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第十四章 212.危うい中立

 多島海の西側三分の二は、強力なマッサリア海軍の影響下にあって、海賊はなりを潜め、交易はいやが上にも盛んになっていた。


 マッサリア海軍は、提督ゲナイオスと竜将ドラゴニア二人に指揮され、アッタリア水道、オロス島沖などの交通の要所で通行税を徴収し、陸路の通行税と合わせて、それはマッサリアの国庫を潤していた。


 ただ、どの分野も交易が盛んだったわけではない。

 平和が続いて戦争奴隷が生じなくなったことと、マッサリア領内での奴隷の待遇の大幅な改善のせいで、奴隷貿易の旨味は少なくなった。

 奴隷市場は閑散として売買される奴隷の数は減り、奴隷商人たちは扱う商品を変えた。


 マグヌスとルークはマッサリアのリマーニ港で貨客船を見繕い、改革の成果を見ながら南方へと向かっていた。


「多島海の東の方は、東帝国が頑張ってるんだな」


 アンドラスの面影を心に浮かべながらマグヌスがつぶやくと、


「ああ! 皇帝陛下が代替わりなさってから住みやすくなったよ。前のように、二度も三度も税を取られることはなくなったし」


 水夫が帆を留める綱を張り直しながら答えた。

 

 マグヌスは微笑んだ。

 ミソフェンガロの惨敗からあと、いくつの試練が若いアンドラスを鍛えただろう。

 立派な皇帝として君臨しているらしい。


「マッサリアの夫婦提督も大したもんだ」


 水夫はついでのようにこちらも褒める。

 かつては、旧ルテシア王国とインリウムの僭主の庇護下で、人品ともに片端から略奪し、猖獗(しょうけつ)を極めていた海賊たちは多島海から一掃されたと言ってよい。


 内陸国だったマッサリアは海を学び、提督ゲナイオスと竜将ドラゴニアの夫婦が息の合ったところを見せて海路の安全を守っている。


 海路の運送にかかる危険度も対策費も下がり、過去に例を見ないほどの活発な交易が実現した。


「厄介なのは(こよみ)でさ。国によって違うので、何年何月何日までという約束が混乱する」


 確かに、船便の予定、保険の期間、手間賃の支払い、全てにかかわってくる。


「まあ、これも交易が盛んになった副産物だがね」


 時期もよし、好天と適度な風に恵まれて、マグヌスたちの航海も平穏であった。そして、大灯台に導かれて予定通り半月で南国ナイロの港に入った。





 ナイロは三つの地区に分けられる。

 外国人の居留区と、貧民窟と、ある程度の資産を持つ者の住む場所と。


 居留区と高級住宅街には巨大な神殿があり、高級住宅街の神殿側には、莫大な蔵書を誇る図書館と学校が付属していた。


 これが、名高いナイロの頭脳である。

 マグヌスの大先輩に当たるメランは図書館長と校長を兼ねて、その栄誉を一身に集めてきた。


 ナイロの名門哲学者の家系に生まれたメランは、五歳の時に円周率をおよそ三と自力で見つけ出した才能の持ち主である。

 家族がその才を認め、幅広く知識を吸収させた。


 十二歳の時に、当時の図書館長クリュサオルの弟子に入り、男児に負けぬ頭の良さを認められた。

 ただ、本人は男児の嫉妬を恐れてなるべく目立たないようにしており、他の少女たちのように糸も紡げないことを恥じていた。


 めきめきと頭角を現したのは、クリュサオルの死後の混乱期である。

 控えめであるが鋭い弁舌は支持を集め、図書館、学校ともにどの勢力にも組みせずという方針は、彼女が打ち立てた。


 自由闊達な弁論家、先鋭ゆえ異端視された思想家、引退した将軍などがこの地に集まり、その教えを乞うために優秀な子どもたちが集まった。


 興味の赴くままに学んだ子どもたちは、ナイロにとどまるものもいれば、マグヌスやカクトスのように飛び立っていく者もいる。


 メランは、慈母のような広い心で学びの場を守っていた。


「でも、独り身なんだろ、もったいない」


 ルークが俗物の塊のような意見を述べる。


「そういうあなただって、妻はいないじゃないですか」

「その代わり、美人のお姉ちゃんたちがたくさんいる」


 マグヌスは額に手を当てた。やはり連れて来たのは間違いだったか。


「失礼な口をきくつもりでしたら、港の宿にでも留まっていてください。美人が多いですよ」

「いやいや、男勝りに賢いというメラン様のご尊顔を拝する機会は失いたくないね」


 ルークも意味なく諸国を回ってはいない。

 有力者の機嫌を損ねない術もそれなりに心得てはいる。


「口のきき方にはくれぐれも気を付けて。メランは気さくな方ですが、無礼を働けば痛い目に遭うのはあなたですから」


 ルークは返事の代わりに肩をすくめた。


 港で船を降り、小舟に乗り換えて大河の上流へ。

 河の両側に背をこす高さで生えているのが、紙藺(パピルス)のもとになる植物である。


 懐かしい風景に一瞬我を忘れたマグヌスだが、


「図書館に近い船着場までお願いしたいんだが」

「図書館へ行きなさるんで?」


 船頭は露骨に嫌な顔をした。


「銀は惜しみません」

「金貨が良ければそっちもあるぞ」

「じゃあ、金貨一枚いただきましょう」


 ルークとマグヌスは目を見合わせた。

 法外にぼったくった値である。


「そちらの方で、疫病でも流行っているのかい?」


 背を向けた船頭にマグヌスがあくまで穏やかに問う。


「いいや。俺達の組合があの地区を避けてるんだ。俺達は帝国派だからな」

「……帝国派?」

「外国人は知らないんだな。ナイロは帝国派とマッサリア派に分かれて争っている」


 聞いたことがない。

 いつからこんな事になったのか。


「メラン様はなんと?」


 船頭は八つ当たりするように舟を揺らした。


「どっちともおっしゃらねえ!」


 ルークが不機嫌に、


「最高執政官は何をしている?」

「半年前に急死してから、空位だよ。我らがビオン様をマッサリア派のニキアスが認めやがらねえ」


 二人は口をつぐんだ。

 この雰囲気、下手なことは言えない。


 実際、ルークが革袋から金貨一枚を渡して舟を降りてからも、そこかしこで人々の口論する声が聞こえた。


「ニキアスとともにマッサリアに味方するか」

「ビオンに言われるままに東帝国に頭を垂れるか」


 マグヌスは思わずつぶやいた。


「ナイロはすっかり変わってしまったようです。以前なら、効率よく田畑の面積を求める方法でも議論していたのに」


 ルークにとっても意外だったようだ。


「おいおい、両国の関係は悪くないのに、こんなところで喧嘩しないでくれ」

「その通りです。メランが私を呼んだのは、この騒ぎが関係あるかもしれません」


 剣の師をメランとともに静かに悼むつもりが、それどころではなくなった……図書館に向かいながら、マグヌスは気落ちせざるをえなかった。




明日も更新いたします。

夜8時ちょい前をどうぞお楽しみに!


次回、第213話 再会

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