第十三章 208.危機一髪
テラサは落選したが、女の身で立候補した事自体に不服な者は少なからずいた。
「当分、警護を付けよう」
マグヌスは、歩兵二人にテラサの身辺警護を命じた。
「ちょっと面倒だわ」
ある日、空が白む頃、難産で赤ん坊が頭ではなく足から出てきたという知らせをテラサは受けた。
外出の用意をしながら、テラサは不満を口にした。
「すぐに行かなきゃ」
逆子を安全に産ませるのは大変だ。
それがピンとこない兵士たちは寝起きでまごまごしている。
「先に行くわ。あなた、案内して」
「はい、こちらです」
着物を頭から被った年配の女が、手招きした。
テラサは走り出す。
「こちらへ……」
案内されたのは城壁の外の林の中だった。
「どこ?」
「ここであってます」
しんと静まる木々。
「どうして……」
テラサの声に応じるように、一人の若者が姿を現した。
「僕の顔を知っているか?」
「いいえ」
しまった、何かの罠だと悟ったテラサは逃げようとあたりを見回す。
「逃さない」
朝もやの中、幽鬼のようにテラサを取り巻く女たち。
退路は絶たれた。
「どなたです」
「僕は知っている。母マルガリタに代わって王妃となろうとした女め」
そんな古い話を若者が語るのが意外だった。
(……母マルガリタ?)
女たちが包囲をせばめる。
「もしや、キュロス様……」
「そうだ」
憎しみを隠しもせずに、
「高官になろうとするなど、思い上がりもはなはだしい」
「それは違うんです!」
「うるさい、お前がいなければ母は……」
キュロスは剣を抜いた。
「よくも養父をたぶらかしたな!」
剣を見てテラサは凍りついた。
顔面に今も醜く残る刀傷、彼女の故郷ゲランスが陥落した際にマッサリア兵につけられたものだ。恐怖で身体が動かない。
「助けて……」
大声も出ない。
「思い知れ!」
キュロスの逆恨みの一刀は、身をよじったテラサの背に食い込んだ。
「若様、よくおやりになりました。マルガリタ様もお喜びに……」
「トドメがまだだ」
キュロスはうつ伏せに倒れたテラサの喉を掻き切ろうと膝をついた。
「テラサさまあー、こちらですか!?」
男の大きな声に手が止まる。
「おい、あれ!」
林の中の人だかりに気付いた兵士たちが駆け寄った。
「テラサ様!」
血みどろで草むらに横たわる彼女を見て思わず声が上がる。
槍を構え、
「貴様、何者?」
「オレイカルコスの子、キュロス!」
「若様!?」
「養父を誘惑し、民を惑わす悪女に思い知らせてやったのだ」
兵士は、キュロスの剣を槍で跳ね上げた。
「なんということを!」
もう一人が、テラサの息を確かめる。
「生きている、急いで手当をしなければ」
「邪魔はさせない!」
短剣を持った女が、兵士の後ろから襲いかかった。
「マルガリタ様の恨み!」
兵士は槍先で軽くあしらい、持ち替えると石突でみぞおちを強く突いた。
「マルガリタ様の侍女たちか!」
「ぐうっ!」
くぐもったうめき声を上げて女は倒れる。
「キュロス様、テラサ様は潔白ですぞ!」
「お前もたぶらかされているんだ」
「失礼します」
二人の兵士が槍先をそろえてキュロスに迫った。
「無礼者!」
キュロスは剣で槍を叩き落とそうとしたがかわされ、肩と膝をしたたかに打たれた。
「皆、逃げろ!」
と言いながら、キュロスはうずくまった。
「えい、今は見逃すしかない」
四散する女たちを見送って、
「キュロス様、来ていただきますぞ」
軽く腕をひねって剣をもぎ取る。
「テラサ様を担げるか?」
「大丈夫だ」
一人はキュロスを引きずり、もう一人はテラサを背負って林の中を急いで王都に戻った。
朝日がさし始めていた。
テラサは、軍隊付きの医師のもとへ担ぎ込まれた。外傷には慣れている。
テラサとも顔見知りだ。
「これは……」
柔らかな女の背に走る斬撃の跡。
無防備な者を襲ったのだというのがよく分かる。
「……殺さないで……」
誰のことか、弱々しい言葉がこぼれる。
「しっかりしなさい。傷は浅い」
軍医は手際よく傷を洗い、細く強い絹糸で縫い合わせた。
「首の急所は外れております、助かるでしょう」
「助からなきゃ俺の首が飛ぶ。助けてくれ」
キュロスは、衛兵の駐屯所に監禁された。
この身分の者を、通常の傷害犯と同じ牢にいれるのはためらわれたからだ。
マグヌスのもとにも急報は届いた。
「テラサが!」
彼はテラサが医術を仕込んだ侍女たちを軍医の手助けに送った。
「手当は済んだがな、女性には女性の手助けも要るだろう」
軍医は彼女らの滞在を許可した。
マグヌスは、次いで下手人であるキュロスを訪ねた。
「……キュロス、なんということをしてくれたのだ」
「多少は堪えたか、マグヌス」
キュロスは、両手の乾いた血もそのままに、養父に相対した。
「テラサは私にとってかけがえのない人だ」
「母上よりもか?」
「意味が違う」
「では愛妾か、あんな醜い女……」
マグヌスは、初めてこのキュロスという人間に激しい怒りを覚えた。
これまでは、幼児期に淋しい思いをさせた、養父として十分なことをしてやらなかったと引け目を感じていたが、今朝の凶行で何やら弾け飛んだものがある。
「キュロス、お前を殺人犯を入れる牢に移す。特別扱いはおしまいだ」
「僕はアルペドンの血脈を継ぐ者だぞ」
「それがいかに意味のない虚勢であるか思い知るがいい」
マグヌスは兵士たちに、共犯者であるマルガリタの侍女たちを捕らえるように命令を下した。
「周到に計画された殺人未遂の罪でお前たちを裁いてもらう」
彼の言葉にはもう一片の慈悲も無かった。
明日も夜8時ちょい前に更新します。
どうぞお楽しみに!!
次回、第209話 追放処分




