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第十三章 210.嫁入り話

 キュロスがいなくなっても、マグヌスに頭痛の種は尽きなかった。


「グーダート神国からのお手紙にございます」


 封を開けてみると、テオドラの美貌と体力に触れ、是非我が国へとの文言があった。

 わざわざ体力に触れてあるのは、グーダート神国の女たちはたくましい子を産むために屋外での運動を行うのが常だったからである。乗馬までこなすテオドラはグーダート神国にとって望ましい花嫁であった。


「まだ十二歳なのだけれど」


 マグヌスは苦笑する。

 ただ、義兄エウゲネスが十二歳でルルディと婚約していることを思えば、決して早すぎることはない。


「馬を贈った礼に来てくれたときにでも、見初めたのかな」


 テオドラはイリスより少し背は低いが、長い黒髪と濡れた黒曜石のような瞳が目を引く。髪と目の色こそ違え、メイの華ともてはやされた母譲りの美貌である。実はマッサリアの王女というところまでは知らずとも、王宮に住まう華やかな少女として目を引いたのであろう。


 いつも一緒にいるイリスは少しクセのある茶色の髪に抜けるような白い肌、低めの鼻にそばかすが愛らしい。


 二人とも乳母や侍女たち、そしてマグヌスの愛情をいっぱいに受けて健やかに育っている。


「いや、まだ早いだろう」


 マグヌスは、テオドラの実の母ルルディのいるマッサリアに求婚状を送り直しつつ、また苦笑いした。

 あくまでマッサリア王家の姫として、身の振り方を決めてもらうつもりである。


「それに、イリスも一緒に嫁げるところでないと」


 同じ乳によって結ばれた二人の仲を割くのは本意ではない。


「できるなら乳母も一緒に」


 マグヌスの妄想である。

 いずれ嫁ぐ身、できる限り好条件でと願う。


 結婚相手として書面に書かれた名は誰だか知らぬが、いずれグーダート神国の高位の神官に違いあるまい。

 結婚すれば、夫婦ともにグダル神の儀式に則った厳しい生活が待っている。


「わがままに育ててしまったテオドラたちにはつとまるまい」


 マグヌスは、また苦笑した。

 

 テオドラに縁談が舞い込んだことは当然ゴルギアスも知っている。

 彼はまだキュロスに未練があった。


「いっそ、マッサリアの我が縁者のもとに身を寄せているキュロス様を呼び戻してテオドラ様と……」

「ゴルギアス、お前は私とマルガリタの悲劇を繰り返させたいのか?」

「いえそんな」


 彼はあわてて持論を引っ込める。

 

「義兄が気にしてくれると良いのだが」


 テオドラを溺愛しているマグヌスだが、実の父はエウゲネスであることをよく承知している。

 テオドラの結婚話を期に、かたくなな義兄が娘の存在を意識してくれると良いのだが。


「もう、そういう歳なのだ、テオドラ。お転婆もたいがいにしておくれ」

「はい」


 口ではそう言ったものの、テオドラは侍女たちに髪をまとめてもらい、着物を膝丈に着付けたあと、厩舎に向かった。


 (私が結婚するなんて、夢のよう)


