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第十三章 205.出奔

 その日は激しい雨が降っていた。

 風に巻き上げられ、四方から叩きつける雨に、テオドラたちは屋内にこもり、手習いやすごろく遊びに興じていた。


 時折、雷の音がする。


 そして、同じ屋根の下でも嵐は巻き起ころうとしていた。


「マグヌス、アルペドン王家の血を引く僕を差し置いて、お前がこの地を治めているのはおかしいと思わないか?」


 居丈高な声に驚いて書類から顔を上げたマグヌスが見ると、憎しみをみなぎらせたキュロスと目があった。


「まず座れ」


(出生の秘密を知ったか……)


 マグヌスにとっては折り込み済みなこと。今更あわてない。


「そなたの父の名は?」

「シデロスの子オレイカルコス!」


 マグヌスは指を組んだ。

 

「それで、今の待遇になんの不満がある?」

「なんの不満だと……」

「アルペドン王国はマッサリア王国に滅ぼされたのだ。現在は高度に自治が認められているが、独立した国ではない。私がマッサリア王からこの地を預かっている。不満があれば、マッサリアへ言うのだな」


 キュロスは拍子抜けした。

 祖父を、父を、親族を殺したと思う様ののしってやろうという出鼻がくじかれた。


 それと同時に国際政治の複雑さにややひるんだ。


 マグヌスはそれを見逃さない。


「お前を一人前にすることは、抱き上げた者、義父としてマルガリタに誓った。何か不満があったか?」


 キュロスは、不満を並べようとした。

 それはマグヌスにも容易に想像がついた。


 母がまだ健在だった頃、自分を抱いてくれようとはしなかった。

 その後も、留守がちであり、父親らしい愛情をかけてくれなかった。


 だが、思いは言葉にならなかった。

 どれもが、マグヌスへの甘えにつながるからだ。


「僕はアルペドンの子!」


 彼は虚しく繰り返した。


「マッサリア王国へ、お前を推薦しておいてやろう。力量が認められれば、いずれこの地の代官になれるかもしれない」


 無理だろうなとマグヌスは思った。

 名をいただくことになった、かの第三王子キュロスに比べて明らかに人柄に劣る。彼が自分の目の前でルテシア王国の矢に倒れたのは返す返すも口惜しい。


「マッサリアの(くびき)の下などごめんだ」

「では諦めるか、己の槍で奪い取れ」


 キュロスは攻め方を変えた。


「お前は母上を追い詰め死なせた!」


 ヒクリと唇の端が動く。


(ああ、マルガリタ、お前の改心が本物だと分かっていたなら、あのように死なせはしなかったものを)


 マグヌスは着物の上から胸を押さえた。

 

「たかが胸の火傷のことで……」


 汚らわしいと罵られた初夜の思い出が蘇る。

 ただ、今なら、マッサリアの市民に恥ずべき烙印が喝采をもって受け入れられた今なら、マルガリタを許すことができる。


「母は、毒を飲んで死んだんだぞ」

「正確には違う。マルガリタは私を殺すと同時に自分も死のうとしたのだ」

「お前を殺すだって……」

「そうだ」


 マグヌスはキュロスの前に右手を広げてみせた。


「マルガリタが私に飲ませた毒、テラサが言うには砒素(ひそ)だという。いつこの手がしびれ始めるかおびえる気持ちが分かるか」

「……母上を軽んじた自業自得だ」


 キュロスは若い。

 残酷な言葉が深い事情を知らぬ口からほとばしる。


「それで、どうしたいのだ。お前が私に取って代わることは不可能だとわかったか?」


 キュロスは座らぬままの椅子を蹴った。


「お前が王宮を出ていかないなら、僕が出て行く!!」

「止めはしない。男子はいつか庇護者のもとから羽ばたくもの」


 マグヌスは卓上から革袋を持ち上げた。


「持って行け。何かの役に立つだろう」


 放られた革袋はジャラリと重い音を立てた。

 銀貨だ。


「マグヌス……」


 キュロスは硬直していた。

 勢いで言うべきではないことまで言ってしまった狼狽ぶりが見て取れる。


「言うべきことが無いなら退出してくれ。私は忙しい」


 稲妻が走り、ほぼ同時に地鳴りのような雷鳴が轟いた。

 マグヌスは、何事も無かったかのように書類に目を落とし、ところどころに葦のペンで何かを記入している。


 キュロスは呆然と立ち尽くしていたようだが、やがてどこかへ立ち去る重い足音が聞こえた。






 マグヌスは、ゴルギアスを呼んだ。


「キュロスが出生の秘密を知ったらしい」

「呪いのことですか?」

「いや、そちらではなく、父親のことだ。動転して怒り狂っている」

「……さもありなん」


 ゴルギアスは、キュロスに同情している。


「一応王宮から追い出した形にしたが、ゴルギアス、お前のもとで面倒を見てくれないか?」

「はい、喜んで。私が若様をお預かりしましょう」

「頭が冷えるまでで良い。頼む」

「若様はどちらに」

「この天気だ。すぐに出ていったとは思われない。王宮内を探してくれ」

「かしこまりました」


 探すまでもなく、イリスの大きな泣き声が、キュロスの居場所を知らせた。


「行かないで、キュロス様」

「僕は追い出されたんだ。もうここには居られない」


 テオドラは(さか)しげに黙っている。自身も出生に秘密を抱える身、突然にそれを知ったキュロスの動揺を理解している。


「若様、こちらにいらっしゃいましたか?」

「ゴルギアス……」

「私の家系はアルペドンの王家に使えることを誇りにしてまいりました」

「なら、どうして今マグヌスに仕えている!」


 ゴルギアスは大きく息をついた。


「若様、世の中は込み入っているのでございます。王宮には劣りますがどうぞ、我が屋敷にいらしてください」


 腰をかがめる。


「それは……ありがたい」

「キュロス、鍛錬はどうするのだ。明日もルークが待っているぞ」


 ロフォスが横合いから尋ねた。


「止めだ! マグヌスの思い通りになってたまるものか」

「自分は、恨みの情にかかわらず続けたほうが良いと思うぞ。鍛錬場にマグヌス様は顔を出さないし」

「我が屋敷に指導者を招きましょう」

「ゴルギアス様、それはキュロスのためになりません」


 指導者を探すと言っても文官であるゴルギアスの人脈は知れたもの。


「ロフォス、お前とも縁切りだ」

「待て、キュロス、早まるな!」


 ゴルギアスはキュロスの手を取った。


「雨が上がり次第出発しましょう」

「わかった」


 テオドラが側によって、別れの言葉をささやいた。


「キュロス、さようなら。でもいつでも帰ってきていいのよ」




明日も夜8時ちょい前に更新します。

どうぞお楽しみに。


次回、第206話 若い力

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