第十三章 200.機習いの密儀
テオドラは十歳になっていた。
マッサリアには、十歳か十一歳で少女たちが経験する重大な通過儀礼に「機習いの密儀」がある。
十二歳で所属の区に正式に登録されるが、男子と違って成人の祝いは無い。
この密儀が実質的な成人式といえよう。
女たちの神聖な業務である糸紡ぎと機織りの技術、それにまつわる秘められた神話を口伝で伝える儀式。
「私は男なので分からないのだが……」
マグヌスはマッサリアに連絡を取った。
正当なマッサリア王女として密儀に参加させようとしたのだ。
だが、エウゲネス王は未だテオドラを娘と認めず、彼の王家としての区にテオドラを仮登録してはくれなかった。
「仕方がない、養女として私の領地に区民として仮登録して、そこから参加させよう」
「父上、何か難しいことを考えていらっしゃいますか?」
マグヌスは、テオドラの頭をなでた。
「心配いらない。お前もいよいよ機習いの密儀に参加するんだよ」
「私は何をするんでしょう?」
「お母様に聞いてごらん」
テオドラは、寂しそうな顔になって、
「お母様は遠くのお方。乳母に聞いてみます」
「それでいいかも知れないね」
エウゲネス王の返事に遅れること半月、ルルディからの大きな荷物が届いた。
「テオドラ、来てごらん」
目にも鮮やかな着物の数々。
宝石をあしらった装身具。
「お母様からだよ。密儀に来ていく晴れ着だそうだ」
「お母様!」
ルルディも、テオドラをエウゲネスと自分の娘として密儀に参加させるのは難しいと知ったのだろう。
「父上、イリスと一緒に行っても良いですか?」
「そうだな、それがいいだろう」
テオドラはサンダルを鳴らして駆け出し、イリスの手を握って戻ってきた。
「イリス、機習いの密儀に一緒に行くわよ。どれを着ていくか決めましょう」
「テオドラ、私にはもったいない……」
「いいのよ、お前にはこの黄色が似合うわ」
二人で着せ替えごっこが始まったので、マグヌスはその場を離れた。
「旅が長いな」
「マグヌス様、うちの娘まで……」
乳母が駆けつけてきた。
「お前も付いて行っておくれ」
「夫が石に打たれた時はどうやって生きていこうかと思っておりましたが……密儀にも立派に参加させていただいて」
「お前を乳母に起用したのはルルディ妃だ。礼は妃に言ってくれ。私としてはこんなところまでついてきてくれて感謝している」
マグヌスは満足気に笑った。
「密儀は初夏だな」
「さようでございます。この密儀を通して子どもから女になって行くのでございます」
アルペドンにも同様の密儀はある。
ミソフェンガロの女児たちはそちらに参加する。
だがマグヌスはテオドラたちの故郷にこだわった。
一行はまだ早い春に出発した。
平和の時代に兵士たちを狩りだして街道の整備を進めている。
旅程は以前より格段に楽になっていた。
マッサリアに入って数日、甲高い鐘の音が、今日は密儀の日であることを告げた。
少女たちは、だいたい区ごとに数人ずつ固まり、糸紡ぎの腕を競い合う。
どこの区にも入れず、さりとて貧しげではないテオドラたちの見慣れぬ姿は異色に写った。
「あれは誰?」
「どこの姫君たち?」
静かな笛の音が流れてきて、少女たちはおしゃべりをやめた。
「さあ、こちらへ」
各地から集まった少女たちは手に錘を持って一列に並び、運命の女神の神殿に入っていった。
「手の技の神ではないのね」
「しっ、テオドラ、静かに」
テオドラとイリスは迷子にならないようしっかり手を繋いでいた。
神殿の中は人いきれで暑苦しかった。
「皆々、良き女となるべき少女たちよ」
女神官長が重々しく呼びかけた。
「この度の密儀は誰にも漏らしてはならぬ。我ら女がいかにして生まれ、神代の昔に何をしたかを語ろうぞ」
「よくお聞き。我ら女は混沌と共に生まれた」
「お前たちが羊毛を櫛で梳き、流れを整えるように混沌に梳き櫛を入れた」
「順なるものとなった混沌から糸を紡ぎ出すように宇宙を紡ぎ出し、一枚の布を織り出すように世界を整えた」
「かくして世界はある」
別々の神官が畳み掛けるように語る。
「今や女の神話は閉ざされ、祖霊神の信仰によって虐げられた」
「原初の女の名さえ伝わっていない」
「背の高い美しい女だった」
「少女たちよ、女たちよ、誇りを持て。お前たちの仕事とされる糸紡ぎと機織りは、神聖な行いなのだ」
「後に生み出された男神たちが女を打ち、そのために女は月一度出血するようになった」
まだ経験のない月経への恐怖。
「覚えておくがいい、祖霊神さえも、この女、すなわち運命の女神には逆らえないのだ」
しばらく沈黙があって、
「さあ、短くて良い、糸を紡ぎなさい」
少女たちは、熱心に糸を紡ぐ。
やはりテオドラはイリスにかなわない。
少女たちを見て回っていた神官が手を上げて合図を送った。
神官長が、ハサミを持つ聖像の裏に少女たちを誘導した。
そこは空気がひんやりして異界を感じた。
まるで異界から吹いてくる風。
「さあ、紡いだ糸をここの祭壇に供えなさい」
「原初の女のもとに捧げなさい。糸紡ぎと機織りの腕が上がることを祈って」
テオドラは唐突に語られた女たちの神話に頭がクラクラする思いだった。
「祖霊神の神話は嘘だったの?」
「祖霊神が女を打ったの?」
イリスとささやきあいながら、積まれた糸や布の上にさらに糸を積む。
「神官様、ここがいっぱいになったらどうするの?」
テオドラは我慢できずに聞いてみた。
「レーノス河に流す。河の流れに乗って遠く神々のもとまで流れていく」
コクリとうなずく。
人の知を超えた上に神々はあるのだ。
「父上には内緒なことをずいぶん覚えてしまったわ」
男であるために、あの優しい父にも秘することが増えた。
それが女の性なのだという一種の諦めも含んで。
少女たちは神殿を出る際、薄絹のベールを被せられた。
敬虔な者はこのまま誰にも素顔を見せずに婚約する。
「嫌なことだわ」
テオドラは舌を出した。
明日も夜8時ちょい前に更新します。
次回、第201話 母の思い
どうぞお楽しみに!