 テオドラは気を落ち着かせるために、栗毛の愛馬カペに乗って散歩し始めた。

 カペは少女たちの共有の親友になっていた。

 良き教師を得て、なかなかの手綱さばきだ。

 禁止されていたはずの裸馬も乗りこなす。


「あら、ロフォスがいるわ」


 彼女はカペの鼻先をそちらに向けた。


 ロフォスは立派な青年になった。

 来年にもマグヌスの側近く仕える選り抜きの騎兵隊に入ることになっている。


 一心に鎧を磨いていたが、蹄の音に顔を上げた。


「やあ、久しぶり」


 何事も無かったように軽い挨拶をする。


「元気そうね」


 カペから降りたテオドラが寄り添えば、似合いの二人に見える。


「鞍無しでも上手に乗れるようになったじゃないか」

「あなたほどじゃないわ」

「お前だけだな? イリスはまだキュロスのために泣いているのか?」


 テオドラは口を尖らせた。


「当たり前よ。生まれて初めて好きになった人よ」

「好き嫌いで結ばれると思っているのか? テオドラは子どもだな」

「ロフォスはお気楽ね。私には縁談が来たのよ」


 ロフォスは思わず口を開ける。


「縁談だって?」

「ええ。父上(マグヌスさま)は断るおつもりらしいけど、マッサリアの両親に相談してみるって」

「どこからの縁談だ?」

「グーダート神国。嫁ぐならイリスも一緒よ」


 ロフォスは胸を押さえた。それは痛みをこらえているかのように見えた。


「どうしたの? ロフォス?」

「二人とも、もうそんな歳か」

「分かった? あなたのほうが子どもなのよ」


 ロフォスは思わずテオドラの手を握った。


「おまえがどこかへ行くなんて!」


 テオドラは、真っ赤になった。


「手を放して。あなたと恋人同士でもないのに」

「行かないでくれ」

「ロフォス……」


 そんな感情は持っていなかったはずの二人だ。

 だが、グーダート神国からの結婚話が、気付いていなかった感情に火を付けた。


「ただの幼なじみで終わりたくない!」

「え……」

「そりゃ、俺から見ればおまえはお姫様だ。髪を逆に(くしけず)るように、不自然な流れだ」


 ロフォスは強く握っていた手を離した。

 カペが、主人の当惑を察したかのように、暖かい鼻面をテオドラに押し付けてきた。

 

 それを左手でさすってやりながら、


「あなたのこと、嫌いじゃないわ」


 この場で言える精一杯の言葉。

 自分の難しい立場を理解する聡明さを彼女は持ち合わせている。


「俺も結婚を申し込む。戦いで誰にも負けない手柄を立てる」

「待ってよ、今はこんなに平和なのに」


 ロフォスは、槍を拾い上げた。


「両雄並び立たず。東帝国とマッサリア王国連合軍はいずれまた戦うことになる」

「父上が、そんなことはさせないわ」


 その父がマグヌスを指すのか、エウゲネスを指すのか曖昧なまま……。


「戦う男の直感だ」

「戦いは嫌よ」


 まだ寝たり起きたりのテラサを思い出す。

 戦いに傷つき、マグヌスの家庭内の争いに巻き込まれ。

 

「どうせ女子どもを槍先で良いようにするんでしょ」

戦争捕虜(どれい)の女なんかには目もくれない。お前だけを愛することを誓う」


 テオドラの目に涙が宿る。


「ごめんなさい。私一人で決められることじゃないわ」

「俺はあきらめない」


 するりとロフォスの腕の届く範囲から抜け出して、テオドラはカペに飛び乗った。


「父に話を通して」


 心を落ち着かせるための散歩が徒になった。


 女部屋に帰ると、イリスが一生懸命に糸を紡いでいた。

 彼女が女部屋から出ることは、あれ以来めっきりと減っている。ロフォスに言われたように、一心に羊毛を紡いでいるのだ。


「おかえり、テオドラ」

「運命の神に願掛けしてるの?」

「そうよ。キュロス様が無事でありますようにと」

「キュロスは、マッサリアの知り合いの家にいるとゴルギアスが言っていたわ」


 イリスは目を輝かせた。


「良かった。頼るべき屋根と柱が見つかって。マグヌス様は優しい方。いずれキュロス様を赦してくだされば……」


 テオドラは、マグヌスが自分とイリスを同じところに嫁がせようと考えていることを本人には伏せた。

 まだ追放されたキュロスを思い切れず、慕っている彼女に、海のものとも山のものとも知れない縁談の話をしても傷付けるだけだ。


 ロフォスから思わぬ告白を受けたことも、テオドラは黙っていた。


「イリス、あまり思いつめないほうが良いわよ」


 たくさんの言えないことを胸に抱えて、彼女に言えたのはそれだけだった。


 




これにて第13章暖かい日々を終わります。

明日も夜8時ちょい前に更新します。


次章第14章南国騒乱 第211話 訃報


どうぞお楽しみに!!


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