第一章 20.追放
「成人おめでとう」
マグヌスはマッサリアの王妃の言葉に大人びた笑顔で応えた。
王妃は夫を戦いで亡くした後、実質的にマッサリア王国を仕切っていた傑物である。
先王はマグヌスの母ラウラを二人目の妻としていたが、彼女は産褥熱で世を去り、マグヌスは王妃に育てられてきた。
マグヌスの隣には王妃の実の子、エウゲネス。
二人とも黒髪黒目、双子と言っていいほどそっくりだった。
今日は二人の成人を祝う日である。
マッサリアでは男子は十二歳で成人と見なされ、所属する区の台帳に成人である旨記載されて、区ごとの軍事訓練に参加するようになる。それは王族も例外ではない。
滞り無く記入が終わると、成人を祝うにぎやかな宴会が開かれた。
その余興に、旅の予言者が連れ出され、二人の王子の行く末を告げてもらう。
「さあさあ、予言者殿、お二人の前にはどんな輝かしい未来が待っていますかの?」
杖に身体を預けた背の低い予言者は、鳥の足のような細い手で王子たちを指さした。
「こちらの子が王位につけば血は栄えるが国は滅ぶ。こちらの子が王位につけば国は栄えるが血は滅ぶ」
シン、と水を打ったように静まり返る。
「何と不吉な!」
酒の勢いの入った宴会の参列者は乱暴に予言者をたたき出した。
「飲み直しましょうぞ!!」
男勝りな王妃の言葉に、参列者は盃を掲げて応える。
だが、このにぎやかな宴が、王妃の最後の晴れの場となった。
宴もたけなわな頃、王妃の支配に不満を募らせていたピュトン一派が、武装して宴会場に乱入したのである。
「女がマッサリアを治めた例はない!」
彼らは口々にそう叫んで、参列者を蹂躙した。
頭を殴られて気絶していたマグヌスが我に返ったのは城の深部の地下牢の中であった。
「誰か!」
彼は助けを求めて叫んだが答えは無く、代わりにピュトンを先頭として兵士の一団が現れた。
「先王の庶子マグヌス、おまえに未来はない」
あかあかと火がおこった炉と鉄の棒が持ち込まれていた。
「死刑囚の印として、その胸に烙印を押そう」
「やめろ!!」
マグヌスは精一杯暴れたが、大人の力に負け、仰向けに腐った藁の上に押し倒された。
「これでエウゲネスと見間違うものはおるまい」
ピュトンの声がして、焼けた鉄が胸に押し当てられ、マグヌスは苦痛のあまり再び気を失った。
他方、王妃も死刑を宣告され、豊かな胸に烙印を押された。
「マッサリアを女が治めた例はない。エウゲネス王子が成人なさった今、あなたに用は無い」
ピュトンの言。
「評議会から弾劾が上がっているが、聞くか?」
王になるには血統だけではなく、評議会による任命が必要だ。
彼女はどちらも満たしていない。言わば僭主だ。
「エウゲネス王子が死刑執行の命令書に署名なさる。そこでゆっくりと見届けるがいいだろう」
ピュトンは勝ち誇ったように笑った。
「お連れしろ」
抜き身の剣を持った一団に囲まれて、今にも泣きだしそうな顔でエウゲネスが連れて来られた。
「さあ、王よ、ここに署名を」
文書を一読してエウゲネスの顔から血の気が引いた。
「母上を害する命令書など書けるものか!」
「書きなさい。エウゲネス」
静かな声で王妃が言った。
「お前が書かずとも、私は殺されるでしょう。ならばいっそ、お前に殺されるほうが良い」
「母上!」
ピュトンがペンを握らせた。ずらりと取り囲む剣の鈍い光。
エウゲネスは署名した。
同時に彼の心の中で、何かが壊れた。
マグヌスが胸に烙印を負ったとすれば、異母兄であるエウゲネスは心の深いところに傷を負ったのである。
「母殺しの王」──彼は後にそう呼ばれるようになった。
王妃の処刑は公開の場で行われた。
「裏切り者! お前たちすべてを許さない。私の身体は朽ちても魂はお前たちを呪う! 永遠に!」
叫び続ける王妃は力ずくで断頭台に押し付けられ、剣が振り下ろされた。
その直後……黄色く痩せこけたオオカミが処刑台を駆け上がると、王妃の遺体から流れ出た血をなめ、遠吠えをした。
城の裏手の森から、応える声が響く。
「王妃様の呪いだ……」
おびえる人々の間を縫って、オオカミは素早く消えた。
マグヌスは、そんなことが起きているとは知らず、高熱を発して城の地下室でうめいていた。
何日経っただろう。
細い手燭の光に、顔をしかめる。
「マグヌス、僕だ」
「エウゲネス……」
「そうだ。しっかり。助けに来たんだ」
「助けるって、どうやって?」
「僕は王になった。誰も逆らわせない。母上を見殺しにしてしまったが、君は助ける」
