアスは印章を兼ねた金の指輪をはめた手を差し出した。
「わざわざ来ていただき心強い限りです」
「いえ、誤解なさいませんよう。我々はあなた方の勝利のために来たわけではありません」
マグヌスがまず釘を刺す。
「この地が再び平和な学術都市に戻るよう、和解に力添えをさせていただきます」
「そのためには、我々が権力を握り私が最高執政官となるのが最も近い道」
メランから聞いた話では、前任者が任期を残して急死したのが騒動の発端だという。
通常なら選挙で選び直すのだが、貧しい者たちの選挙権を制限しようとしたことで問題がこじれた。
賄賂の横行する南国では、確かに裕福なニキアスが有利だが、貧民たちは数が多い。
ニキアスが親マッサリアを表明したため、貧民たちは自然に東帝国派になる。
彼らは見たこともないほど豪奢な宮廷の噂を飽きずに聞いている。
「持たぬ者ほど心に持つことが必要だ」
クリュサオルもメランもそう説いて学問を勧めたが、今や貧しい者は異国の下世話な噂話で心を満たしている。
説いているのはビオンという任を解かれた祖霊神の神官で、ニキアスの口からは悪い噂が次々に出る。
「一応市民権を持っているので立候補は可能なのですが、最悪なのは、エンコリオスどもとつるんで……いや関係を持っていることでして」
ピクリとマグヌスが反応する。
かつて、マグヌスがマッサリアの植民市を戦略的に撤退させた後、旧ルテシア派の船団に甚大な被害を与えたのはこの土着民エンコリオスたちだ。
(まだ彼らが勢力を保っているのか)
マグヌスは込み入った状況を頭に入れた。
持つ者と持たざる者、そのもとからの反目に加え、最高執政官になれば、大河の通行権、金山やエメラルド鉱山の利権が得られるため、ビオンとニキアスは鋭く対立し、南国諸侯は真っ二つに。
メランは中立の立場だが、物理的距離の近いニキアスと会うことが多い。
それに怒って前回乱入してきた三人組は、ビオンの一派だそうだ。
「国政を論じるなら歓迎しますが、私にビオンを支持せよと強制されても……」
「あなたの権威を利用しようとしているのです。それに違いない」
「本人を目の前に言いにくいことですが、ニキアス、あなたもそうでしょう」
メランの指摘にニキアスは憤然と身を乗り出した。
「私はメラン様を尊敬しております。その証拠に現在も我が息子を図書館に通わせている!」
「危険なので通学は控えて欲しいと私は警告しています」
それで図書館に人がいないわけだ。
マグヌスは、敵との対話に一縷の望みを託した。
「ビオンとは会えないのですか?」
「身の危険を言い立てて、ネズミどもの巣窟にこもったままだ」
マグヌスは、かつてメランに助力を求めて拒まれたことを思い出していた。
「メラン、あなたは人が変わられた。私を呼んで政治問題を解決しようとするなんて。私は、ただ師を悼みたかっただけなのに」
いや違う。
エウゲネスに敵情視察を条件に許された旅だ。
そして、エウゲネスが南征を企てていることは、まだ告げていない。
「それだけ事態が切迫してるんだろうよ」
完全に第三者のルークの意見は的確だ。
「お前も勘が鈍ったんじゃないか? アルペドンでのんびりテオドラを育てているうちに」
「それは言わないでください」
マグヌスは一瞬緊張を解いたが、その時、空の図書館に、ニキアスを呼ぶ声が響いた。
「ニキアス様! ここにおられましたか」
「何事だ、騒がしい」
「大変です、ご子息がさらわれました」
「何だと!」
「これを恐れていたのです。だから両派とも図書館には近づくなと」
メランの声は悲痛だった。
ニキアスは呆然としてこの知らせを聞いた。
「……護衛は付いていなかったのか」
「二人。死体で見つかっています」
「死体にこの紙藺が……」
まだ血糊の乾かぬそれには、乱暴な文字で、
「最高執政官の座を明け渡さねば、お前の子どもは細切れになって魚の餌だ」
と、記されてあった。
ルークとマグヌスが同時に立ち上がった。
「あの時、あなたはラクダ一頭を恵んでくださった。その恩に報いましょう」
「俺も行く。ビオンとやらの居場所に案内しろ」
メランが制止しようとした。
「暴力を用いれば憎しみの連鎖が続くだけです」
「子どもをさらうとは、奴らは一線を越えた」
ルークが、背の剣に手をかけた。
ニキアスは即座にこの異国人たちに問題を委ねることを決めた。
「望むだけの黄金を差し出しましょう」
「それはお止めください。子を持つ親として私は行動するつもりです」
「俺はもう使い切れないほどの金を持ってるんでな」
ニキアスの当惑をよそに、二人はニキアスに悲報を告げた使者に案内を求めた。
「言葉は剣の前に無力なもの」
メランは椅子に座り込んだ。
「クリュサオル師が生きておられたら、どんなに嘆かれることか」
「メラン、クリュサオル師は剣に言葉で立ち向かおうとして殺害されたのをお忘れか?」
マグヌスが古い話を持ち出す。
「そう……だから私はおまえがアーナム師に剣を学ぶのを止められなかった!」
メランは卓に伏して嗚咽した。
「その時間を学問にあてていれば、今頃はこの図書館の長になっていたはず……」
メランの後継者がいない……彼女の人並な寂しさをマグヌスは理解した。
「その話は無かったことに。私は義兄とともにあることを選びました」
席を立ったルークが急かした。
「マグヌス、話している暇は無い」
昨日はすみませんでした。
明日も夜8時ちょい前に更新予定しております。
次回、第215話 救出
どうぞお楽しみに!!




