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第十三章 207.選挙というもの

 平和が戻ってから、テラサは街の女たちの信用を得て、伸び伸びと仕事に励んでいた。


 アウティスとフリュネの愛娘プリーの異変にも上手く対処した。


「逃げる途中で、奴隷のコカロに身体を触られたの」


 何度かの面会の後、プリーは告白した。


「私が殺さないでって言ったから、コカロはまだ生きているの。それが怖い」

「よく話してくれたわね。人の生命を大切にする人を神様は見守っているわ。これ以上あなたに災いは降りかかりません」


 生死を分ける戦場で、プリーの遭遇した事件は些細といえば些細なもの。

 だが本人の苦痛は本人しか分からない。


「コカロはもう来ない?」

「来ません」


 テラサは、主人の娘に狼藉を働こうとした罪でコカロを手配するよう、アウティスに忠告した。


「フリュネは、コカロは捨てたとしか言っていなかったが……」

「プリーはまだ幼いでしょう。これまで口に出せなかったのです。怖い思いをしたお嬢さんを大切にして」

「ありがとう、テラサ」


 アウティスは銀貨を進呈して愛娘とともに帰って行った。


「これで子どもたちに蝋板(ろうばん)を買ってやれるわ」


 テラサは、喜ぶだろう子どもたちの顔を想像して満足気につぶやいた。


 マグヌスとテラサの二人は、お互いに忙しくて没交渉のまま月日は流れた。

 ある日、宰相ゴルギアスが困り顔でやってくるまで。


「マグヌス様、ご相談があるのですが」

「珍しいな」

「おっしゃるように推薦と投票で役人を補充してまいりましたが、神官たちを統率する者だけが埋まりません」

「大神官長か」


 これは名前とは裏腹に世俗の役人で、各神殿に奉納する国家の金額の配分、祭礼の日時のすり合わせなどを行なう。

 

マグヌスはしばらく額を指で叩いていたが、


「私はテラサではどうかと思う」

「テラサ殿……」

「不満か?」

「女の身で務まりましょうや?」


 不平顔のゴルギアスに、


「私の不在中、上手く取り仕切ってくれた手柄を忘れたか? それに神官たちの半分は女だ」


 ゴルギアスは渋々、


「テラサ殿本人の意向をうかがいましょう」

「こちらへ呼んでくれないか。久しぶりに顔を見たい」


 数日のうちにテラサは時間を割いて王宮に上がった。


 初夏の気候も良し、二人は中庭を散策しながら話し合った。


「テラサ、実は頼み事があるのだが……」

「なんでしょう?」

「大神官長を引き受けてはくれまいか?」


 テラサは目を丸くした。


「マグヌス様、久しぶりにお顔を見たと思えば、無理ばかり」

「王都の住民に信頼の厚い者をと思って」

「私は街を駆け回るのが似合っています」


 マグヌスは身を乗り出した。


「確かに直接住民にかかわる時間は減る。その代わりやりたいことを、神殿を通して大規模にできるようになる」


 反論しようとしたテラサに、


「例えば学校。すべての神殿に教育機関を義務付ける事ができる」

「そのための苦労は私持ちですよね」

「……そうなる」

「酷い」


 テラサは、つとマグヌスの頭に手を伸ばした。


「痛っ」

「失礼、白髪が」

「抜く前に言ってくれ。本当に白髪か?」

「これです」


 テラサは、マグヌスの眼の前に白く光る一筋の頭髪を突きつけた。


「む……勝手に抜いたな」

「そちらの言い分も勝手でしょう……分かりました。候補者として立ちましょう。どなたか別の方も立ってくださると良いのですが」


 あのテラサが大神官長に立候補した……王都の女たちは沸き立った。

 しかし投票権を持つのは市民の男たちである。


「あんた、テラサに投票しなきゃ家に入れないよ!」

「……テラサって誰だい?」

「うちの子が熱を出した時にタダで薬をくれた人を忘れたのかい!」

「あ? 女呪い師ごときには大神官長はつとまらんぞ」

「……テラサ様、うちのボンクラ亭主をお許しください」

 

 宰相ゴルギアスは、なんとかして史上初の女高官の登場を阻止しようと知恵を絞った。


(女には無理だ)


 彼は自分の身辺から候補者を探した。


──補佐官ヒッポリデス。


 抜きん出たところは無いが、実直に事務をこなす。野心もなくこの歳まで補佐官に甘んじていた。


 ヒッポリデスは重圧を感じながらも、全面的に支援するというゴルギアスの言葉を信じて立候補する気になったようだ。


 広場(アゴラ)での演説は男性のみという慣習に従い、ヒッポリデスだけが行う。


「それじゃ、テラサに不利すぎだわ」


 女たちが(にぎ)やかに騒ぐ。


 長らく王家の支配に慣れていたアルペドンの住人たちは選挙というものに関心が薄かったが、今度ばかりは違った。


「そもそも女が立候補できるのか?」

「マグヌス様の推薦だそうだ」

「先の侵攻の折り、マグヌス様に代わって軍の指揮を取ったと言うではないか。軍人はテラサに票を入れるぞ」


 関心は高く、役人を自分たちで決めるという責任感に初めて目覚めたと言って良い。


 一月経っていよいよ投票日。

 陶片に名前を書いたものを壺に投じる。


 厳重な集計の結果、僅差(きんさ)でヒッポリデスが勝利していた。


 テラサは、マグヌスとともに結果の報告を受けた。

 失望はあまり感じなかった。

 なぜなら、


「マグヌス様、本心から私を大神官長に就けるおつもりは無かったのでしょう?」

「いや、この結果は大変に残念だ」

「嘘ばっかり」


 自分たちのことを自分たちで決める……それを市民たちにわからせるには、女の立候補者という分かりやすい存在が必要だった。


 そして、これだけの票を集めたテラサの人望を無にするわけにもいかず、


「時に応じて相談に乗ってくれ」


 ゴルギアスが頭を下げた。


 テラサは選挙に勝利できなかったが、それ以上のものをつかんだ。


 全神殿への影響力と今まで通りの自由な立場。

 テラサにとってはむしろ理想的な結果と言えた。




明日も夜8時ちょい前に更新します。

どうぞお楽しみに!!


第208話、危機一髪

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