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第十三章 206.若い力

「あーん、キュロス様が居なくなっちゃったあ」


 イリスは周囲をはばからず泣く。

 テオドラが、膝をついた彼女を抱く。


「きっと帰ってくるわよ」

「いや、こないな」


 遠くを見る目でロフォスはつぶやく。


「ロフォスゥ!」


 テオドラがたしなめるが、ロフォスは百人隊長のような冷徹さで、


「諦めな」


 と言った。


「奴は俺達とは違うんだ」

「どこがよ。あなただってマグヌス様のせいで孤児になったんじゃない。マグヌス様を恨む気持ちを分かってあげたって……」


 イリスがしゃくりあげながら抗議する。


「親父との約束どおり俺は一族を守って生き残った。マグヌス様のせいじゃない」


 人は、現実と折り合いをつけて生きていく。

 ロフォスはそれができたが、キュロスにはできなかった。


 ゴルギアスが差し伸べた手もマグヌスの配慮によるものであるとは気付きもせずに、恨みの煮凝(にこご)りを胸に、生きていくのだろう。


「イリス、泣き止んで女の仕事をしろ」

「ちょっと、ロフォス、そんな言い方をしなくたって……」


 テオドラが、再び泣き始めたイリスを抱きしめる。


「テオドラ、お前よりイリスの方が糸紡ぎは上手いだろう?」

「……え、ええ」

「集中力だよ。お前よりイリスの方が集中力がある。糸紡ぎに集中すれば、自然と涙は止まる」

「この人でなし。黙らせたいだけなのね」

「俺は死んだ親父から人心を操る術を学んだ」


 突き放すような言い方だが、弱者ばかりをまとめ上げ、敵兵の中を突っ切ってミソフェンガロからの避難を成功させたのはロフォスの才能だ。


「糸を紡ごう」


 テオドラはイリスの顔をのぞき込んだ。

 濡れた顔を袖で拭って、イリスはうなずく。


「運命を握るのは私たち」

「そう」


 テオドラは、腰に手を当ててロフォスの前に立ちはだかった。


「なんだよ」


 磨いていた兜から目を上げる。

 ロフォスは年長なので、もう大人の武具を身に着けられる。


「糸紡ぎをするからにはここは女部屋よ。出て行って」


 ぐるりと部屋を見回す。

 他の三人の男児たちにも、


「さあ、この部屋を明け渡すのよ」

「テオドラ……」

「部屋が欲しいなら、それこそマグヌス様におっしゃい」


 テオドラがそんな言い方をするのは初めてだった。

 年上の男子であるにもかかわらず、ロフォスはテオドラに逆らえなかった。

 そして、その時には理由にも気付けなかった。


「分かったよ」


 ロフォスが渋々腰を上げる。


「みんな、行くぞ」


 ぞろぞろと男の子たちが出ていき、テオドラとイリスとミソフェンガロの孤児たち二人が残された。


「テオドラったら、凄い。みんな居なくなっちゃった」


 驚きのあまり泣き止んだイリスがおそるおそる言う。


「ごめん、みんなを驚かせちゃったわね」


 ペロリと舌を出して見せた。




 ロフォスとテオドラの双方から部屋を分けた次第を聞いたマグヌスは、まず言い分が矛盾していないことに満足した。


 嘘つきや保身の癖を持っていない。

 共に生きていくには大事なことだ。


(キュロスもロフォスに教えられれば良かったのに)


 そうは思うがどうしようもない。


「喧嘩別れのようにも見えるが、そろそろ年齢も年齢、日中過ごす部屋も分けたほうが良いだろう」


 そう言ってロフォスの肩を叩き、


「今まで子守りをさせて悪かったな。これからは騎兵隊に入って腕を磨いてくれ。ゆくゆくはヨハネスに代わって私の片腕になってもらいたい」

「マグヌス様もまだ戦場へ?」

「求められる限りは」


 マグヌスは微笑んだ。

 この男の計り知れない智略を、マッサリアはまだ必要としている。

 それが証拠に、マッサリアの執政官(アルコン)を兼ねる智将テトスは頻繁に連絡を取っている。

 

 自然とマッサリアの情勢も知れる。


(エウゲネス王はやはりもう立てないのか)


 しかし彼は屈することなく、自由になる上半身を鍛え、特別に(あつら)えさせた小型の輿に乗ってテトス相手に剣や槍の稽古も欠かさないという。


(さすが義兄上)


 動かぬ脚も、王妃ルルディが自らもみほぐし、引き()れなどはないらしい。

 

(いつか気持ちが和らいで、テオドラを受け入れてくれると良いのだが)


 マッサリア王夫妻にとっては唯一の女児である。

 エウゲネスに配慮して、テオドラの様子はルルディにではなくテトス宛に伝えている。


「女ながらに乗馬か!」

「十分に安全に気を使っております」


 ルルディは昔、マグヌスを助けようとロバに乗って夜道を走ったことがある。


「あの時より鞍も鐙も改良しております」

「アルペドンの騎兵隊、活躍する日は来るかな?」


 いつでも、と(つづ)ろうとしてマグヌスはペンを置いた。

 小さな波乱はあるものの、この平和を保っていたい。

 テオドラには戦場を駆けるようなことはやらせたくない。


「見事に足並みをそろえた閲兵式をお見せいたしましょう。アルペドンまでおいでください」


 友を誘って、マグヌスは手紙を書き終えた。


(そうだ、アンドラス陛下に馬を贈らねば)


 その許可をエウゲネス王に取らなければならない。


(うーん、次の便にしよう)


 マグヌスは、また伸びてきた髪を束ね直した。


 東帝国は遠い。

 即位式の機会を失って、どうしても億劫(おっくう)になる。


(アンドラス……賢帝と噂に聞くが……カクトスも良い主人を得たものだ)


 ルークとロフォスが賑やかに話しながら中庭を通って行った。

 キュロスに気を使わなくなってから、ルークは思い切りロフォスたちの相手をしている。


(元気だな。私は少し老いたのかもしれない)


 マグヌスは初めてそんな思いを抱いた。




明日も夜8時ちょい前に更新します。

どうぞお楽しみに!!


次回、第207話 選挙というもの

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