第十三章 204.ドラゴニアの夫
舞台は一度マッサリアに移る。
マッサリアの女としては婚期を逃した竜将ドラゴニアだが、世間が落ち着くと引く手あまたになった。
救国の女傑。
評議会議長リュシマコスの愛娘。
「私を打ち負かした者とならば婚姻を考えよう」
父親が困り果てるのも何のその、彼女は愛用の二本の剣を駆使して、求婚者たちを打ち負かし続けた。
「ドラゴニア、その者は副議長の息子だ。手加減してくれ」
「真剣勝負もできぬたわけ、この剣の錆にいたします」
すんでのところで相手が逃げ出し、事なきを得たが、
「だから、もっと早くマグヌスを婿にしておけば」
ドラゴニアにこれを言われると父は弱い。
娘が慧眼の持ち主であったというべきなのだろうが、王の異母弟とはいえ、王位継承権無し、領土無し、部下無しで見た目も粗末なマグヌスを婿になど、リュシマコスの立場になればとんでもないことであった。
ドラゴニアは酒宴を開いては男たちを誘い、公然と求婚を命じて同席者を辟易させた。
出席者にはテトスのような既婚者もいる。
色好みのメラニコスが冗談で第一夫人にと求婚したところ、したたかに横っ面を引っ叩かれた。
あわてて皆でとりなしたからそれで済んだが、血を見ても不思議ではなかった。
「ドラゴニアの宴会」が敬遠されていたのはそういう次第であった。
ふとした拍子に「本命はマグヌス」と分かり、席を隣にするなど参加者は知恵を絞ったが、あいにくとマグヌスには想い人がいる。
そうこうしている間に、マグヌスはマルガリタと政略結婚させられてしまった。
その後のマグヌスの活躍を見るにつけ、ドラゴニアもリュシマコスも逃した魚の大きさに歯噛みするのだが、こればかりはどうしようもない。
せめて結婚だけはしてくれとリュシマコスは嘆きつつ、今日の求婚者を引き合わせる。
「ドラゴニアや、今日の相手は難しいぞ」
「家柄は?」
「諸王の一族にあたる。名は……」
「相手にとって不足は無し」
リュシマコス邸の中庭はすっかりドラゴニアの試合会場になっていた。
「……ほら、いらっしゃいましたぞ」
介添人に言われて立ち上がった相手は、
「ゲナイオス!!」
「よう、ドラゴニア」
「なんの冗談です?」
「至って真面目だ。そなたを諸王の一族に迎え入れたい」
「条件はご存知ですね」
「打ち負かせばお前を妻にできる」
ドラゴニアは微笑んだ。
「打ち負かされる屈辱は想定外ですか」
「無論。勝負は真剣か?」
「お望みならば」
「よし」
ゲナイオスはスラリと剣を抜いた。
ドラゴニアも愛用の二本の剣を構える。
「審判、時間!」
リュシマコス本人があわてて水時計の栓を抜いた。
「始め!」
ドラゴニアは思い切って前に出た。
キラと輝いて右手で鋭い突きを繰り出す。
ゲナイオスは一歩下がって軽く払い、続けざまに繰り出された左手の突きを避けようとしてよろめいた。
「隙あり!」
ドラゴニアがひと声かけたのは、同僚ゆえのためらいか?
その一瞬でゲナイオスは体勢を立て直し、ドラゴニアの剣を叩き落とそうと、力いっぱいに横殴りの一撃を放った。
「うっ!」
剣の技術の優劣とは別に、男女の力の差は確かにある。左手の剣で重い打撃を受け止めたドラゴニアの動きが止まった。
「ドラゴニア……」
「まだ!!」
彼女は痺れた左手をかばいつつ、右手だけでゲナイオスの左肩を狙った。
ややバランスが崩れた。
ゲナイオスは伸びた右腕をつかみ、強く引いた。
ドラゴニアはよろめいてゲナイオスの厚い胸板にぶつかる。
「何を……」
彼の顔を見上げると、それはそのまま迫ってきて、彼女の唇をふさいだ。
歯を食いしばって舌の侵入を防ぐ。
ひととき、刃ならぬ攻防があってゲナイオスは腕の力を緩めた。
すかさずドラゴニアは抱擁から逃れる。
ぐいと口を拭きながら、
「何をするんです!!」
「死なせた女の、今際の際の顔に惚れるような男にはなりたくなくてな」
そういう神話がある。
「無礼でしょう」
「承知の上」
ゲナイオスは平然と答える。
「我が力は示した。妻になってくれ」
ドラゴニアは、ゲナイオスの力量を認めざるを得なかった。
口づけの代わりに胸を刺し貫かれていても仕方なかったのだ。
剣を鞘に納め、
「私は戦場に立ちます。糸も紡がず機も織りません」
「それでこそ我が妻」
「子も産めるとは限りません」
「一族から養子を取ろう」
「私は……」
「言うな。そなたのことは近しく見て知っている」
「父が安心します」
ゲナイオスは、もう一度ドラゴニアを抱擁した。
リュシマコスは、宴会の用意を急いで奴隷に命じた。
やっと見つかった結婚相手、逃がしてはならない。
二人の婚礼は日を改めて盛大に執り行われた。
マッサリア五将のうち二人が結ばれたという噂は、たくさんの尾ひれはひれがついてアルペドンまで届いた。
舞踏団を率いるペトラが早速歌舞劇に仕立てて興行に回り、大成功を収めた。
事前にゲナイオスから顛末を手紙で知らされていたマグヌスは、劇を見て、
「人間の想像力というのは計り知れぬものだな」
と、一言だけ感想を漏らした。
「ペトラ、マッサリア王国もやっと落ち着いたようだ。そろそろ故郷に帰ってみては?」
「世界は広いと聞きます。マッサリアと言わず、各地に旅してみたいと思います……その前に、クリュボスに稽古をつけていただけませんか?」
ペトラは、想い人クリュボスとマグヌスの力の差を我が目で見たことがある。
「悪いが断る。私が稽古したところで、あの男の性根は治らない」
「そうですか……」
クリュボスは羽振りの良いペトラに養われて、自堕落な本性がますますあらわになってきた。
「ペトラ、悪いことは言わん、手を切れ」
「でも……」
クリュボスは見た目が良い。
本人もそれを自覚しているからたちが悪い。
結局、また用心棒として一緒にマッサリアへ旅立つことになった。
「ドラゴニア様には、昔々のお約束があるからね。まずは婚礼祝いに」
戦いを好まぬ皇帝アンドラス五世と戦えなくなったマッサリア王エウゲネスと。
危うい均衡の上に成り立った平和を満喫すべく、ペトラたちはアルペドンをあとにした。
明日も夜8時ちょい前に更新します。
次回、第205話 出奔




