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第十四章 213.再会

 ルークが口を開けて見上げたほど、大図書館は巨大な建造物だった。

 古い建築様式でアーチ構造は無い。

 周囲には南国にはよく見られる、掌のような緑の葉を重ねた、背の高い棕櫚(しゅろ)が植えられ、幅広の列柱廊に英雄たちの彫刻が並ぶ。

 

 大図書館の大扉は開け放ってあった。

 学びたいものはいつ何時でも入れ──先代の館長であるクリュサオルの時からの慣例である。


 二人は扉の前の人工の泉で手と足を洗い、衣類についた旅のほこりをはたき落とした。

 貴重な文書を納めた図書館に対する配慮だ。


 建物の内側には、一面に大地の花々を描き出したモザイクの床が広がっていた。


「おかしい」

「何が?」


 マグヌスは玄関にあたる広間を見渡した。


「普段ならここは議論する若者であふれているのですが」


 人っ子一人いない。


「奥へ入りましょう」


 マグヌスにとっては勝手知ったる建物、案内も乞わずに足早に奥へ進む。


「各々の部屋に種類ごとに分けられた巻物があります」


 半開きになった扉をのぞき込むルークの腕を引っ張る。


「おお、そうなのか」

「見学なら後で申し出ていくらでもしてください。メランに会うのが先です」

「まさか、女主人も居ないなんてことはないよな?」


 人気のない通路を進むと、声高にののしる男の声が聞こえてきた。

 返すメランの声は低い。

 足音を消してその部屋に忍び寄りったが、背中の剣に手をかけたルークに、


「……軽挙せず」


 ほとんど同時にバタンと大きな音がして扉が開いた。

 

 三人の中年男性が出てきたが、うち一人は気がすまないのか、振り向いて「頑固者!」とののしった。


「聞き捨てなりません」


 外に人がいるとは思わなかった三人連れは、マグヌスの声に飛び上がった。


「私はメラン様の弟子。荒事にもやぶさかではありません」

「きっ、貴様はどちら派だ!」


 マグヌスとルークの携えた剣をかわるがわる見ながら吐き捨てる。


「外国人です。どちらでもありません」

「けっ、外人かよ」

「余計なことに口を挟むな!」

「また来るからな!」


 三人は虚勢を張ったまま、立ち去った。


「マグヌス、お入りなさい」


 あの三人を相手にしていたとは思えない落ち着いた声が小部屋の内側から響いた。


「メラン、友も一緒ですがよろしいでしょうか?」

「もちろん」


 小部屋は三方が窓になった六角形になっており、壁にはナイロの風景を織り出した壁掛けがかかっている。

 大図書館の北側にあるため、南国の強い日差しはささない。


 中央に卓と椅子があり、そこにメランがいた。


 白髪混じりの癖の強い髪、褐色の艶やかな肌、濃い茶色の瞳の老女。


 一見、平凡なナイロの女性だが、これが世界の哲学者から尊敬されているナイロのメランだ。


(歳を取られた)


 知性に輝く目は昔のままだが、白髪はめっきり増えた。


 加えてこの間、弟子の一人カクトスは東帝国に招聘され、波乱はあったものの皇帝の側近く仕える有力者に成り上がっている。

 流れた時の長さにマグヌスは改めて感慨深いものを感じた。

 そして、自分も、はや壮年の山を越そうという歳になっていることに気付き、彼は狼狽した。


「ようこそ」


 メランはルークに話しかけた。


「南国は勝手も違うでしょうが心安くお楽しみなさい」

「ありがたきお言葉、自分は北国ボイオスの生まれで……」

「北風の故郷ですね」

「ご存知ですか」

「書で読んで、人に尋ねて」

「夏を過ごすには良い所です。ぜひ……」


 マグヌスは咳払いをして世間話を中断させた。


「アーナム師の墓前に参ろうと来てみれば、何やら不穏な……」


 メランは憂い顔になった。


「ナイロの恥を見せます。現在、ナイロと言わず、どの都市も東帝国につくかマッサリアにつくかで争っています」

「港で一端は目にしました」


 メランは席を立ち、マグヌスたちに歩み寄った。


「おまえとカクトスの手紙で、両国が不仲ではないことを私は知っています。だが誰も信じてくれない」

「メラン、もしかしてカクトスにも……」

「足を運んでほしいと頼みました」


 親友に会えるかも知れないと思うと、マグヌスの心は踊った。


「しかしメラン、物事には順序があります。私はまず、師の冥界での幸福を祈りたい」

「むろん。案内させよう。そのお連れも剣の道を歩む方と見える。アーナム師のお話は無駄にはなるまい」


 メランは卓上の鈴を振った。

 澄んだ音に呼ばれるように一人の少女が現れた。


「この方々を、アーナム師の霊廟へ」

「はい」


 南国では、たいていの女は肩で髪を切りそろえるか、そういうかつらをかぶるので、一見して奴隷かどうかの区別はつかない。


 ただ、少女が裸足であることと、メランと自分たちに深くお辞儀をしたことから、自由身分ではないだろうと想像した。


 少女は、マグヌスが慣れ親しんだアーナム師の剣の私塾へ案内した。


「こちらです」


 師が寝起きしていた小さな庵が、そのまま石造りの廟に置き換えられていた。


「日頃から質素な方だったのです」


 マグヌスは冷たい石に触れながらささやいた。


「ああ、彫ってある。『両断する剣をもって人を結ぶ』……師の言葉です」


 訳あって腕の筋を切られたため重い剣は握れず、細い小枝を握って弟子を指導していた恩師の姿が脳裏に浮かぶ。


 倒れるまで稽古しても「家に帰るまで戦場」と放置され、木剣にすがって歩んだ夜の道。


 霊廟の石壁により掛かるマグヌスの目から涙がこぼれた。


「良い言葉を残すじゃないか……俺も死ぬ前に何をいうかは考えておかなきゃ」

 

 人一倍元気なくせに勝手なことを言っているルークには応える気にもならず、ひとしきり泣いてから、マグヌスは涙を払った。


 その後、少女に導かれるまま、図書館近くの宿を取った。


「メラン様は思索の時間に入られましたので」


 少女はメランの身近に仕えているのだろう。


 マグヌスたちが案内の礼に出した銅貨を受け取りもせず、そそくさと帰ってしまった。


 それから数日、二人は宿で旅の疲れを癒やしたが、カクトスが着いたという知らせは来なかった。


「忙しいのでしょう」


 メランにもやや焦燥がみられる。


 カクトスは、アーナム師の弟子ではない。

 飛び立つように亡き師のもとへ向かったマグヌスとは違う。


「東帝国の舵を取っているカクトスと一緒なら、どちらに付くかで争うことなど無駄と言い切れるのですが」

「マッサリアの人間だけじゃなぁ」


 街を歩くたびに感じられる不穏の気配は、外国人である二人の心にも忍び込んできた。




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