第十三章 201.母の思い
薄暗い神殿から出ると、外はもう夕刻だった。
風も熱を失い、少女たちを優しく慰撫する。
風に乱される髪をかき上げながら、テオドラは困惑していた。聞いてきた話と違う……。
隣を見るとイリスも当惑顔である。
(私たち女が混沌から宇宙を紡ぎ出した)
そしてその原初の女その人が、祖霊神も逆らえぬ運命の女神。
混沌から生まれた祖霊神が世界を作り出したという神話と全く違う。
そういえば、祖霊神がどうやって運命を生み出したかは聞いたことがない。
「父上に聞いてみようかしら」
「テオドラ様、男性に話してはならないと」
「そうね」
彼女らは同じ区の少女たちと一緒に帰途についた。
昔この密儀帰りの集団を襲って処女たちを誘拐した国があるということで、厳重な警備がつく。
区に入る前に、テオドラとイリスは乳母の顔を認め、集団から離れた。
十人ほどの軽装歩兵が付き従う。
「ばあや、女たちが梳き櫛と錘で宇宙を作り出したというのは本当?」
「古い神話ではそうなっております。ただ今では祖霊神を信じる者が多く、閉ざされた神話でございます」
テオドラとイリスは顔を見合わせた。
今まで「女の仕事だから」とやらされてきた糸紡ぎと機織りに込められた意味。
「もっと良い糸を紡ぐわ。」
養父マグヌスが困っていたら教えてあげよう。
物事は毛や亜麻の塊を櫛をもってほぐすように丁寧にほぐすことから始めるようにと。
そして、糸一本分ずつしか進まない織物が大きな布になるように辛抱強く取り組む事が大切と。
子どもらしい考えながら、テオドラはマグヌスの激務を理解していた。
乳母は、王都に向かう集団に合流するためにそちらの警備兵に話をした。
警備兵はマグヌスの書状を見て快諾した。
「姫様、ルルディ様にご挨拶に参りましょう」
「着物のお礼を申し上げないと!」
無邪気にはしゃぐイリスに対してテオドラは慎重だった。
「母上には会いたいわ。でも『本当のお父様』が何かおっしゃるんじゃなくて?」
「ルルディ様にお会いするだけです。ご心配には及びません」
正門で衛兵に身分を明かし、ルルディへの面会を取り付ける。
「お話はうかがっております。どうぞ」
「ありがとうございます」
テオドラは衛兵の礼を受けて会釈を返しながら王都の門をくぐった。
「テオドラはやっぱりお姫様だったのね!」
イリスが手を叩く。
「マグヌス義父様の娘よ」
「あら、女にとっては母も大事よ」
北の館ではルルディがテオドラを今か今かと待っていた。
居間の入口まで彼女は走った。
客が女なので堅苦しいベールの作法は抜きだ。
「テオドラ! 密儀を受けたのね。おめでとう!」
「お母様、苦しい……」
「ごめんなさい、つい力が入っちゃったわ」
抱擁を解きながらルルディは詫びた。
十年ぶり。
あの小さかった赤ん坊が、ルルディの織った水色の着物を着てここにいる。
それだけでルルディは満足だった。
父親に似て黒髪に黒目の娘。
目鼻立ちは自分の方に似ているだろうか。
美人になりそうな顔をしている。
ルルディは、もう一人に目をやった。
「お前は乳母の娘……」
「イリスと申します」
茶色の癖っ毛に黄色の着物を着た少女が優雅に礼をする。
イリスは銀の花冠に金の髪をまとめたルルディをまじまじと見た。多少失礼ではあるが年頃を考えれば仕方があるまい。
ルルディは彼女の頬に手を触れ、
「いつもありがとうね」
とささやいた。
二人を抜かりなく見張っている乳母にはうなずいてみせ、
「そう……マグヌスは約束どおりお前たちを大切にしてくれたのね」
「あちらの王宮は賑やかで、ロフォスお兄様、キュロスお兄様、それにミソフェンガロのみんながいますわ」
ルルディは、テオドラが全く寂しそうではないのを見て、少しばかり嫉妬した。
テオドラが手元を離れてからというもの、あれを着せようか、これを着せようかと、機の前に座りっぱなしだったのだから。
テオドラはその大切な着物を乳姉妹のイリスにも着せている。吝嗇でないのは良いことだけれど。
「テオドラ、母の織った着物は気に入りましたか?」
「はい、とても!」
快活な返事が返ってくる。
(マグヌスに預けて良かったわ)
息子たちが今ひとつ頼りないのに比べて、テオドラが発する輝きはどうだろう。天賦の才か育て方か。
「母上、着物は無理をなさらずともよいですよ」
「え?」
「母上が織らなくてはいけない織物は私のだけじゃないでしょう」
ルルディは遠い存在を見るかのようにテオドラを見た。
早くも子離れの悲しみか。
母子一体の幸福を味わうことなくテオドラは自立していた。
それまで黙っていた乳母がおそれながらと口を開く。
「王妃様、女の子は成長が早うございます。ましてやテオドラ様は才気煥発、決して薄情からではございません」
「分かっているわ。分かっているけれど……」
テオドラが、はっと気づいたように、
「イリスに手伝ってもらって、私も母上に織物を贈りますわ。イリスはとても器用なんです」
「そんな、もったいない」
イリスが真っ赤になる。
「手芸の技に長けるのは良いことですよ。恥ずかしがらないで」
娘の気遣いが嬉しくて心がとろけてしまう。
こんな幸福の中、母子が口に上らせない話題があった。
実の父エウゲネス王に関することである。
今朝方も「今日は機習いの密儀の日」と告げたのに、エウゲネスからは生返事しか返ってこなかった。
「テオドラが遠路はるばる来ているのですよ」
そう念を押したかったが、ただでさえ娘の出生に疑念を持っている夫を怒らせてしまいそうで、それはできなかった。
自分からは実の父のことを言い出さぬ、思慮深い娘に育ったことを運命の神に感謝しつつ、テオドラたちがいかに栗毛の愛馬カペを乗りこなしているかという自慢話に相づちを打ってやるのだった。
明日も夜8時ちょい前をお楽しみに!!
次回、第202話 お転婆