エウゲネスが傍らの頭巾をかぶった人物を手招きした。
「予言者殿、マグヌスを助け出して、なるべく遠くで育ててくれ。僕は追放命令に署名する」
「身の証となるものを何かいただけませんか?」
エウゲネスはとっさに自分が持っていた黄金づくりの短剣を渡した。
「マッサリア王家の紋章が入っている。これでどうだ」
「十分です」
マグヌスと予言者は、馬の引く荷馬車や川をいく小舟に乗り、一路南を指して逃亡を図った。
幸い、ピュトンはマグヌスのことを重要視しておらず、牢から逃げたという報告にも探索の手を広げなかった。
やっと熱が下がったとき、マグヌスは真っ先に問うた。
「エウゲネスは無事?」
「無事だとも。マッサリアの王になられた」
「お義母様は?」
「残念ながら亡くなられた」
マグヌスはだるそうに眼を閉じて、
「ピュトン……いつか思い知らせてやる」
多島海を渡る船に乗った頃から、マグヌスは少しずつ元気を取り戻し始めた。
初めて見る海。
そして、目的地南国ナイロの港町は想像を絶するほど繁栄していた。
簡素な白い貫頭衣を着た男女が数人、彼らを出迎えた。
皆、癖の強い髪に褐色の肌をしている。
「私たちはクリュサオル師の弟子。私はメラン。予言者殿、お疲れ様でした。詳細はお手紙でいただいております」
「お迎えご苦労」
「なんの……まだ子どもではありませんか。ようこそナイロへ」
メランがニコリと笑った。
「あなたには神殿で重要な儀式があります。まずは湯浴みして、身体を清めて……」
「湯浴み? 嫌だ。この烙印を見られたくない」
「そう言わないで」
巨大な神殿の門番は、メランの顔を見ると何も尋ねずに二人を通した。
「さあ、服を脱いで」
大きな浴槽にたっぷりと湯がはられ、マグヌスは文字通り頭の天辺から足の先までメランの手で洗い清められた。
「この烙印を見てもなんとも思わないの?」
「罪なくして押された烙印はただの火傷です。早く治りますように」
清潔な亜麻の貫頭衣を着せられ、荘厳な別室に案内される。
奥に名の知れぬ神の巨大な像が鎮座していた。
「ここで自由になるのです。巫女様、どうかこの子を押された烙印から解放してください」
神殿の巫女は黙ってうなずき、かたわらの花瓶から長い椰子の葉を取り出して、祭壇に供えられた香水にそれを浸した。
「すべての縛めから、今、そなたを解放する。自由の民となって人々と交わるが良い」
いい香りがする椰子の葉で、二度、三度と全身を撫でられる。
「これだけ?」
あっけないほど簡単に儀式は終わったが、マグヌスは急に膝に力が入らなくなり、がくんと崩れた。
「……メラン……」
「それでいいのです。眠りなさい。目が覚めればあなたはすべてのしがらみから自由です」
丸一日神殿で眠ってから、マグヌスはメランに伴われて、ナイロの大図書館長であり庇護者となるクリュサオルに面会した。
「マッサリア国王エウゲネスの異母弟、マグヌスと申します。追放された身を受け入れてくださって、感謝の言葉もありません」
「気にしなくてよい。ここはもともと国元を追われた人々の集まりでな。ほれ、そこの剣の師、アーナムも母国を出奔してきた一人じゃ」
初老の剣士が会釈する。
「メラン、マグヌスを大図書館に連れて行って紹介してやりなさい」
彼はすぐに環境に順応したが、学友たちにも──特に仲の良くなったカクトスという同い年の友人にも──胸の傷は隠し続けた。
いくらメランが「気にしなくていい」と言っても、あの日起こった事件はマグヌスにとって心身の傷となっており、クリュサオルも頑迷さに「無理強いはしない」とあきらめた。
マグヌスが去った後、マッサリアでは大変なことが起きていた。
その年の冬はあまりに厳しく、しかも疫病が蔓延した。
土が凍って墓穴もほれず、放置された遺体をオオカミがあさった。先頭にはいつも、黄色いオオカミの姿があった。
あのピュトンも、三人の息子はじめ家族すべてを疫病で失った。
「王妃の祟の冬」に、マッサリアの人口は半分になったと言われる。
──それも知らないで──マグヌスは南国で健やかに成長した。
故国に呼び戻された後、エウゲネスから顛末を聞いたマグヌスは、義兄一人に統治の重責を負わせたことを詫びた。
「これからはマッサリアのために微力を尽くします」
帰国してみれば、王位継承権も母ラウラの遺領も失っていた。立場も王族ではなく臣下とのこと。
さすがに不憫に思ったのか、エウゲネス王は評議会に諮って彼に将軍という肩書きのみを与えた。
「それで良い」
徒手空拳の将軍マグヌスの誕生であった。




